三十二話『煤灰乱舞』

「『破滅の聖杯』はどこだ。貴公と共にいるはずではないのか」


 ユウは仁の心傷などお構いなしに喋る。内心、苛立ちを覚える仁だが、今の彼にその気持ちを外に出すだけの余裕はない。


「察するに『破滅の聖杯』は貴公の元を去ったのだな」


「……………」


「答えるだけの気力もなく俯くのみ。ずいぶんな変わりようだ」


「……………」


 仁はただ耐える。ユウにとって仁は何の価値もない人間のはずだ。ユウとのこの無意味な問答もすぐに終わると理解していた。


「オレは『破滅の聖杯』を追う。貴公はそこでうずくまっているといい」


 最後にユウはそんなことを口にする。

 その可能性を仁は考えなかったわけじゃない。仁一人が勝手に絶望して諦めたところでネージュの置かれた状況は何も変わらない、だから彼女は立場の違う刺客たちに命や力を狙われ続ける。


 仁はゆっくりと立ち上がろうとして力が入らず、なんとか両手をついて体を支え、眼を見開いてユウを視界に捉えた。

 ユウは武器を構えていない。ならば、今が絶好の好機であると仁は確信した。

 ネージュを助けることは出来なかったけれど、それでも残っていることが、まだ彼女のためにできることが一つだけあると知っている。


「——獣装ビーストシフト


 戦闘開始、など一々敵に宣告する義理は無い。最も敵が油断しているこの状況を最大限に生かす、ただそれだけのこと。

 足でコンクリートを蹴って仁はユウに迫る。そして流れるような動作で首を掴みに行く。その姿は獲物の喉笛に食らいつく狼によく似ていた。


「——っ!」


 ユウの対応が少し遅れる。仁はさらに加速し、勢いに身を任せてユウを外へと投げ飛ばす。人体が固いもの、恐らくは工場のビルのような生産設備の一つに激突したのだろう、大きな音が響いた。


「これできっとネージュも少しは逃げやすくなるはず」


「まだ心は折れていなかったか」


 手ごたえはあった。今の攻撃で頑強な肉体を持つ鬼人であっても戦闘不能に追い込めたと思っていたが、仁は驚きと共にその認識を改める。


「ならば構えろ、灰月仁。いつかの戦いの続きを始めるとしよう」


 ユウはあの攻撃を食らっても立っていた。ただ、ユウも異端審問官二人を相手にした疲労は抜けきっておらず、全身が傷だらけ。一撃でノックアウトできない攻撃でもこのまま削り続ければ先に倒れるのは間違いなくユウだ。


 仁は立て直す隙を与えない。踏み込みによって積もった雪が舞い、白い軌跡を描きながら仁は真正面から突撃する。


「単調だな。技のキレには才能を感じるが、行動の選択は素人のソレだ」


 今の仁はユウよりも力が強く、スピードではユウが反応できるギリギリの身体能力を誇る。が、戦いの技術は未熟で、ある程度の実力者であれば簡単に次の行動を先読みできる程度でしかない。

 仁がユウの胸を狙って放った拳は、ユウが半身をずらして回避したことによって空を切る。仁の背中をじっとりと熱い、明確な危機感から来る汗が伝う。


(まずい。早く下がらないと……)


 すぐに後ろに跳躍しようとする仁だが、急にスピードを殺すことなどできない。

 そんな仁の服と腕を掴んで、ユウは勢いをそのままに仁を素早く少し離れた場所にある工場の設備に投げつけた。

 金属製の巨大な設備に重たいものが当たった鈍い音が響いて、仁が踏み込んだ時とは比較にならないほどの雪が舞う。


「ぐぅぅうううぁああッ!」


 背中に痛みが走り、少し遅れて痛みが他の感覚と共に遠くに離れていく。噛み殺しきれない叫び声を上げながら、仁は再び立ち上がる。


「あまりダメージを与えられるとは思っていなかったが、存外よく効いているか。あの異能、パワーとスピードに特化している分、防御力は最低限のようだな」


 ユウは二丁のサブマシンガンを構えると、雪の煙幕によって仁の姿が見えないこともお構いなしに鉛弾を撃ち込む。

 ガガガガガガッ、と金属と金属がぶつかり合う音がして、煙幕の中から仁が不格好に転がり出る。仁の顔には弾が掠めた跡ができ、血が滲んでいた。


「どうして、どうしてそこまでしてお前達はネージュを狙うんだ。何が目的かなんて俺は知らないけど、一人の少女を実験台にして人生を歪めて、あんな力まで無理やり与えて! お前らはどこまでネージュを苦しめれば気が済むんだ!」


