四十五話『新居にて』

「ここだよな」


「ええ。目の前の家が指定された住所のはず」


 仁とネージュは信長から渡された紙を確認するが、書かれた住所に間違いは無さそうだ。


「こんな大きい家が三日で立つのか」


 目の前に広がるのは築二時間、三階建ての和風の邸宅だ。艶やかな塀に囲まれた敷地には広い和風庭園に満開の桜の木まで咲いている。手入れが大変なことを除けば高校生二人で住むにはもったいない豪邸である。

 現在二人がいるのは異端審問所極東支部の城下町といえる場所だ。ここは無数の高層建築の楽園である表向きの新門の街とは違う。薄暗い空に無数の星々が輝き、どこまでも続く浅い湖の上に作られたこの街こそ真の異端審問街『新門』だ。

 信長曰く、ここは極東支部が所有する遺物オーパーツによって作られた別空間に存在するらしい。


「と、とりあえず入ってみよう」


「えっと、これはノックとかした方がいいのかしら……」


 二人ともこれまでの人生でこんな豪邸に縁がなかったため、自分達の家なのに、初めて人の家に上がる子供のような挙動不審さだ。

 門の前で覚悟を決めるために立ち尽くすこと五分。二人はようやく明るい色をした木製の巨大な門をくぐることを決めたのだった。


 二人を出迎えるのは両脇に満開の桜の木が植えられ、上等な砂利が敷き詰められた玄関まで続く道だ。魔術によって咲いたままの桜が星の光に照らされて青白く光っている。


「すごく綺麗。こんな家に住めるなんて夢みたい」


「……ああ、本当に綺麗だ」


 見たこともないほど美しい光景の中を踊るように駆けていくネージュ。そんな幻想的な景色の中に舞う傾世の美少女を目にして呟く仁。

 そんな桜並木を抜けた二人は玄関の扉を開く。


 広がるのは暖かな色合いの廊下。信長の趣味を考えると金箔で飾られた悪趣味な内装が出てくる可能性もあったが、それは回避できたらしい。


「お、お邪魔します……」


 自分たちの家だが抜き足差し足で進む二人。

 一階は大広間や物置、武器の手入れを行うための簡素な作業部屋などがあり、地下一階の訓練場に続く階段、あとは用途不明のカラクリ仕掛けくらいで、生活に必要な設備は二階にあるようだ。


「なんでこの家は回る壁だの、天井裏への梯子だのがあるんだ……何に使うんだよ」


「そう? 私は忍者屋敷みたいでかっこいいと思うけど……」


 この様子だと脱出用の隠し通路もありそうだ。一体、この家の設計を行った人物は何を考えていたのか。

 そんな頭のおかしい一階を後にして、やってきた二階は和風だった今までとは異なり、とてつもなく広いこと以外は普通の家と変わらない。


「最新型のテレビに洗濯機、システムキッチン! ここは天国か?!」


 備え付けられた最新の家具に思わず大喜びする仁。三種の神器を手に入れた少年のテンションは空へと舞い上がる。喜ぶポイントが少年というよりは、明らかに主婦のソレだが……。

