三十三話『憧れの幻影』

「そこをどけぇぇぇえええッ!」


 左足で後ろの配管を蹴り壊して放つ渾身の飛び蹴りがトウの防御のために構えられた金棒に正面から激突し、巨体を後ろへと下がらせるが。


「邪魔!」


 金棒が降りぬかれ、仁は大きく後ろへ吹き飛ばされる。スピードは仁の方が圧倒的に上だが力ではトウが有利。一撃でもまともに食らえば戦闘不能になると理解しながら、仁は空中で回転し着地する。


「トウはこのまま追撃。ミェンはオレの周囲を警戒」


 ユウの指示に従い、二匹の鬼は動く。この状況では魔素消費を抑えるために短期決戦を仕掛けたいところだが、仁の実力から一筋縄ではいかないとユウは判断した。


「ほら~逃げないと潰しちゃうよ~」


 迫るトウの金棒が振りぬかれ、爆発のような轟音と共に積もった雪が舞い上がり、視界を白く染め上げる。

 その隙にトウに拳を叩き込む仁だが、


「……ッ。硬い」


 それなりの攻撃だったが、伝わってきた岩を殴りつけている感覚に仁は驚愕する。攻撃したのは仁のはずなのに拳が砕けるかと思ったほどだ。


「痛ったぁ~」


 少し怒気をはらんだ声と共に金棒が横なぎに仁に迫るが、大きく上に跳躍して回避する。


(このまま削り続けるのは現実的じゃない。ならば)


 大きく足を振り上げて脳天への一撃を狙う。これで頭が砕けてくれるほど脆い相手ではないが、仁の狙いは別にある。


(狙うは脳震盪による行動不能)


 蹴りの衝撃で身動きができなくなるのはあまり長い時間とは言えない。しかし、大きく人間離れした素早さの仁にはそれで充分。

 が、仁の蹴りがトウに当たる瞬間、五発の銃声が鳴り響く。仁の嗅覚が、聴覚が、勘が、迫りくる弾丸に反応する。

 仁は左手でバランスを崩しながらもトウの身体を支点にして更に上へと跳び上がる。そしてトウを巻き込んで五発の弾丸が殺到した。


「も~ご主人様~ウチを巻き込んで撃つとかひどくない?」


「オマエはその位じゃ傷つかんだろう」


「え~辛辣~。心が傷ついたんですけどぉ~」


 距離をとって着地した仁は、あまり緊張感のない会話劇を繰り広げるユウたちに最低限の注意を払いつつ、次の作戦を考える。


(各個撃破はお互いが連携しあうため難しい。それに普通の式神はこんなに高度な知性を有していないはず。どんな仕掛けがあるか予想できない。最悪、倒した瞬間に厄介な魔術が追加発動されるかもしれない)


 仁の知る召喚術にも種類はあるが、ユウのものは伝統的な極東の式神術の流れを汲むと推測する。しかし鬼たちに主人マスターとの魔素のパスをつなぐ呪符の類は見当たらない。通常、呪符を破壊すれば魔術の追加発動をさせず、式神を倒せるが、


(契約魔術との複合術式か? 呪符がない。弱点を踏み倒して……いや、魔素消費は普通とは比べ物にならないだろう。長期戦は避けたいはず)


 ここは入り組んだ工場地帯。大きな建造物が立ち並ぶおかげで、入り組んだ迷路のようだ。仁の強みを十分に生かせる環境であり、式神を分断しやすく、数の優位というユウの強みを潰す条件が揃っている。


(となればだ。相手の攻撃を利用する)


 仁は走り出す。ただし全力ではなくトウを振り切らないように抑えて、だ。そのまま配管が入り組み鉄のジャングルと形容するのが相応しい工場内を駆けまわる。


(いいぞ、ついてこい)


 角を曲がり、キャットウォークを蹴りぬき、配管の間をすり抜けるようにして疾走する。

 そして、ユウたちのいる場所へ別の方向から戻ってくる。ただしトウは連れたままだ。


(こい!)


