三十七話『決戦前夜』

「この肉も焼けてきたか。こっちの玉ねぎもいい色だ」


 暖炉に拾ってきた鉄板をはめ込んで作った焼肉セットの上で、新鮮な肉と野菜が香ばしい匂いと共に踊っている。


「わ、美味しい。灰月君がここまで料理上手だとは知りませんでした。当家お抱えの板前の皆さんに勝るとも劣らない腕前です。……美味しい」


「いやいや、こんな焼肉くらい大して変わらないだろ」


「そんなことは無いです。私はいつも焼きすぎて黒焦げにしてしまいますから」


「薫、野菜もちゃんと食べなきゃダメじゃないか。僕の分を少し分けて……」


「結構です!」


 薫の皿の上に野菜を乗せようとした英士だが、薫は皿を遠ざけることで阻止。仁も薫が野菜が好きではないことは知っていたが、これ程とは思っていなかったので少し驚く。

 異端審問官としての姿を見てから、いつものお嬢さまとしての姿から更に近寄りがたさを感じていたが、いつもよりも俗っぽい雰囲気でこちらの方が仁としては話しやすい。


「ならせめて栄養価の高いものを。ほい、ピーマン」


「ちょっと! よりにもよって私の一番嫌いなものを!」


「薫、好き嫌いしてると健康に良くないぞ。ほら、英士やユウを見てみろ。今や目についたものを適当に胃袋に突っ込み続けて……掃除機かよ」


 かなりのハイペースで仁も食材を焼いているはずだが、それに負けず劣らずのスピードで二人の胃袋に消えてゆく。


「あの、私を男子高校生と一緒にされても……食べるのは速いですが、あまり量は……」


「そうか? ネージュは一人でユウと英士を合わせた分くらい食べるけど」


「それはネージュさんが特別なだけです!」


 なぜか少し機嫌の悪そうな薫。嫌いな食べ物を皿に入れられたことがそんなに嫌だったのだろうか。


「じゃ、薫は何なら食べられるんだ?」


「カボチャと玉ねぎは大丈夫です。あとはキャベツなら我慢すれば」


「英士とユウは焼いてほしいリクエストとかあるか?」


「ほふ、ほふ、ぼぐはいいよ」


「オレはレバーを頼む」


 食べながら喋る行儀の悪い英士と口を手で覆ってから喋るユウ、これまでの環境を考えると逆な気もする光景だ。ただ、実験体であるネージュさえテーブルマナーが良かったことを思い出すと、仁は妙な納得感を覚える。


「灰月は食べないのか。さっきから焼くばかりで食べていないようだが」


「あー、いやちょっと食欲がなくて。緊張してるからだと思う」


 胸の中にこれからの不安が詰まって胃袋が押さえつけられる感覚がある。何かしていればその不安はマシになるのだが、やめた途端に大きくなるのだ。覚悟を決めても、前に進めるだけで怖いものは怖いということだろうか。


「三人ともすごいな。緊張して無さそうで」


「慣れだよ。僕だって大きな任務を初めて受けるときは、今の仁みたいな感じだったから」


「灰月君は今まで普通の高校生で、突然こんなことに巻き込まれたんだから緊張して当然です。むしろ、緊張しない人がおかしいだけですから」


「頭ではそうだって分かってるんだけどさ」


 緊張したところで良いことなんて無い、そう自分に言い聞かせるほどに緊張は大きくなってゆく。


(ネージュもこんな気持ちだったのか。どうしようもないくらい大きくて強い感情に押しつぶされて自分を見失いそうになる、そんな。——クソッ、心配なら、不安なら、そう言ってくれても良かったじゃねぇか)


 仁の緊張とネージュの背負っていた感情は比べ物にならない。でも、仁ですらこんなにも苦しいのだ。ネージュのそれは想像を絶する苦しみを彼女に強いてきたのだと仁は今更になって理解する。

 初めて仁がネージュに会った時、彼女の眼は生きたいと望みながら死を求める、矛盾があった。そこから前向きに立ち直ろうとした時にこれだ。限界を迎えそうな心を自分で言い聞かせて無理矢理に押さえつけていた彼女の心を壊すには十分すぎる悲劇だろう。


