五十九話『戦支度』
「にわかには信じたくないことですが……」
「しかし、事実なのだ。受け入れるしかあるまい、
「『極東戦役』のような地獄がまた起こるなど、簡単に受け入れられはしませんよ」
冷静なモルテに対して、威士塚は蓄えられた
彼が少将の地位に就けたのは、『極東戦役』での功績が大きい。今の極東軍で重要な役職に就いている者のほとんどがそうだ。
威士塚は今年で四十五歳、世界から見れば将官として破格の若さだが、今の極東軍では珍しいことではない。十年前の戦争、そこでは人が死にすぎた。彼と苦楽を共にした同期たちも、信頼していた上官たちも、慕ってくれた部下たちも、守りたかった無辜の人々も、彼をおいて逝ってしまった。
「気後れするなよ、上官たるもの部下のために強くあらねばならない」
「わかっております、モルテ閣下。これでも伊達に極東軍人として生きてきた訳ではございません。強大な敵を前にしても、無辜の人々を守るため、最期まで戦う覚悟は常に出来ております」
「ならいいが。ただし、時には戦略的撤退も頭に入れておくように」
モルテの忠告など言われずとも分かっている。
『極東戦役』を指揮官として潜り抜けるには、運があっても無能では不可能だ。万全には程遠い物資、練度不足の新兵、不確実な情報。異端審問官すら容易に死ねる戦場で目的を果たすためには敵に背を向ける判断も必要だった。
「ところでモルテ閣下。あのネージュという少女、異端審問官でもないのに最前線に配置するというのは……もちろん、閣下の子飼ですので実力は疑いませんが」
「何、
「天使……ですか。猫の手も借りたい今は願ってもないことですな」
執務室の机の上に広げられる地図。甲府周辺の詳細な地形情報まで書き込まれた将校の必須アイテムである。
「今観測出来るだけで、防衛砲の射程限界付近に一万を大きく上回る数の怪異が確認できます。現状であれば都市の全戦力を以ってすれば対処可能ではありますが……」
「問題は星慧教の幹部か」
「灰月異端審問官の報告によれば使徒に匹敵する戦力。加えて、怪異が作戦行動をとっていることから『ナイ神父』がいると見て良い。……まったく、悪夢でも見ている気分です。使徒級が二人とは……」
「仕方がない。二人に関しては私が対応しよう。軍は全戦力を怪異の掃討に充ててくれ」
「ですが、いくらモルテ閣下といえど使徒二人は……」
「私は十年前まで最強の異端審問官だった男だぞ。殺したいのであれば使徒を四人は連れてくることだ」
不安げな進言など意に介さず、不敵に笑うモルテ。
超越者たる『使徒』もすべてが等しい実力の持つ訳ではない。十二人の使徒の中でも一位、二位、そして九位は別格の戦闘力を誇る。使徒としての等級など
「それに私の心配ではなく、部下の心配をしてやれ。『
「ご心配なく。職人総出で事に当たらせておりますので五十機全て問題ありません。加えて件の灰月異端審問官のお陰で新型の調整の間に合いそうだとか。軍の外部協力員としてこの都市に欲しいくらいですよ。……私も久方ぶりに魔導甲冑で前線に上がる、血がたぎります」
「おい、総指揮官であることを忘れるなよ。出るなとは言わんが、砲撃戦装備で援護くらいにしておけ。指揮系統の麻痺から都市滅亡など笑い話にもならん」
「さすがにそこまで愚かではありません。戦場の華は信頼できる部下、この都市のエースパイロットに任せることにいたしましょう」
「……かつての
変わり続ける人々と変わらない自分にモルテはため息を吐いた。
▲▼▲
「どうです、嵯崎さん。一通りバランスよく調整しましたが」
「最高だ、仁。これなら二級が相手でも負ける気がしない」
二人が向ける視線の先にあるモノこそ『
「でも、まさかこんなにレアな魔導甲冑の整備をする機会があるとは……嵯崎さん、なんで商隊護衛なんてやってたんです?」
「人手が足りず仕方なくな。いくら『
その装甲の薄さは「あれは装甲じゃなく風よけの整流板」だの「ここまで薄い鋼板を作れるのは極東の世界屈指の技術力の証」だの皮肉交じりでロクな評価を受けていない。幸い脱出装置は付いているので、『北冠連邦』のソレのように「自走型棺桶」の汚名は着せられていない点はまだマシだろう。
しかし、甲府のエースパイロット『嵯崎征一』の駆る魔導甲冑は、そんな量産品ではない。
「去年ロールアウトしたばかりの少数先行生産機『
仁も授業で零戦の整備をしたことのあるため、同規格の烈風も整備は可能だ。しかし、烈風に付いている
「これ、絶対に量産できませんよ。基礎設計は優秀ですけど、操作性は劣悪だし、出力が高すぎて乗り手を壊す機体です」
「そうか? 俺は気に入っているんだが」
魔術素養の乏しい者に異端審問官並の戦闘力を与える魔導甲冑だが、これも誰もが扱えるものでは無い。急速なスピード変化や激しい上下移動に耐える体力、モニタに表示される無数の情報から最適な行動を選ぶ情報処理能力、怪異の群れに対して先陣を切る精神力、など求められる技能は多く高水準。
生まれ持った魔術の才能という絶対的なハンデを覆すために、文字通り血のにじむ努力を積み重ねた一握りだけが、魔導甲冑のパイロットとしての資格を得る。だが、異端審問官を上回る努力を積み重ねる彼らでも、魔導甲冑の力を借りてようやく異端審問官と同じ土俵に上がれるに過ぎない。
才能の壁は大きく、そして無慈悲だ。現に最新鋭の烈風ですらカタログスペック通りの限界速度を出せても、仁の全力には遠く及ばないように。
「こいつは良いぞ。俺が零に乗っていた時に欲しかった機能はすべて揃っている。エースに配備するには良い機体だ」
「全く、コイツ変な機能が山盛りで整備の手間が掛かりすぎます。俺たち職人のことも考えてください」
と、そんな二人の元にネージュがおにぎりをバスケットに入れてやってくる。
「仁、はいこれ。私は手伝えないけど、作業頑張ってね。嵯崎さんも頑張ってくださいね」
「ありがとう、いただきます」
手渡されたおにぎりを頬張る仁。梅干しの入った大きなおにぎり、不思議とそれは優しい味がした。
「おーい、嬢ちゃん! もう一つ頼むよ!」
「こっちももう一つ!」
「皆さん、今行きますから、待っててください!」
格納庫をバスケット片手に駆け回るネージュ。すっかりアイドル的存在になっているようだ。
「ほう、美味いな。あれは将来良い嫁さんになるぞ、仁」
「どうしたんです、急にそんなことを言うなんて」
「なに、二人がそういう関係なのかと思ってな」
「……違いますよ。戦闘前にこんな気の抜けるような話をするのはどうかと思いますが」
「逆だ、仁。戦闘前だからこんな話をするのさ。心の底から生きて帰りたくなるだろ?」
その時、鼓膜を引き裂くような轟音が鳴り響く。合図と共に空気が変わり、誰もが真剣な眼差しへと変わった。兵たちは出来る限りの速さで、自身の役目を果たしに向かう。
「時間らしいな。そっちは頼むぞ、仁」
「任せてください。嵯崎さんこそ……ネージュのこと、頼みます」
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