 仁を挟み込むように二匹の鬼と弾丸が迫る。だが、回避することに専念する仁には当たらない。空を切る大鉈は地面に衝突すると、あの雪の爆発を起こすだけ。その隙に仁はまた別の方向からその場を離脱する。


(よし、この場所に続くルートは後四つ。全部をまずは雪で見えなくする)


 仁は同じように走っては戻り、攻撃を誘って雪を巻き上げて視界を塞ぐことを繰り返す。仁では一時的に雪で目くらましを作れても、すぐに晴れてしまう。だから、より多くの雪を高く巻き上げられる二匹の鬼の攻撃を利用する。

 この吹雪の中にさらに雪の煙幕で視界は完全に奪われる。しかし、仁が煙幕を作ったのはユウのいる場所に向かう道だけだ。ユウの周りはむしろ視界が通るように仕向けている。


「これは……」


 ユウは目の前に広がる煙幕を睨みながら呟く。

 僅かな間で仁の見せる成長。歴戦のユウを相性が良いとしても自分のペースに乗せるのは簡単にできることではない。このままでは逆転されるのも時間の問題。加えて魔素の消耗を考えても時間は仁の味方をする。


「——フッ」


 だからこそユウは笑っていた。目の前の、想像を超える成長を見せる少年であれば、もしかすると理不尽を打ち破れるかもしれないと思ったから。


(きっとコイツのような奴こそが)


 自分には、命令とはいえ、生き残るためとはいえ、沢山の人を手にかけた自分には誰かを助けることなどできないと、あの日憧れた絵本の中の『正義の味方』になんてなる資格なんてないと分かっている。

 あの日、燃え盛る炎の海から生き残るために悪魔に魂を売り渡した運命の日。何もかもを失って、自分の力だけで生きていかなくてはならなくなった、人の命を奪って自分の命を繋ぐ日々が始まった。


 それでも、一人でも多くの命を助けるために戦い続けた。もっとも危険な任務を受け続け、顔も知らない自分と同じ境遇の子供の命を救っているのだと言い聞かせて。だが、その行為が結局はただの人殺しに過ぎない、と『御名殺し』の異名が思い出させるのだ。


 十年、死んだ目をして死体を眺める日々が続いた。

 

 その果てに彼は一人の少女と一方的な出会いを果たす。


 今までの功績を買われた『破滅の聖杯』護衛の任務。いつも通りの仕事をするだけのはず。組織の命令を果たして明日の命を買う。そんなクソッたれな人生を受け入れようとしたはずなのに。


 たった一人の少女のために彼は命を賭けた。


 なんでそんなことをしようと思ったのかは分からない。一生を地獄の中で過ごし、苦しみを味わい続ける少女を憐れんだからなのか。人々を犠牲にする組織へ小さな報復のつもりだったのか。

 ——それとも彼女に手を差し伸べれば、まだ自分が『正義の味方』になれると思い上がったからだろうか。


 だが差し出したその手は振り払われた。


「一つだけ教えて。あなたは誰の味方なの? 国それとも正義?」


 その問いにユウは答えられなかった。そして理解したのだ、自分はもう日の当たる場所に行くことはできない。善人の血に染まった手で誰かの手を掴むことなど許されないのだと。

 救いたかった少女は彼の手など借りずとも、一人で世界への一歩を踏み出していった。


 そして無力感に支配されたユウに下された追跡命令。すぐに始末されなかったのはきっと今までの戦果のためだろう。自分なんかよりも生きるべきだった人達を殺して積み上げた死体の山が、自分の命を守る盾となった滑稽さに笑いが出たのを覚えている。


 結局、自分では何も変えられないと諦めかけていた。そんな時だからこそ、『灰月仁』が堪らなく眩しく映ったのだ。

 その少年は何も特別な力なんて持たなかったはずで、それでも目の前の少女を助けるために立ち向かってくる。そして、少年は異能にすら目覚めて、強い想いの力で現実すら捻じ曲げる力に応えさせて見せた。


 そんな少年、灰月仁の姿にユウはかつて憧れた『正義の味方』の面影を見た。


「二人とも周囲を警戒しろ。来るぞ」


 トウとミェンが辺りを警戒する間にユウはリロードを終えた。動かない左腕、そこを仁が見過ごすはずがないとユウは考える。


(だろうな。思った通りだよッ!)


 ユウは左から来る仁を警戒すると予想して、仁はさらに上を行く。そのために雪の煙幕に意識を向けさせ、思考を固定させた。そして月の光もない真っ暗な夜の闇と吹雪による風の音で音はかき消される。仁はこのチャンスを逃しはしない。


 ユウの背後にある工業プラントの上から仁は舞う。

 背中に感じた刺すような冷たさにユウは後ろを振り返る。


 ただ自然に日常と何も変わらない殺気も悪意もない動作で仁はユウの頭を掴む。

 仁が手に力を込めようとした時、ユウの銃口が仁の頭に触れた。


「「詰みだ」」

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