第二篇 『開くは黒、示すは紅』

四十二話『先駆け』1998年12月24日

「これは面倒なことになったな」


 重苦しい風の吹く街壁の上で、真っ白なコートを身に着けた男はそう呟いた。

 色の抜けた艶の無い白髪に目を覆う白い仮面を身に着けた、真っ白な男。彼は見えていないはずの目で壁の外の世界を睨む。

 目の前に広がるのは闇に輝く無数の赤い光の川、迫りくる怪異達の瞳が、奴らが城塞都市へと近づきつつある証拠だ。


「で、伝令! 先ほどから新門との通信が途絶、他の都市でも同様に新門との連絡は不可能とのことです!」


 男の元に来た黒い軍服を纏った兵士は、息を切らしながら叫ぶ。十年前のあの惨劇を知る者としては当然の反応だろう。

 が、白い男は驚いた様子もない。まるで致命的な事態など発生しないと知っているかのようだ。


「それで? この都市、『函館』の戦力はどれほど残っている?」


「な……今はこの都市のことより新門の心配をするべきではないのですか、『モルテ・エスターテ』閣下! あの都市に何かあれば極東への損害は計り知れません!」


「そう声を荒げるな。あの都市は落ちん、落ちるとすればそれは世界が終わると同義だぞ。最強の異端審問官と暗躍好きの魔王のいる街だ。心配はいらんさ」


「しかし……いえ、出過ぎたことを申しました。現在、この街の戦力は怪異の襲撃に対処するには十分です。閣下のお手を煩わせることはありません」


 兵士の声と同時に街壁に設置されている都市防衛砲が一斉に光を放ち、怪異の波を打ち砕く。帝国の最北端で迫りくる怪異と日々戦い続けている都市だ、練度の高さは国内でも五指に入るだろう。

 砲撃を潜り抜けた怪異達を待ち受けるのは、優れた連携が可能な歴戦の軍人たちと一人で軍人一部隊に匹敵する異端審問官たち。それは戦いと言うにはあまりに圧倒的すぎた。


「これなら三日は持ちそうだな。私がおらずとも落ちることはあるまい」


「はは、視察に訪れた者の手を借りなければ街を守れぬなど、極東軍人としては末代までの恥ですよ」


「それもそうか。まったく、ぬるま湯に慣れきった欧州の軍人たちに見習わせたい心構えだ。ああ、最後にだ。何か土産に良さそうな酒はあるか?」


「もちろんです。こちらを」


 黒いケースの中には一升瓶、函館名産の最高級の極東酒が入っている。それをモルテは懐にしまう。


「よろしいのですか? 割れないよう特別な入れ物も用意していたのですが」


「私を誰だと思っている? 『使徒』一位、モルテ・エスターテ。この世界の最高戦力、その一角だぞ」


 傲慢にも思える態度だが、その実力を考えればこれですら謙遜していると言える、人類とはもはや一線を画す実力の持ち主が使徒だ。たとえ酒瓶片手に戦場を歩いていようが強者は強者。


「だが、ただで上等な酒をもらうのは道理に反する。支払いはさせてもらうぞ」


 そう言ってモルテが手を掲げると同時に、空を覆うようにして黒い粒子が集まり固まり、無数の刃が怪異達へと向けられる。


「終わりだ」


 刃が怪異達へと降り注ぐ。超高速で打ち出されたために鮮やかなオレンジに染まった刃が怪物たちを貫き、衝撃波が敵を押しつぶす。たった一人で街一つを上回る戦闘力を発揮する使徒、その力の一端に見える範囲の怪物たちは容赦なく殲滅された。

 地面に開いた無数のクレーター。それを埋めるように積み重なる怪異だったもの。

 闇の中から怪異の第二波がやってくるが、侵攻の勢いは衰えていく。圧倒的な暴力の前には心の無い怪物でさえ足を止めるらしい。


「私は中央を突破して他の都市へ救援に向かう。新門は……気は乗らないが立ち寄っていこう。次も美味い酒を用意しておいてくれ」


 黒い粒子がモルテの手足を覆う。作られるは神話の武具に勝るとも劣らない具足。そして手には一振りの真っ黒な剣が握られていた。


「ハッ! ご武運を!」


 極東式の敬礼に見送られ、モルテは街壁を飛び立ち、夜空へ舞う。そして彼は死体の大地に降り立った。


「相変わらずこの国は怪異が多すぎる」


 目の前に広がるは怪異の壁、背に従えるは黒い嵐。

 モルテが剣を振るうまでもなく、黒い嵐が怪異の壁を飲み込み、それは赤い霧へと変わる。戦場の一角が、黒い紙に真っ赤なペンキをぶちまけるように、鮮烈な血の赤で塗り替えられるていく。


「おや。丈夫だな」


 怪異の群れを抜ける時、目の前に一体の怪異が立ちはだかった。黒い嵐に飲まれたソレは全身から血を流しているが、まだ立っている。

 迫りくる怪物は八メートルもの大きさ。本来は小さな都市一つを一体で壊滅させられるほどのはずだ。が、今回ばかりは相手が悪い。


 モルテの剣にさらに多くの粒子が集まり、身の丈に迫る大剣へと変貌する。


「少し痛むぞ」


 伸ばされた触手を斬り払い、お返しに斬撃を叩き込む。肉を切り裂く感覚と共に怪異の身体からは血が噴き出すが、それで終わるはずがない。

 大剣が怪物の傷口から体へと溶ける。そして黒い粒子の大棘が体を食い破りながら現れ、黒い嵐へと還った。あとは風通しの良くなった死体を嵐が削って無に帰す。


 最凶の異端審問官、モルテ・エスターテの本領だ。


「さて、このレベルが珍しくないとなると、少し急いだ方が良いな。……チッ、陰謀屋め」


 怪異の波を突破したモルテは海を渡る。黒き嵐を従えて。




 


 

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