四十六話『向かい合って、寄り添って』
食卓に並ぶのはハンバーグとポテトサラダにご飯とみそ汁。見事にネージュの好きな料理しかない。本当はバランスを考えてもっと野菜を入れたい仁だったが、ネージュが苦手なため却下となった。
「いただきます」
相変わらずの綺麗な手つきでハンバーグを口に運ぶネージュ。硬い表情のまま料理が次々と胃袋に消えてゆく。
「どうかな……美味い?」
口の中のご飯を飲み込んでから少し間を置くネージュ。またしても気まずい沈黙が二人の間を流れる。
「……美味しいに決まってるでしょ」
「そうか、良かった」
たったそれだけの会話。けれど、それだけで二人の間を流れる沈黙は意味を変える。暖かな空気が広がる、そんな気がした。
「ネージュ、おかわりあるけどいる?」
「……いる」
渡された茶碗に湯気を立てるご飯を盛る仁。食べ盛りの仁でも食べきれない山盛りの白米だがネージュにかかれば三分もたずに胃袋に収まるのだから驚きだ。一体その栄養はどこに行くのだろうか。
「仁、私に気を使ってるでしょう?」
「いや……そうだな」
「どうして?」
仁は手を止める。自分の思いを、弱くてみっともない自分の姿を彼女に見せてどう思われるかを考えてしまう。
「俺さ、怖いんだ。また、ネージュがどこかに消えるんじゃないかって不安で。そんなことないって、俺がそんなことさせないって思ってるのに、怖いんだよ」
我ながらみっともなさの極みだと思う。そして、ネージュはこんなみっともない本音でも軽蔑したり失望したりなんてしない、と確信している自分がいる。そんなネージュに仁は甘えてしまう。例え、他の誰の前でみっともない姿を晒したとしても、彼女の前だけでは灰月仁は最高に格好良くいたいと思うのに。
「あなたが、私がどこかに行ってしまうことを恐れているのは知ってる……でも、それと同じくらい、私もあなたがどこかに行ってしまうのが怖いの」
その言葉が来ることを仁は知っていた。だって仁にとってネージュが大切なように、ネージュにとっても仁はたった一人の掛け替えのない存在だから。
「俺はどこにも行かない、君が望む限り、君の傍にいるよ」
「だったらそれは私も同じ」
ネージュと仁は向かい合って互いに瞳を見つめあう。その時、仁は今にも泣きだしてしまいそうなほど潤んだネージュの眼に初めて気が付いた。
「そうだな。分かったよ」
ネージュは仁に言葉を返しはしない、ただ大きく頷いた。
「ありがとう、ネージュ」
仁は手を合わせる。この世界にいつの時代も変わらない幸せがあるとするなら、大切な人とご飯を食べるのはきっとその一つだろう。
▲▼▲
「本当に一緒のベットで寝ていいのか?」
「もう、私が一緒に寝たいからいいの!」
ネージュはダークブルーのキャミソールに着替えており、風呂上がりのためにさらけ出された肢体はうっすらと赤みを帯びて色っぽい。まだ湿り気を残した髪からは、ほんのりと花の香りがした。
「その、ネージュ……一緒に寝るのはいいけど、俺は離れて寝るから」
「また気を使ってる?」
「違う。けど離れてないと心臓が爆発して死にそうなんだよ」
「そう……でも、ゆっくり慣れていけばいいから」
「ネージュ、今の言い回しは少しヤバいような……」
首を傾げるネージュ。生物学的な性知識は豊富な彼女だが、スラング的な性知識についてはゼロと言っていい。
なので、無自覚にそういう発言をしてしまうことがある。十五歳のいたいけな少年には刺激が強すぎる十六歳の美少女だ。
「それとネージュ。俺がベットで寝るのは今日だけだ。明日は布団を買いに行く」
「……残念。もっと一緒に寝たかったのに」
「俺は布団派なんだよ」
仁はベットに潜り込むと目を閉じる。静まり返った部屋に二人分の吐息だけが響く。それが妙に気になって、なかなか寝付けない。
(いつか絶対、信長に文句言ってやる)
薫から聞いた人物像も酷いものだったが、今までの経験から仁の中で信長の評価が更に下がる。ネージュを利用するためとはいえ助けてくれようとしたのは感謝しているが、人間性は愉快犯的な面の強い人物だ。尊敬は出来そうもない。
(……やっぱりいい匂いだ)
ネージュに背を向けて寝ている仁だが、彼女の髪から漂う香りが後ろにいる少女の気配を伝える。窓から入る星の光しかない薄明かりの部屋だからか、感覚が研ぎ澄まされて彼女がそこにいることを強く感じてしまう。
(待て待て。心頭滅却すればなんとやら、だ。理性を保て、男としてそれはダメだッ!)
ものすごくエロい方向に思考が飛びそうになるが、それを急いで転換。できる限り健全なことを考えて雑念、というより煩悩を打ち払う。
(そうだ、俺は異端審問官になれたんだ。まずはそれを喜ぼう。それからネージュの試験だな。英士にでも聞いてみるか)
問題は山積みで考えれば考えるだけ出てくる。明日からも息つき暇もないほど忙しい日々に戻るのだ、と思ったところで仁はその音に気が付いた。
(……うん?)
後ろから小さいが布が擦れる音がする。まるで何かがゆっくりと近づいてきているような感じだ。仁が後ろを振り返ろうとした時、柔らかい感触が背中を襲う。
「——ッ!」
ベットから転がり落ちそうになる仁を伸びてきた白い肌の手足が、逃げられないようガッチリと彼をホールドする。振りほどこうとするが仁よりもネージュの方が力が強いのだ。仁の抵抗むなしく、ネージュの優位は揺るがない。
「ネージュ、流石にこういうのは……」
「仁、暴れないで。じっとして」
(く、食われる!)
猫に襲われるネズミのように、半ば覚悟を決めかけていた仁だが、ネージュは彼に何もしない。どうやら添い寝がしたいだけのようだ。
それだけでも首筋を熱っぽい吐息が撫でたり、背中に押し付けられる柔らかさだったり、なぜか胸元を撫でられたり、十分すぎるほどに彼の理性を溶かしに来るのだが。
「それじゃあ、おやすみなさい、仁」
「え、うん、あ、おやすみ」
そう言って眠ってしまったネージュだが、その肢体の力は強く、やはり仁では引きはがせない。つまり今日は、このままという訳だ。
(いや、おやすみできるかぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!)
見るだけなら何とも羨まけしからん状況だが、実際は人として超えてはならない一線を死守するために、神経をすり減らさなくてはならない。
こうして長い夜が明けるまでの激闘が始まった。
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