五十七話『火種』

「次は何を食べようかしら。仁は何か気になるお店ある?」 


「ネ、ネージュ。ちょっと俺はもう食べられない……うっぷ」


 かれこれ三時間は甲府の街で食べ歩きしっぱなしの二人。食べ盛りの仁でも、食べすぎで動けなくなりそうだ。これまでに、ほうとう、もつ煮などなど、甲府の名物は全て食べつくしていた。


「なら、少し休憩ね。私も慣れない服で疲れちゃったし」


 妙さんから借りた振袖を纏うネージュは普段とは違う魅力がある。銀の髪と白を基調とした振袖、そこに繊細な華の刺繍が合わさり、雪解けと春の到来を思わせる圧倒的な美貌。昔ながらの和装など甲府では珍しいものではないが、これほどに美しいとネージュを目で追ってしまう群衆も多い。


「ネージュは目立つなぁ。綺麗だし、そりゃそうか」


「——っ!」


 突然、仁からこぼれた言葉に頬を赤くするネージュ。仁はキザな台詞を吐いた自覚は無いようだが。


「仁だってカッコいいけどね」


「お、褒めても何も出ないぞ」


 もちろん人々の目を一番に奪うのはネージュだが、その隣にいる仁も注目されるのは避けられない。

 黒い髪に金の瞳が陰のある雰囲気を、左目の泣き黒子が色気を漂わせ、少年らしさをわずかに残しながらも精悍な顔立ち。黒いコートを羽織る引き締まった体つきは、新進気鋭の若い将校を思わせる。隣にネージュさえいなければ、何人もの女学生に声をかけられただろう。とても十五歳には見えない。


「どこかに座れるところは……」


「この先に広場があるみたいだし、そこで休憩にしよう」


 小高い広場のベンチに腰掛ける二人。甲府の繁華街がよく見え、この小さな都市にも沢山の人々の生活があることを知らせる。新門ほどではないが、ここにも様々な姿の人々が行きかっているのだ。


「新門でも思ったけれど、人の熱気はすごいわね。冬でも街の中はずっと春みたい暖かいまま……想像だけど」


 春みたい、と言ってみたネージュだが、彼女は春を知らない。知識としての春なら知っているが、本当の春を感じたことが無いのだ。研究所の白と雪の白、穏やかな緑も、泣きたくなる青も、鮮やかな紅にも、まだネージュは出会っていない。


「試験の結果次第で……私は一生、冬以外を知らずに死んでしまうかもしれない」


 ネージュが生き残るためには、異端審問所に自身の価値を示さなくてはならない。それが出来なければ、異端審問所は容赦なく少女の命を奪う。穏やかな時間を過ごしても、頭の片隅にはずっとそれが在って、不安でしかたなくて、何かに縋らないと夜も寝られなくなる。


(——もうすぐ仁とお別れになるのかもしれない)


 そんなことにならないよう、ネージュなりに戦えるよう努力は重ねているつもりだ。だが、努力すればするほど、報われないことへの恐怖は募っていく。無慈悲にすべてが無駄になる、そんな予感が心をむしばみにくる。


 パンッ、仁は手を叩く。


「はい、そんな暗い話は止め! せっかく楽しい時なんだから、今を目いっぱい楽しむことに集中するべし!」


「——そうね、仁の言う通り。今はしっかり楽しむべきよね」


 上手く切り替えたらしく、ネージュの顔に笑顔が戻った。やはり、彼女には涙や不安よりも微笑みの方が似合っている。


「喉乾いたし、何か買ってくるけど、ネージュは何が良い?」


「仁と同じので」


▲▼▲


 繁華街の雑踏の中を歩きながら、はぁ、とため息を吐く仁。脳裏によぎるのは先ほどの思い悩むネージュの姿。気にしないように出来るかと言えば、無理だと答える。


「なんて、俺もネージュのことは言えないな」


 仁だってネージュ別れる可能性があることは分かっている。それから目を背けるべきでは無いことも。


(落ち着け、今出来ることを考えろ。出来ることは少ないが、無力じゃないだろ)


 武器を作ることでネージュの助けにはなれる。直接的でないのが歯がゆいが、今はそれしかない……何もできないよりは遥かにマシだ。


「コーヒーがあるな。あそこにするか」


 繁華街の一角にあるドリンクショップ。種類は様々で見たこともない色の飲み物が並ぶが、無難にコーヒーを注文する仁。彼の経験上、こういう時に冒険するとロクな目に合わない。


「おや、黒いコートの異端審問官とは珍しい」


 商品を待つ仁に声をかけてきたのは後ろに並んでいた男だった。浅黒い肌に、黒い髪。だが何よりも特徴的なのはその瞳。まるで星空のように美しく、底知れない黒い瞳だ。十字教の関係者にしては独特なデザインの黒いカソックに身を包んでいる。神父ではあるはず……それにしては右手に新聞紙を持っていたり、妙に俗っぽいのだが。


「これ、命の恩人から貰ったものなんです。えっと……神父さん?」


「ええ、神父ですからご安心ください。決してコスプレ趣味がある訳ではありません」


 この神父といい、モルテといい、一般的な神父像から大きく外れた人物にあったせいで仁の中での『神父=厳格』の図式が崩れつつある。破戒僧は思いのほか多いのかもしれない。


「神父さんはこの店に良く来られるんですか?」


「いえ、今日が初めてなのですよ。これからコーヒー片手に雑踏の中で日課の新聞を読もうと思いまして。——それにしても貴方の雰囲気は独特だ。私も多くの人間と出会ってきましたが、その中でも別格。つい声を掛けたくなってしまう程です」


