五十八話『因縁の出会い』

「先輩こそ何で……いや、ユウを追ってきた、そういうことですか」


「私はもうオマエの先輩じゃない。組織の工作員に戻ったんだ。だから、私を先輩と呼ぶな!」


 胸の内から絞り出した声で叫ぶカレン。精一杯の敵意を仁に向けている、必死で仁を敵だと信じようとしている姿は、ただただ痛々しかった。

 そんな彼女とは対照的に、落ち着いた声音で仁は告げる。


「俺もあれから頭冷やして色々考えたんですよ、先輩のこと。確かに先輩はネージュを狙ってた、それは事実です。でも、先輩だってやりたくてやってた訳じゃないはずだ。組織に逆らえなかったんですよね?」


「……だからどうした」


「俺に見せてくれた姿は、気にかけてくれたことは、嘘じゃないんでしょう。全部、先輩の本音だったはずです」


「そうだとしても、今の私は……」


「俺の中では今も先輩です。それはどう言っても変わりません」


「——ッ! だまれッ!」


 薄暗闇を鮮やかなオレンジに染め上げながら飛来する火球を仁は大きく横へ飛んで避ける。

 鉄扇を握るカレンの手は震えていた。


「やめろ、やめてくれ。その真っすぐな眼を私に向けるな、私を映すな! その目に映る私を見た時、自分がどれほど救いようが無くて汚れた存在なのかを実感させられる! 私はもう、後戻りなんてできない!」


 仁だって当然、気付いているはずだ。ユウがそうであったように、カレンもまた自分の命のために沢山の命を奪ってきた側の人間であることを。命の価値が平等であるというのなら、彼女の天秤は傾きすぎている。


「ふざけるな! アンタは後ろを振り返って懐かしむだけで、一歩だって踏み出していないじゃないか!」


「だから、私にはその一歩を踏み出す資格が無いと言っている!」


 殺到する鮮やかな橙。その隙間を縫うように仁は走る。降りかかる火の粉をコートで防ぎ、カレンの懐へと肉薄して一撃を叩き込んだ。

 ゴロゴロと転がるカレン。が、痛みはすぐに消える。ダメージだって大したことは無い。便利な体になってしまった自分をわらいながら、彼女は立ち上がる。


「あんなことを言ったのに、随分と思い切り良く打ち込んでくれたな」


「今の俺は異端審問官で、今の先輩は工作員。敵同士なのは事実だし、ゆっくり話す気もないなら、大人しく話を聞いてもらうために、まず先輩を倒します」


「——チッ。そういう傲慢なところはそっくりなのか」


 匂いを嗅ぎとる。カレンが会話をするのは幻術を掛ける隙を作るため。が、対処法と仕掛けてくるタイミングが分かるなら仁の敵ではない。


(やはりな。姿は動いてないが、匂いは左側にある。八メートルってとこか)


 下は大地だ。教室と違って足元を踏み抜く心配はない。地の爆ぜる音を従えて、仁は飛び込む。圧倒的な速度、そして破壊力で飛び蹴りがカレンを捉えた。


(な、速っ……!)


 重ね合わせた鉄扇による防御で間一髪。が、二枚の鉄扇はグチャグチャにねじ曲がり、もう使い物にならない。


「炎よ……ッ!」


 吹き飛ばされた衝撃で宙に浮いたカレンを掴み、さらに高く投げる仁。仁が圧倒的に有利と思える盤面だが、手加減は出来ない。カレンの攻撃が一つでも仁に当たればすぐに流れはひっくり返る。


「先輩、舌噛まないでください」


 打ち上がったカレンより更に上へと駆け上がる仁。そして、胸へと蹴りを叩き込み、遥か下の地面へと叩きつける。


「これだけやれば……熱ッ!」


 大空から地上へと戻った仁を待ち受けていたのは、火球の洗礼だった。勢いのままに飛んでいく仁を固いコンクリートの外壁が抱きしめる。火傷は大したことはないが、全身を叩きつけられたせいで手足に力が入らない。思考も霧に飲まれ、意識していないと消えてしまいそうだ。


「こんなに……タフでしたっけ、先輩」


「だから言っただろう。もう後戻りはできないのだと。私の体は……もう」


「ああ、そういう。やっぱりクソだな、アイツ星慧教ら」


 身体能力の向上。どんな過程プロセスを経たかは知らないが、人体実験に手を染める星慧教のことだ、ロクなものじゃないのは分かり切っている。

 力の籠められないはずの手足に力を込める。消えかかった思考が火花を散らす。動けないはずの仁は、動く!