 あとは書斎と空き部屋があり、二人は三階へと向かう。


「三階には何があるのかしら?」


「寝室や物置とかじゃないか?」


 二人は階段近くの扉を開き、部屋の中へと入った。

 そして、一瞬思考が止まった後、灰月仁は叫ぶ。


「信長めぇぇぇぇぇええええッ!」


 三階にあるのはこの部屋と物置とバーベキューができそうな広いバルコニーだけだ。

 そして寝室には大きなベットが一つだけ。つまりは、


「なんで、その……同じベットで寝ることになるんだ!」


「私は気にしないけど? そもそも同じ家で生活してるんだから一緒に寝ても何も問題な」


「大ありだ!」


 ネージュの言葉に被せるように仁は反論する。確かに今まで二人同じ屋根の下で暮らしていたが、添い寝をしたことは一度もない。


「でも、布団はないから寮みたいに二人で分かれて眠れないし、私と一緒に仁が寝るしか」


「いいや、俺は二階のソファーの上で寝かせてもらう!」


 と、そこまで言って仁は頬を膨らませるネージュに気が付く。その瞳は心なしか潤んでおり、少し怒っているようだった。


「ごめんなさい。仁は私と寝たくないのに……」


「——ッ、そういうことを言いたいんじゃなくて」


 お互いに何も言えない。居心地の悪い沈黙だけが残る。そして二人は逃げ出すように三階を後にした。


▲▼▲


 仁は書斎で本を読んでいた。読みたい本があった訳ではない、時間が潰せるなら何でも良くて、偶然本が近くにあっただけに過ぎない。


 空いた本棚が多いがすでにいくつかの魔術関連の本が置いてあったのは信長の差し金だろうか。あとは異端審問所関連の書籍がある。

 どれも分厚く、時間をつぶすにはピッタリだ。もっとも、ここはいつも夜なので時計がなくては時間感覚がおかしくなりそうだが。


「なぁ、ヴァン。聞こえてるか?」


「なんだい?」


 書斎の机に腰掛けた姿で現れるヴァン。仁とは同世代の見た目ながら、途方もなく長い時間を生きた彼は、人生相談にはピッタリだろう。


「どうすればいいか分からないんだ。相談に乗ってくれ、頼む」


「いいけれど、僕は外のことは分からないから、まずは説明からだ」


 ヴァンに促されて仁はネージュとのことを語る。それをヴァンは何も言わずにただ耳を傾けていた。


「——という訳で。それからネージュと気まずくて……」


 飼い主に怒られた子犬のように小さくなる仁。それを見てヴァンは思わず吹き出してしまう。


「なんだよ。こっちは真剣に悩んでるってのに」


「ああ、ごめん。若いなぁと思ってね。僕がそういう悩みを最後に抱いたのはもう千年以上前のことだったから。一つ簡単なやり方を示すのなら、仁からネージュに謝ればいいんだけど」


「それは……最後にしたい」


 ネージュが悪いなんて言うつもりはないし、自分が悪かったとも言えない。どっちも悪くないはずだ。だから謝って、単純な善悪の問題にして解決なんて仁はしたくなかった。


「だったら彼女の好きな物でも用意して機嫌をとるのが一番だ。好きな食べ物でも二人でどこかに出かけてみたり、そういう小さなことをするのが仲直りの秘訣さ」


「例えばヴァンはどうしたんだ?」


 苦笑いと共に、ヴァンは「君には絶対にないと思うけど」と前置きして、


「三日間の模擬戦だよ。途中で山が五つ消し飛んだ」


「なんだそりゃ……ずいぶんバイオレンスな」


 予想できるわけもないヴァンの経験に仁もつられて笑う。ヴァンに比べれば仁の仲直りは命を賭ける必要がないだけ気楽なものかもしれない。


「あとは君が、ネージュをもっと受け入れるようにすれば良いんじゃないか?」


「……それは」


 仁の表情が再び曇る。仁も自分がネージュを受け入れれば良いことは分かっている、けれど。


「どうしても怖いんだよ。また失うんじゃないかって。家族を失った時の記憶はないけど失ったって事実はあるんだ。そのことを考えると、心に穴が空いた気がして。どんな形が欠けてるかもわからないのに、欠けてることは分かるんだ」


 記憶はないことでも喪失の苦しみは仁を苛み続けている。トラウマはそう簡単に癒されはしない。


「ネージュがいなくなった時、俺は……自分が何で生きてるのか分からなくなって……またネージュがいなくなるんじゃないかって考えると怖くて」


 だからこれ以上、ネージュを自分の大切にしたくない。失った時にもう二度と立ち直れなくなってしまう気がするから。


 でも、同時にネージュに傍にいてほしい自分がいることも仁は分かっている。


「こんな考え、自分勝手だって分かってるけどさ。でも」


「それは間違いなんかじゃないよ、仁」


 仁が自分自身で否定した言葉を、迷いを、ヴァンは肯定する。

 ヴァンは知っているのだから。命に代えても守りたかった大切な人、自分なんかよりずっと生きているべき人を目の前で失う、その時の感情を。胸をかき乱すソレを知っている。

 けれど、彼は最後が悲劇で終わったからと言って、その出会いを否定するつもりはない。


「こういう問題は、今すぐにたった一つの答えに絞る必要はないんだ。この世界にはハッキリしないから、答えがいくつもあるからこそ良いこともある。こういうのは理屈じゃないんだよ。拒絶したくてもなぜか受け入れてしまうものなんだ。だから悩む必要はない。ただ生きて進んでいくだけで良いのさ」


「…………」


 押し黙る仁。ヴァンから受け取ったものを自分の中で繰り返し、心の中へと取り込んでいく。


「いいのかな、それで」


「仁は真面目過ぎるんだよ。なんにでも明確な答えを出さないと気が済まない。確かにそれは好ましい性質だが、それだけでは君が潰れてしまう。たまには肩の力を抜いて、分からないままにしておくのも悪い事じゃない」


「ありがとう、ヴァン。少しわかった気がする」


 明確な答えを得たわけでは無い。それでも仁の心の中で雲が晴れていくような感覚は確かにあった。きっとこれがヴァンの言った明確には答えを出さないということなのだろう。


「じゃあ作るか、メシ」


「ネージュの好物は知ってるのかい?」


「当たり前だろ。どれだけ一緒にいると思ってるんだ」


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