「クソッ、なんで気付けなかった」


 気付きようのないことだと、ネージュが苦しみを一番見せないようにしていたのが自分だと分かっていても、何もできなかった自分の不甲斐なさに仁は奥歯を噛みしめる。


「なぁ、そろそろ作戦会議を始めないか。具体的な作戦があれば灰月の緊張も少しは和らぐだろ」


 また自罰的な思考に仁が陥ったことを察したのか、ユウは箸を止めて、そう提案する。


「で、まず行うべきは魔術や異能のできることを互いに知ることだ」


「じゃあまずは僕から。僕の専門は『騎士魔術』。魔素の鎧と盾、そしてバリアを展開できる。あとは剣から圧縮した魔素を打ち出すことができるくらいだね」


「やはりそうか。どおりでミェンとトウを相手にしても生きている訳だ。真っ向勝負に強い『騎士魔術』系相手では二人が苦戦するのも無理もない」


 そして、英士は竜人ドラゴニュート、鬼人ほどではないが高い身体能力と全種族で最高の魔素回復速度を誇ることで有名な種族だ。シンプルに強いタイプの武闘派魔術師である。この状況下でも英士の魔術行使に威力以外での影響は殆どない。


「なら御門は盾として攻撃を受け止める役目だな」


「僕も賛成だ。いつも似たような役割だから慣れているし」


「次は私ですね。私は風属性神道系の『科戸風』とその派生魔術が専門、というよりそれしか使えないのですが。なので弓での援護と魔術による広域回復が担当です。あとはお父様から魔素回復用の薬を五つほどもらっています。ただ、魔素が欠乏している時でないと、高濃度の魔素を受け入れきれずに人間は体が吹き飛んでしまう試作品ではありますが」


 薫が机の上に転がしたアンプルのあまりの毒々しい色に、一瞬で危険な薬だと察する仁とユウ。だが、そんな危険物でもネージュを助けるためには頼るしかないのだが。


「オレの『血契使術けっけいしじゅつ』は血を取り込ませた相手と契約を結んで使役できる術だ。一人で使い魔を使って部隊を作れるわけだが、使い魔の召喚維持には魔素が必要なために魔素消費が激しい。加えてこの状況下じゃ発動時の魔素消費が酷すぎて召喚できる数も限られる」


「契約魔術の中でもかなり特殊な術……液体を取り込ませて対象を操る……『白銀家』の禁術にとても良く似た発想。ただの偶然でしょうか?」


「……知り合いの魔術を真似ただけだ。詳しくはオレも分からん」


 ユウの表情がこわばる。思い出したくない過去に触れられた、そんな顔だ。

 『白銀家』といえば極東を代表する名家『天統四家』の一角である。そんな家の禁術と似た魔術を扱うユウ。彼に敵意が無いことは確かだが、何かを隠していることもまた確かなようだ。


「まぁまぁ、ユウも語りたくないみたいだし、今は作戦会議が先だろ。俺の異能……」


 今まで異能としか呼ばれていなかった仁の力、ふとそれに呼び名が無かったことを思い出す。そして呼び名を決めようと考える仁の脳裏で声がした。


(その力の名は『狼王ヴァナルガンド』。かつて……)


 その声はすぐにノイズに飲まれて聞こえなくなったが、力の名はハッキリと仁の耳に届いた。まるでその名を初めから知っていたかのように。


「俺の異能、『狼王ヴァナルガンド』はスピードに優れた身体強化系魔術に近い。なにより、この状況でも力を使うのはいつもと変わらない。直接触られたら解除されるけど、魔術みたいに常にかき消され続ける訳じゃない」



「やはり、オレ達三人でネージュに隙を作り、仁が天使の輪を破壊するのが一番良い作戦だな。それでもどうやって隙を作るかが問題か。もう少し使い魔が召喚できれば、やり方はあるんだが」


「やはり魔素消費が激しいのが問題です。少ない魔素ではどうしようも……」


「ただ戦うだけなら問題ないけど、僕も奥の手は使えない問題を解決しないと」


 圧倒的に足りない魔素に悩む三人。魔術師は魔素が無くては魔術が使えない、それはどんな実力の持ち主であっても逃れられない弱点だ。


「もしもの話さ、魔素を外から供給できる手段があるって言ったらどうだ? 三人とも全力が出せるんじゃないのか?」


「灰月、そんなとんでもない代物を持ってるのは異端審問所本部バチカンくらいだ。もしもの話に割く時間は無いぞ」


 ユウは冗談を言う仁をたしなめるトーンの対応だが、その横で薫と英士の表情はみるみるうちに青ざめてゆく。悪い冗談としか思えない現実、その可能性に思い至ったようだ。


「仁、まさかとは思うけど……作った?」


「一応は……偶然できただけだから量産は出来ないけど」


 思わず目を見開いて仁を見つめるユウと新たに降ってわいた面倒ごとに頭を抱える異端審問官の二人。


「ただの高校生がそんなものを作るとは。さすがは異端審問所の本拠地か」


「煤日君、言っておきますが灰月君が特殊すぎるだけです。魔道具作成に関しては異端審問所の職人と比べても、歴代の工房長にも劣らない腕の持ち主ですから。コンテストのせいで異端審問所でも有名人になってますし」