「歯ァ食いしばってください」


 渾身の一撃でカレンを吹き飛ばす。が、転がってもカレンはすぐに立ち上がってくる。殺意のない全力など効かないとでも言うように。


「どうしてまだ動ける?」


「動かなくちゃならない理由があるからですよ」


「よく考えろ。今のオマエを突き動かす衝動は、本当にそこまでの意味があるものか? 止まれ、止まってくれ、灰月仁。オマエが意識を手放せば、この不毛な戦いはすぐに終わる」


「そうですか。じゃ、まだまだ不毛な戦いとやらにお付き合いいただきましょう」


 橙彩る暗がりの中で踊る二人。拳が交錯し、言葉が突き刺さり、思いはすれ違う。焦げた匂いの戦場で、泥臭く殴り合う。


「そもそも、私が組織から逃げ出さないのは精神的なものだけじゃない! 逃げれば、背けば、呪いが私の命を奪い取る!」


「……ッ! それでも、何か方法はあるはずだ! ネージュだって……」


「ガキが! 何の手段も持たないクセに、希望を語るな! それに私はネージュじゃない、神様は罪人に救いなんて用意してないんだよ!」


 横顔を打ち抜くカレンの拳。脳が揺らぐ、ふらつく足で踏ん張り、彼女の腕をつかむ。


「私に、触るなァ!」


 投げ飛ばそうとした仁は逆に投げ飛ばされて、廃墟の壁へと一直線。が、勢いそのままに仁は壁を蹴って飛び込むと、カレンを弾き飛ばす。

 追撃を仕掛けようとした仁の前に現れるのは炎の波。体を軽く炙られながら、仁は後ろへと飛び退く。


「いいか、仁。これは魂に刻まれた刻印マーキングを元に対象を殺す魔術だ。例え、ネージュが私の体に触れたとしても、消えはしない」


 辺りに燃え広がった炎が二人を照らす。黒煙が青空を覆い隠し、熱が呼吸と共に肺を焼く。さながらそれは十年前の再現のごとく。


(早く決着をつけないと俺が不利だ。先輩には炎が効かないだろうし、動き回る度に俺は一酸化炭素で体が動かなくなる。そうなれば焼死は避けられない。撤退は……そう甘くないか)


 仁の来た道はすでに火の海。逃げるにしても、カレン自身が行く手を阻む先に行かなくては退路は存在しない。


「我が名はカレン。我は傾ける者にして焼き尽くす者。憎炎よ、我が身を焼き、我が敵を焼き、写る全てを飲み込み、溶かすがいい。——『悪狐炎舞あっこのたわむれ』」


 カレンを取り囲むように浮かぶ狐の頭。燃える双眸はじっと仁を睨みつける。


(勝負は一瞬。炎を避ける。そして逃げる。それだけに集中しろ)


 仁が両足に力を込めた時——雨が降った。


 バケツの水をひっくり返すような、打ち付ける、一人の少年が降り立つ。


「困るな、カレン。ここは街の中なんだ、不用意に目立つ行動は避けるように命令していたはずだけど」


 紺色のローブを羽織り、フードを目深にかぶった少年は底冷えする声音でカレンに告げた。

 彼の背には鞘に収められた身の丈程の大太刀が背負われている。仁と同じくらいの年頃に見えるが、全身からあふれ出る冷たさ、それは仁なんかとは比較にならない強者の気配を漂わせていた。


「申し訳ありません」


「それにこれ、意味のない戦闘に見えるんだけど。俺は『煤日ユウ』の追跡を命じただけでこんな三下相手に……いや、ははっ! なるほど君が灰月仁か。これは面白いことになった。今回のお仕置きは無しにしよう」