「そうですかね? 別に普通ですよ」


 取り留めのない会話を続ける仁と神父。

 彼と話していると不思議な感覚に陥る。つい先ほど出会ったばかりのはずなのに、親しい友人と話している時を思わせる、凪いだ海のような気分になるのだ。カリスマというのはきっと彼のことを指すのだろう。


「いいえ、貴方からは芳醇な死の香りがします。常人には想像もできない程、多くの死に触れた経験があるのではないですか?」


「……あるかないかで言えば、ありますね」


「失礼ですが、貴方も『東京』の?」


「アレ、知ってる人でしたか」


 この世の全てを灼き尽くす白い焔。仁の知りえる最悪の地獄にして、『灰月仁』という一人の人間が生まれた場所、『東京』。あの地獄から生き残った者にとって、それは忘れられない光景だ。


「私もあの日、東京にいました。そして、焔に飲まれた街の中を彷徨さまよい歩いた記憶は昨日のことのように思い出せます」


「俺も似たようなものです。この黒いコートはその時俺を助けてくれた人のもので」


「なるほど……少し触れていいでしょうか?」


 コートの袖を何度か撫でる神父。「やはり」と呟いて、


「このコート、極めて強力な祝福……いえ、呪いといった方が適切かもしれません。随分あの白い焔の本質に近いところで灼かれたようだ」


「それはどういう?」


「途方もなく巨大な力、その残り香を宿すものということです」


 十字教の聖典に『権能神の力を受けた物品は、受けた力の一端を宿す』という記述がある。神父の言いたいことは恐らくソレだ。神代では珍しくなかったとされる『神具』だが、現代に残るのは博物館の中だけ。コートはそれに比肩する品であるらしい。


「ところで、そんな地獄を生き延びた貴方に、この世界はどう映りますか? 人々は必死に生きようと足掻き、しかし終わることの無い悲劇の輪廻に捕らわれた世界を。いっそ、生まれるべきではなかったと思いますか?」


 神父の問いは重い。少なくとも仁にとっては。何も知らない幸せな者なら、「そんなことはない」と即答できる。が、仁は多くを知っている、普通では受け止めきれないほどの世界の理不尽さを知っているのだ。

 ほんの少し、一拍だけ間を置いて、仁は応える。


「確かに苦しいことだって沢山ありました。生まれた時から地獄の果てで、それからも必死に足掻いて足掻いて、毎日を生きてます、楽なんかじゃなかった。でも、俺は人に恵まれている。良い友人と、そしてネージュに巡り会えたんです。——彼女に逢うためなら、俺は何度だって地獄を乗り越えて見せます」


「面白い答えです。変わらぬことを願っていますよ」


 笑う神父。その笑みを仁はどこかで見たことがある気がした。


「あなたは一体……」


「そうですね。折角です、名乗りを」


「——ッ!」


 神父の口が開いたと同時、仁はその姿を見た。雑踏の中を通り過ぎる鬼人の少年『煤日ユウ』の姿を。


「ごめんなさい、俺行きます!」


 駆けだす仁の後ろ姿を追いながら神父は呟く。心底残念そうに、しかし、心底楽しそうに。


「運がいいですね。ここで始めても良かったのですが後ほどとしましょう。さて、アレが貴方の切り札ですか? 信長」


▲▼▲


(クッソ、匂いが多い。嗅ぎ分けられない。姿は見失ったし、これだけが頼りだってのに)


 見失ったユウを探す仁だが、ここは繁華街。人が多い上に、食材の匂いが強すぎて彼を追うのは至難の技だ。


(上から探すか? いや、どうせこれだけ人がいるんだ。それに目立つことは避けた方が良い、か)


 ただでさえ匂いしか頼るものが無いのに、ビルの上に上がれば、その匂いすら失うことになる。少ない手がかりを自分から手放す程、仁は馬鹿ではない。


(多分こっち。よし、いいぞ。路地裏に入ったな)


 匂いの続く先は暗い路地裏。人がいないため匂いが混ざることは無いし、異能を全力で使っても問題ない。むしろ好都合だった。

 強くなっていく匂いを頼りに、廃墟のヒビの入った壁を蹴り、割れた窓を潜り抜け、一塊の黒い風となって駆け抜ける仁。


(そろそろか。匂いが……え、消えた?)


 辺りをキョロキョロと見まわす仁。しかし、何か新たに手掛かりになりそうなものは見つけられない。ユウの痕跡はここで完全に消えている。


「どうする。いや、もう少し先に進んでみよう」


 路地の更に先へと歩を進める。たどり着いたのは廃墟と廃墟の隙間にひっそりとある広い空間だった。空は見えるのに日の光は差し込まず、昼間でも薄暗く寂しい場所だ。檻のような閉塞感さえ覚える。


(これ以上は無駄か……うん?)


 仁の視線の先、路地の向こうから歩いてくる黒い影。


「ユウ……なのか?」


 問いに応えは無かった。だが、仁の本能は察知していた——目の前の黒い影はユウではないことを。

 体が強張る。剣槍もチェーンソーも武器は何一つとしてない。加えてここは人混みからかなり離れている。助けは期待できない。目の前の存在が、人間なのかすら分からないが、敵であることは間違いない。本能が煩いくらいに警鐘を鳴らすのだ、「ここから逃げろと」。


「アンタ誰だ。こんなところで何をしてる。浮浪者だとは言わせないぞ」


 その時、仁のよく知る匂いがした。ユウよりもずっとずっと長い付き合いだった。あんな別れ方をしたのだ、二度と会うことは無いと……いや、それは正しくない。もう二度と味方・・として出会うことは無いと思っていた相手。


「——カレン、先輩?」


「どうしてオマエがここに居る、仁!」


 

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