「そうなのか、俺の評価はどんな感じなんだ? 褒められてる?」


「むしろ皆さん恐怖してました。コンテスト史上、もっとも怪異殺しに向いて、人間への使用が考えられていない武器だそうで、どうやったらここまで残虐な武器が作れるのかとのことです。実は灰月君の作品が準優勝になったのも『出来は最高だが残虐過ぎて、こんなものを優勝にすれば異端審問所の信頼に影響が出るから』という理由ですし」


 衝撃の事実に仁は、「そっちか!」と声を上げる。


「いや、あの武器は駆動時間が短いから評価が下がったんだと思ってた」


 仁がその時作ったのは刀を模した刃を回転する本体に取り付けた魔道具、簡単に言えばチェーンソーの刀バージョンである。どんな怪異でも無理やり斬り刻めるように設計した怪作だ。もちろん、制作時に仁は対人使用のことを忘れていた。


「仁、盛り上がってるところ悪いけど作戦会議中だよ」


「そうだ、こんなこと考えてる場合じゃない。で、だ」


 仁は部屋の隅に立てかけてある剣槍を指さしながら話を続ける。


「ユウは使い魔とは感覚共有ができたよな。ソレの応用で魔素のパスをつなぐことで俺が剣槍で吸収した魔素をみんなに渡すってのは出来ないか?」


「理論上は可能だな。仮契約なら血で文字を書いておけばいいだけだ」


 確かに仁の言った方法なら魔素を気にする必要なく全力で戦える。だが、仮契約の血印も一度魔素を通してしまえば魔術として消滅が始まるはずだ。


「だが、結局は短期決戦しか取れる手段は無いか」


 ユウの一言を肯定するように三人はうなずく。特に仁は少しでも早くネージュを助けるために持久戦をするつもりはない。


「作戦まとめると、御門が前衛でネージュの攻撃を受け止め、オレが使い魔を指揮して隙を作り、神出が回復支援担当、で灰月がネージュを止める。これでいいか?」


 頷いて返す三人。お互いに知らないことは多いが、いつの間にか不思議と背中を預けられる雰囲気が出来上がっていた。


「よし、食べるか。緊張も少しほぐれてきたし、どんどん食べて英気を養おう」


 仁は箸をとると、目の前の皿に盛られた肉と野菜の山に飛び込んでいく。


「おい、それはオレが狙ってたレバーだ!」


「済まないね、早い者勝ちってことさ」


「そこ二人とも、さっきから肉しか食べてないぞ。ちゃんと野菜も食べろ」


「うう、ピーマンにも命が……せめておいしく食べなければ」


 ユウと英士が肉を奪い合い、仁がそれを注意しながら野菜を勧め、薫がうっすらと涙を浮かべながらピーマンを食べている。こんな状況でも、騒がしい食卓である。むしろこんな状況だからこそなのかもしれないが。


「「「「ごちそうさまでした」」」」


 騒がしい食事を終えて、各々横になって眠る。英士や薫、ユウはすぐに眠ったが、仁はなかなか眠れなかった。目を閉じても、意識は遠くならない。


 ネージュと出会った日のことを思い出した。はじめてネージュが料理を食べてくれた時のことを思い出した。ネージュと過ごした日常を思い出した。ネージュを守りたいと願い、異能を手に入れた日のことを思い出した。


 カレンに殺されかけたこと、ネージュと薫たちの戦いを見ているしか出来なかったこと、ネージュに自分が犠牲になることを選ばせてしまったこと、ユウと戦ったこと、自分の願いのために皆が力を貸してくれたこと。


 これまでも全てが仁の背中を押すような感覚がした。高揚感が体を突き抜けて力が湧く。

 同時に自分が今、何をすべきかも理解する。回り道のように見えても、無意味に思えることでも、それが繋がってここまで彼はやってきたのだ。


 それに気づくと急に意識が遠のき始める。そして仁は薄れゆく意識の中で呟いた。


(必ず、君を救ってみせる)

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