「俺は全然愉快じゃないが?」


「まぁ、そういうなよ。少し話をしようじゃないか」


 後ろに走れば退路はある。しかし、目の前の相手が仁を逃がしてくれる程度の実力とは思えない。事実、少年は今も大太刀の柄に手を掛けたままだ。


「お前、さっきお仕置きとか言ってたよな。どういう意味だ」


「真っ先に食いつくのそこかぁ。言っとくけど、俺に無理やり襲ったりする下卑た趣味は無いから。罰として痛みで覚えてもらうだけさ」


「どのみちクズだな」


「ま、否定はできないね」


 目の前の存在を受け入れられない。仁にとって、主義主張の違いとかじゃなく、生理的に嫌悪感が湧くのだ。


「お前は誰だ。星慧教の工作員なのか?」


「いいや、そんな雑兵と一緒にしてもらっちゃ困るなぁ。これでも俺は星慧教の実働部隊を仕切る人間でね。分かりやすく言えば、異端審問所における使徒みたいなものかな?」


「テロリスト風情が使徒を名乗るとは笑わせる」


「俺に言わせれば、使徒なんてただの天才人殺し集団だけどなぁ」


 使徒を貶める発言をしたのは気に食わないが、少年の放つ圧は確かに使徒と同じ、命を撫でる冷たく重いモノ。武器を手にした頼光と同じ、数えきれないほどの命を斬った経験無くしてはありえない。

 仁は拳を握る。二対一で圧倒的に不利。逃げるとしても、隙を作らなくてはこの路地から出ることも出来ないだろう。


(でも、ここは都市の中。俺がそうであるように相手も檻の中にいるのは同じ。この状況さえ切り抜けられれば、何とでもなる。モルテさんもいるんだ、たとえ使徒が相手でも勝てる。考えろ、上手くやればここで星慧教の戦力を大幅に削ぐチャンスだ)


 思考を巡らせ、どうすればこの局面を打開できるか必死な仁を見て、少年は笑う。自分のしっぽを追いかける犬を見ているかのように。


「頑張ってるところ悪いけど、俺はここで仁、君と戦うつもりはないよ。ここに来たのは独断専行で戦闘行為をした部下の回収……そうだ、丁度いい。君には走狗メッセンジャーになってもらおうかな」


「何?」


「俺たちは今夜、怪異の大群と共に甲府の街を攻め落とす。——宣戦布告はこんなかんじかな? それでは精々足掻いてくれたまえ」


「ふざけやがって!」


 少年に迫る人狼の鋭爪。が、それが届く前にカレンが立ちはだかる、よりも先。鞘を着けたままの大太刀が仁を捉えて、打ち返す。


「なぁ、仁。俺から一つアドバイスだ。『短気は損気』って言うんだぜ。賢く考えろよ。今はどうすべきだ?」


「言われなくても分かってるよ、畜生」


「体が勝手に動くタイプか、損だなぁ。あと、畜生はどちらかといえば君だよ」


「——うるせぇ」


 力が入らず全体重を脆い壁に預ける仁。悔しいが今は動けないし、動くべきではない。


(せめて、匂いだけでも覚えて……は?)


 嗅覚に全神経を集中する仁だが、捉えたのはコンクリートの焼けた焦げ臭さとカレンと仁の匂いだけ。目の前の少年の匂いが無い。


「では、また後程。今度は戦場で殺し合おう、灰月仁。行くぞ、カレン……聞いているのか」


 仁を見つめるカレンの首筋を撫でる少年。カレンは「ひっ」と小さく声を漏らす。


「その命は誰のものか良く考えた方が良い。確かに、組織にとってお前は替えの効かない駒になったかもしれないが、殺されないとは言ってないぞ? 不利益を働くようであれば、契約の発動を待たずに、俺が首を刎ねる」


「申し訳ありません……決して組織に不利益となることは致しません。ですから、どうか……」


 恥も外聞もない命乞い。それも、自身を未だ『先輩』と呼び、慕ってくれる仁の前で、だ。自分を憐れむ気力すら起きない。ただ、この場を乗り切るために、カレンは心を空っぽにする。


「よろしい。では、引き続きユウの捜索及び処分に戻れ」


「……はい」


 仁に背を向け、路地の奥へと消える二人。それを彼は見ていることしかできない。追うことは出来る。手足の感覚は戻ってきた。だが、異端審問官として許されることではない。今出来ることと為すべきことは違うのだから。


「襲撃のことをモルテさんに伝えないと……クソッ!」


 拳が大地を叩く音だけが路地裏へと響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る