第一章 『瞳に映るは』1998年12月27〜28日

四十三話『秤と錘』

 広々とした部屋。証言台を囲むようにして椅子が並び、空中には魔術によって投影された像が浮かぶ。そんな部屋の真ん中で、灰月仁とネージュ・エトワールは手足を金属の鎖で拘束されていた。


「仁、あの人、本当に信頼できるの? 隠し事の多い人みたいだけど」


「しょうがない。暴れるわけにもいかないし。俺たちは出来る限りの弁明で時間を稼ぐしか」


 目覚めて早々、これから行われるのは異端審問、つまり仁とネージュの命の選別だ。ここでの判決次第で『ネージュ・エトワール』として生きることが許されるか、『破滅の聖杯』として死刑かが決まる。仁にとっても『異端者』として死ぬか『異端審問官』として生きるかの境界だ。


「でも、あの人は時間を稼げって言っていたけど、それで何が起きるの?」


「わからないけど、支部長だって無駄なことは言わないはずだ。それにできる限りの助力はしてくれるみたいだし」


 仁は目覚めてから二時間ですぐさまここに連れてこられた。眠っていた時のことなど覚えていないので、彼の感覚で言えば、ネージュを取り戻すための戦いでボロボロになり、すぐに次の命の危機がやってきたというところ。

 もう少し余裕がある状況ならばマシな考えを出せたかもしれないが、今は出会って一時間と少しで名前も知らない(薫から悪評は聞いている)の支部長が立てた計画に乗るしかない。


(ネージュはこういうの初めてだろうし……俺が何とかしないと)


 仁から見てもネージュの頭の良さに驚かされるばかりだが、彼女には圧倒的に対人経験が足りていない。単純な利害だけでは成り立たない、感情も考える必要のある状況だとネージュはまだ頼りないのだ。

 その時、澄んだ鐘の音が鳴り、低く威厳のある声が響き渡る。


「それではこれより、異端審問を行う」


 声の主は映し出された映像の先にいる初老の男。白髪交じりの金髪に優しげな顔立ちだが彼の緋色の瞳には人を圧倒する強い光が灯っている。派手な装飾こそないが、白いシルクの法衣に身を包んだ彼こそが『イノケンティウス』、異端審問所の本部長にして現在の十字教法王の座にある者。


「まずは事実確認を。異端審問所極東支部支部長『織田信長』、発言を許す」


 仁とネージュはあまりの衝撃に顔を見合わせる。


(織田……信長⁉)


 そんな二人のことなど気にも留めずに信長は口を開く。


「ではまず、十一月二十四日の午後八時ごろ、灰月仁とネージュ・エトワールは新門第二高等学校周辺で出会っていたものと思われる。その後……」


 それから事実確認はたっぷり一時間分は続いた。と言うよりは報告する必要のない事まで語って一時間以上に引き延ばしたというのが正しいか。


(よくもこんな堂々と時間稼ぎできるな)


 助けてもらっている身だが、仁は信長のあまりの傲岸不遜な態度に目を細める。本部長相手にも敬意を示すどころか、形だけの敬語すら使わないのは人として人格に難があるというしかない。


「……以上が『新門事変』の全容である」


「ご苦労。では次に被告人、ネージュ・エトワール並びに灰月仁、両名に対しての尋問を行う。またこの尋問では良心に従い、真実を述べ、決して偽証をしてはならない」


 かつての異端審問所ならば尋問など甘いことはせず、すぐに爪を剥ぎにきただろうが、現在の異端審問所は最高でも精神操作魔術を用いた尋問が主流だ。非合理的な形ばかりの宣誓ではなく、確実な手段を採るのが実に異端審問所らしい。


「では、何か弁明はあるかな?」


 穏やかながら人を押しつぶすには十分なプレッシャーを持った声が二人に襲い掛かる。

 浴びせられる重圧に耐えながら、ネージュは口を開く。


「私はもう、上位存在からの干渉を受けていません。それに世界に対して敵対的な意思をもっている訳ではない。殺される必要はないはずです」


 イノケンティウスは口元のひげを撫でながら、ネージュが言葉に見落としているものを指摘する。


「エトワール、確かに今の君に危険性は無いのだろう、だが明日はどうだ。いつまでも君がまた器としての力を取り戻さないと断言できる?」


 これから起こりうる可能性の話をすれば、ネージュはリスクしかない。仮に器として死ぬまで力を取り戻さないとしても、ネージュの両手に宿る『あらゆる超常を消し去る力』はそのままだ。そして、それだけでも魔術に依存しきった世界を根幹から破壊する力には違いないのだから。


