二十三話『悪狐と騎士と』

 突然の浮遊感が仁を襲い、勢いよく四階から地面に叩きつけられる。雪が積もっていたため死にはしなかったが、衝撃が全身を駆け巡り、意識が朧げになってゆく。今すぐにでも動かなければならないのに、手足に力が戻るのは少し時間がかかりそうだった。


「ようやく大人しくなってくれたか。仁、オマエは強い。異能のスピードもパワーもだが、その精神性が一番の武器だ。オマエのような奴を私は二度と敵に回したくないと思うよ。しかしな、オマエには経験が足りない」


 音もなく雪の上に着地したカレンはそう語る。すぐ近くに敵がいるのに、仁の手足にはまだ力が戻らない。


(クソッ、やられた。火の玉で俺の意識を集中させて、匂いの薄い教室の見え方を少しずつ幻術で変えて窓を壁と間違わせたのか)


 幻術はもう使わないと思っていた。が、それは間違っていた。そもそも仁は喧嘩もロクにしたことのない高校生、カレンは命の取り合いを何度も繰り返してきた戦闘のプロ。潜った修羅場の数など比べられる訳がない。


「さようなら、灰月仁」


 カレンの鉄扇が仁の首筋に振り下ろされようとして、カレンの身体が大きく横へと吹き飛んだ。


「なんだ、今度は」


 呟く仁の前にいたのは金髪にエメラルドの瞳、竜の角を生やした少年。しかし、見慣れた彼の姿ではなく、白いコートを羽織った姿。


「英士、なんでそのコートをお前が……」


 穢れなき真っ白なコート。だが、それはただのコートではない。その肩に刻まれているのは『異端審問所』の五文字。このコートこそ世界の秩序の守り手たる異端審問官の証であった。


「やっと尻尾を出してくれましたね。僕たちがこの学校にいるスパイを追って入学して一年。僕たち欺き続けるとは何者かと思いましたけど、本当に化け狐とは、狐火カレン」


「それを言うならオマエもだろう、御門英士。私はただの優秀な一年生としか思っていなかったのだがな」


「へぇ、ここでの生活でずいぶん牙が丸くなったようですね」


 英士は右手に剣、左手に盾を持った完全武装。仁との戦いで消耗しているカレンでは間違いなく勝てない。


「オマエ、出てくるつもりは無かっただろう。それがどうして今更」


「初めは仁に正体を知られるに訳はいかないので仁が気絶させられた後に出てこようと思ったのですが、僕の見立てでは最後の一撃、アレは仁を殺す気だった」


「全くお優しいね、異端審問官は」


「人々の命を可能な限り守るのが異端審問官の責務なので」


 英士はカレンに剣を向けたまま、足元の仁を見た。


「仁、立てるかい? ここは僕に任せて君は逃げてくれ。巻き込まれるよ」


「ああもう、意味が分からん。どういうことだ。カレンがテロリストの仲間で、英士が異端審問官? 理解が追い付かない……」


「仁、君には色々話さないといけないことがある。ほら、早く!」


 まだ十分に力の入らない手足で仁は学校から逃げる。考えることはただ後回しにして生き残るために全力で。


「さて、邪魔者もいなくなった所で始めましょう。誉と剣は我が手にありて、盾は此の身を守るためならず、弱きを守るためなれば——『騎士王の祝福グローリー・オブ・ウィガール』!」


 魔素の鎧を纏い、青いマントをなびかせる英士の姿は英雄譚の騎士そのもの。決して倒れることのない騎士の姿がそこにはあった。


「——『狐火きつねび』ッ!」


 火球が迫るが英士は避けない。盾で防ぐこともせずに真っ向から全ての火球を受け止めながら、足を止めることもなくカレンの下に近づく。

 そして騎士とは欲望に惑わされないことを良しとされる故に、『騎士王の祝福』によって英士は幻術などに強い耐性を持つ。幻如きで騎士の歩みを止めることは叶わない。


(シンプルに強いタイプの肉体派魔術師。パワーと耐久力は高いが、スピードは無い。このまま距離をとって隙を作れば)


「とか思ってませんか」


 英士は下がりながら遠距離魔術で応戦するカレンに盾を構える。


「ブーストチャージ」


 盾から魔素を高圧で噴射し、英士は雪を巻き上げながら突撃。直線的で分かりやすい動き。しかしギリギリ目で追えるほどの速さと圧倒的な耐久力が合わされば、それは十分に人を殺せる攻撃になる。


「くっ、ああぁぁっ!」


 痛みのあまりに思わず声が漏れ出るカレン。突撃を防御した鉄扇はグチャグチャにねじ曲がり、右手の骨が何箇所も折られた。

 右手がダラリと垂れ下がるカレンに追撃の剣戟が迫る。左の鉄扇で何とか弾くカレンだが、左手もすでに使えそうにない。


「投降しませんか?」


「もう勝ったつもりか!」


 その時、地面に倒れこむカレンとそれを見下す英士の間で大きな爆発が起こる。とてつもない衝撃波が校舎の窓をすべて割り、鮮やかな爆炎に包まれて積もっていた雪が全て溶け消えた。


「自爆とは……無茶をするな。逃げられたか」


 爆発によって起こった土煙の向こう側から、鎧の半壊した英士が現れる。ただ英士本人は無傷どころか汚れの一つすらない。盾や剣も無事だ。

 魔素で鎧を直しながら、コートの中で振動する通信用の魔道具を取り出す英士。


「御門君、そちらはどうですか? 私はダメでした。怪しいのですが今一つ確信できるだけの証拠を出してはくれません」


「こっちは収穫があったよ。学校のスパイを無力化できたのに加えて、仁が『破滅の聖杯』の一件に深くかかわってるのが確認できた」


「ではやはり、信じたくはないのですが……ネージュさんが『破滅の聖杯』である可能性が高いということになりますね」


 電話越しの声は震えている。英士だって信じたくない事実だ。これから二人で、知り合って間もないとはいえ、クラスメイトを殺さなくてはならないなんて。


「それと、仁は異端者だったよ。この件が片付いたら彼の処遇も決める必要が出てくるだろう。君のお父さんを説き伏せる方法を考えないと」


「灰月君が異能を……いえ、目の前のことに集中しないと。灰月君もネージュさんも異端審問所私たちの決定を素直に受け入れるとは思えませんから」


「それじゃあ、現地で集合、予定通りの作戦でいこう」


「………まし……装備……」


 通信魔道具はそのままノイズを吐いて完全に沈黙する。魔素がなくなったわけでは無く、通信そのものを何かに妨害されているようだ。


「手遅れでなければいいけどね」


 英士は激しさを増した吹雪の中そう呟いた。

 空が重苦しく厚い雪雲に覆われて、目を開けていられないほどの吹雪が吹きすさび、街から明かりが消えてゆく。


 新門のすべてが純白と漆黒に飲まれて滅びが始まる。

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