 這いつくばりながら時間稼ぎのつもりで言葉を放った仁だが途中から感情的に冷静とはとても言えない激情を叫ぶ。


「なんで、お前らは人を苦しめておいて平気な顔ができる! 心は痛まないのか? 自分は何をしてんだろうって思わないのかよ!」


 ユウがどんな行動をするかなんて考えていなかった。たとえ、この叫びを無視され、銃で打ち抜かれて殺されるのだとしても、この言葉を目の前の相手に叩きつけずにはいられない。

 ユウは仁の叫びを聞いていた。なんの打算もなく、だ。そして、


「貴公はオレ達が『破滅の聖杯』を苦しめたことばかりを話すが、そちらも『破滅の聖杯』をある意味で苦しめたことに気付いているか」


「な……何を言ってるんだ」


 仁はユウの言葉の意味が理解できない。脳が理解を拒んだとかではなく、本当に意味が分からなかったのだ。


「『破滅の聖杯』に失うものを与え、失う苦しみを味わう機会を与えたのはどこの誰だ?」


 間違いなく灰月仁のほかにいない。仁がネージュに幸せになってほしいと思ったから与えたもの、それはすでに彼女を苦しめる呪いに変わっている。


「何も方法なんて分からない、それでも救われるかもしれないと希望を見せ続けたのは、一体誰だ!」


 その言葉が仁の行動を切り抜いて、悪い方に解釈したものだと分かっている。分かっているのに、それは仁の心に刺さった。


「黙れッ! どうしようもない理不尽な運命に押しつぶされそうな誰かを、精一杯強がって、でも今にも泣きだしてしまいそうな目の前の女の子を助けたいと思うことがそんなにいけないことなのか、間違ったことなのか!」


 体が熱い。どうしても譲れないものが放つ熱が胸を焦がして、冷え切った体に立ち上がるための力を与える。


「どうしようもない運命に苦しめられるくらいなら、少しでも早く解放することが救いだとは思わないのか、灰月仁」


 その答えが正しいこともあるかもしれない。だが、仁の脳裏に浮かんだネージュは、自分を殺してほしいと懇願した彼女の瞳は、まだ死にたくないと、そう訴えているように感じたから。


「わかんねぇよ、そんなこと。でも本当のことなんて分からないけど、例えそれが真実かもしれなくても、俺は! ネージュに生きて笑っていて欲しいんだッ!」


 感情が抑えられるとは言えない。けれど、頭が一色に染まるほどの感情は吐き出して、今は少し冷静だ。仁はぎこちなく構えをとって両足に力を込める。

 そうか、とだけ言ってユウは微笑み、普段と変わらない動きで銃を向けると、引き金に指を掛けなおす。


 ドンッ、と遠くで雷が落ちたような音と共に仁は走り出す。ただし、今度は一直線に突っ込むのではなく、ユウの周りをできるだけの雪を巻き上げながら走る。


(雪を煙幕代わりに使ってオレの射撃を封じる気か)


 ユウは真っ白に染まった視界を無視してできる限り不規則な動きで走り、煙幕の外側を目指す。


(射撃を封じたとしてもこの煙幕では相手もオレが見えない。このまま)


 その直後、直感で咄嗟に後ろに跳躍するユウの左肩に仁の蹴りが直撃する。

 後ろに飛びながらも受け身をとって着地するユウだが、左肩の違和感を確かに感じる。


(力が入らん。外れたな、これは)


 仁の一撃は常人であれば肩の骨は砕け散るものだが、ユウは恵まれた鬼人の肉体と卓越した技術で最小限のダメージで抑えた。が、ダメージは無視できないほどの大きさだ。


(それにしてもなぜオレの居場所を正確に……獣化、か)


 一般的な身体強化魔術の使い手は獣化など面倒は方式は用いない。魔素の消耗を抑えるために身体能力の向上以外の無駄な要素を排除するためである。

 が、仁の力はあくまで異能、魔術とは異なる力。ゆえに、その姿に違わず、五感は人間のソレに比べて大幅に強化されている。目が見えないとしても音と匂いで正確な位置を把握できるほどに。


 そして、その差が歴戦の猛者の虚を突いた。


(前とは明らかに異能の練度が違う。成長しているのか、この短時間に目覚ましいほどの速さで)


 暗闇の中で黄金色の瞳を輝かせながら仁は辺りの建物を蹴りながら立体的に機動する。これまでは獣の如き速度であっても動きは直線的で読みやすかった。だが、今はしなやかで複雑な動きを織り交ぜながら、予測できても対応の間に合わない動きが増えつつある。

 月の無い真っ暗な夜に踏み込みの音と共に迫りくるソレは生物として本能的な恐怖を感じさせる怪物というに相応しい。


「出し惜しんではこちらが、か。来い、トウ、ミェン!」


 懐の管から放たれる青白い二筋の光が夜を切り裂きながら、仁へと迫り、二体の鬼が顕現する。



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