「それに君の身柄を狙った、いや君を生み出した組織にとって君は唯一の成功例だったのだろう。たとえ、もはや神の器でないとしてもデータのために身柄を狙われる可能性は高い。奪われる可能性を考えても今殺した方が安全だ」


 合理的な回答、反論の余地などない。世界を守るためには最適解である。が、そんな回答に黙っていられるほど、灰月仁は薄情ではない。


「さっきからずっと聞いてれば、可能性、可能性。だったらネージュが異端審問所の役に立てる可能性だってある!」


 合理で付け入る隙がないのなら、感情で攻める。灰月仁にとってネージュを救うために啖呵を切ったのは先ほどのこと。その勢いは留まるところを知らない。


「ネージュを狙う組織だってそうだ。狙われるなら逆に利用すればいい。ネージュを狙うなら捕まえて情報を吐かせる。こっちの方がよほど合理的だろ!」


 仁としてはネージュを囮に使うなんてしたくないが、今は心にもないことでもネージュを救えるのなら利用する。


オレも灰月仁と同じ考えだ。ネージュ・エトワールは撒き餌に使える。リスクとリターンを考えてもここで殺すには惜しい」


 ここにいるのは異端審問所の中でも高い地位にいる者達だけだ。ただし、世界を守ることは共通しているが、彼らが一枚岩であるはずも無い。

 そこに投げ入れられた信長の言葉。安全策を取るか、リスクを背負って最良の選択を求めるか。場は二つに分かれ始める。だが、勝負を決めるにはどちらも一手足りない。


「若いな。だが世界というものは若さゆえの情熱と愚直で変えられるものでは無い。そして、老いて初めて知るものだ。変えようとしていた秩序が得難いものであったことを」


 イノケンティウスは吠える仁に向かって微笑む。が、あくまで秩序を守るものとしての態度を崩すことはない。


(どうする、考えろ。俺にできることはなんだ、俺の手札は)


 機を逃さないために残りの一手を探す仁。しかし、足りない。


(クソ、あと一つ、あと一つでいいんだ!)


 そんな仁を見つめながら信長は笑う。彼にとっては今の状況は完全に掌の上、これで笑うなと言う方が無茶だ。


「さぁ、そろそろ遅れてきた切り札が来る頃だ」


 ギィィッ、と重苦しい音を立てながら扉が開く。現れたのは白い髪に眼を覆う白い仮面の男。


「私はネージュ・エトワールの処刑には反対だ」


「な、モルテ殿!」


 イノケンティウスは驚きを隠せない。そして、たった一つの声によって拮抗していた場の空気は一気に姿を変える。


「しかし、モルテ殿はなぜ信長に」


「単純に今回はこのクソ野郎のやり方の方が上手くいくと思っただけだ。それにもちろん無条件とは言わない。ちょっとした試験の是非によって生かすか殺すかを決める。すまないが、ここは私の顔を立ててほしい」


「ですが、撒き餌として使うとしてもリスクが……」


「いや、殺すよりも生かす方がいい。ネージュを生かすことでより大きな危機を回避できるかもしれない」


 モルテの言葉にたった一人を除いて真剣な顔を見せる。七百年前、現在の異端審問所設立当時から今に至るまで使徒一位の座は変わったことがない。異端審問所の歴史そのものともいえる男の言葉は重みが違う。


「私が函館を出発したのが、新門にたどり着くまでに十三体の二級怪異と戦闘になった。もちろん『怪異領域タルタロス』の外で、だ」


 その場の全員が目を見開く。異端審問所にいればあり得ない状況など飽きるほど目にするが、今回のそれは誰にとっても異常だった。

 全ての怪異は『怪異領域タルタロス』と呼ばれるエリアの中で生まれ、外へと広がってゆく。そして外に行くのは殆どが三級以下の怪異である。人類が怪異領域への侵入を行うか、『怪異津波スタンピード』と呼ばれる大侵攻が起こらない限り、単騎で都市一つを滅ぼせる二級以上の怪異と出会うことはない。国土の多くを『怪異領域タルタロス』に覆われた極東帝国ですら、そのルールの例外ではなかった。


「つまりは同時多発的に『怪異津波スタンピード』が起こったということだ、偶然にも新門で『破滅の聖杯』が覚醒したタイミングでな」


「……偶然にしては出来すぎている。そう言いたいのですか、モルテ殿」


「ああ。怪異が統率の取れた侵攻を行った事例は一例だけだ」


 世界を代表する一大軍事国家が滅亡の危機に立たされた歴史上最大の怪異災害。

 静まり返る部屋で、灰月仁はその名を口にする。


「『極東戦役』ッ!」


 死者数は三百万人以上、この国の誰もが大切な人を失った二年間の戦い。異端審問所にとっても使徒の一人を失った最大の汚点。歴史に残る人類のトラウマだ。

 イノケンティウスは机を叩き、頭を抱える。そして自らを落ち着かせるように言葉を絞り出した。


「また……あの戦争が極東で起こると?」


「確実にな。いや、それどころか更に凄惨な事態になる。十年前の神格は前九位が命を引き換えに打ち払ったが、次は十に迫る神格による侵攻があるかもしれない」


「怪異、神格……『星慧教せいえきょう』ですか」


「恐らくは奴らが生き残っていたと考えていい」


 十年前、『東京』を壊滅に追いやった非合法宗教団体。世界にとっての憎しみの対象にして、灰月仁の仇。


「その話は本当か! おい、もっと俺に聞かせろ……聞かせてください!」


「仁、落ち着いて!」


 手足の鎖を引きちぎりほどの勢いでモルテに迫る仁。彼の頭からは冷静さが消し飛び、ネージュの言葉すら届かない。

 が、モルテは暴れる仁の事など気にも留めずに言葉続ける。


「故にだ、ネージュ一人を殺して回避できるリスクと生かして回避できるリスク、そのどちらが大きいか考えれば答えは出るだろう。もちろん、相応の働きができることを証明するために試験を課しはするがな」


 そして最後に、


「あとは、この状況が解決すればネージュを処刑してすべて丸く収まる」


 利用出来るだけ利用して殺す。世界を、秩序を守るため、リターンを最大にリスクを最小にする、人の心のないやり方。


「それならば異論はありません」


 イノケンティウスは落ち着いた声で答えた。発言こそしないがこの場の仁とネージュ以外は同意したはずだ。


「……っ」


「アンタら、一人の女の子を使うだけ使って殺すとか! 何でそんな残酷なことができるんだよ!」


 床を睨みつけるネージュの隣で、仁はあまりに救いのない決断に叫ぶ。


「この世界は綺麗ごとだけでは守れない。世界には光が必要なのだ、例えそれが善良な一人を火にくべておききたものだとしても、な」


 いつの間にか仁の傍に立っていたモルテはそう呟くと、仁の首筋に手刀を落とした。仁の意識は刈り取られ、部屋に響いていた叫びが止む。


「話は終わったか? では我も灰月仁の処遇を決めたいのだが」


 あえて事態を静観していた信長がようやく口を開く。その口調は相変わらず、何を考えているのか悟らせない。


「灰月仁の処遇は決まっているも同然だろう。異能も制御可能、加えて類稀な魔道具職人としての才能がある。こんな逸材を異端審問所の手元における幸運に感謝すべきだろう」


 イノケンティウスはすぐに決断を下した。迷う理由などないのだから。


「では、ネージュ・エトワールについてはモルテ・エスターテに一任、灰月仁は正式に異端審問官として登用を許可。それでは異端審問を終了とする」


 ブチンッ、と派手な音を立てて、投影されていた像が消える。


「よく働いてくれた、モルテ」


「その上から目線は相変わらずだな魔王サマ。もう少し遅れてきてやっても良かったんだが?」


「フハハハハハハハ! それで困るのはお前だろう?」


「——チッ」


 と同時に部屋の戸が勢いよく開けられ、薫と英士がやってくる。


「お父様! 結果は、ネージュさんはどうなるんですか!」


「それは追って話す。まずはこの鍵で鎖を外してやるといい」


 鎖から解放される二人、なお仁は気絶しているため英士に担がれて病室に運ばれていく。回復魔術の使える薫も念のため彼らに付き添っている。信長はさっさと執務室へと戻っていった。

 部屋に残されたのはネージュとモルテの二人だけだ。フラフラと覚束ない足取りで部屋を後にするネージュにモルテの声が刺さる。


「自分が死ぬ運命から逃れられず絶望したか?」


 ネージュは何も答えない。最初からこうなる可能性が高いことを理解していた。でも心で生きたいと思ってしまうのだ。他の誰でもない、灰月仁の隣で。

 モルテは去ってゆくネージュの背中を見つめながら、


「だが、そんな暇はない。足を止めるな、灰月仁の隣を歩き続けろ。アレには君の力が必要だ」

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