二十五話『答え合わせ』
「どうなってんだよ……これ」
明かりの消えた街の建物の上を駆け抜けながら呟く仁。学園区画だけでなく目に映る全ての区画から光が消えていた。下からは突然の暗闇に驚く人々の声が聞こえてくる。
「しかも吹雪も強くなってきてる。冗談じゃないぞ、こんな時に限って」
全身が痛み、力を入れるたびに降ったばかりの雪の上に血がこぼれて、また雪に覆われて消える。凍えるような空気とは対照的に仁の身体は焼けるように熱い。
「——ッ。魔術障壁にヒビが入ってる、だと……」
遥か上、仁の頭上を覆う新門の魔術障壁に、鈍い刃物で斬りつけたような傷がいくつも入っている。空を飛ぶ怪異は少数なのですぐに致命的な問題にはならないが、それは最悪の推論を導くには十分だった。
「何者かによる魔術発動の妨害⁉ いや、理論上は可能だが技術的にはせいぜい半径一メートルの範囲で魔術の威力を半分にする程度のはず。目の前の光景は次元が違う」
新門の街は直径約四十キロメートルの円に近い形だ。それは全てを完全に掌握できるほどの未知の兵器、そんなものがあれば生活の殆どを魔術に依存する現代では街どころか国家転覆すら可能な代物。世界の脅威そのものだ。
「そんなものが実在する? そんな馬鹿な」
信じたくはない話。しかし現実としてソレは起こっている。胸の中で上手く言語化できない嫌な予感が広がる。
「それより早く、ネージュと合流しないと」
走って、走って、走って、ようやく仁は寮の自室へと戻ってくる。そして転がり込むように扉を開け、壁にぶつかりながらリビングにたどり着いて、
「ネージュ、おい、しっかりしろ! って、冷たッ!」
仁はリビングの奥に倒れているネージュを発見する。吹雪の吹き荒れる外と比べてもかなり寒い部屋の中、彼女には霜が降りていた。あんなに暖かかった少女は今や氷と同じくらい冷たい。
「とりあえず体を温めないと。このままじゃ低体温で死ぬ」
手当たり次第に体温を保てそうなものを探してはネージュに被せる仁。その間、ずっとカレンの言葉が頭の中に響く。
「オマエとネージュは住む世界も生まれた環境だって違う。オマエには彼女の苦しみは分からないだろう? それで彼女の役に立てると思っているのか? そんなオマエが彼女を救えるとでも?」
あの時は真っ向から言い返せたその言葉に今の仁は返す言葉が見つからない。こうなることを仁は知らなかった、なぜこうなっているかすら分からない。
初めからそうだったのだ。仁は巻き込まれただけの高校生で目の前で苦しむ少女を助ける術なんて持っていなかった。特別な力を手に入れても結局は同じ。正しい力の使い方を知らないまま。
運命を、悲劇を、現実を変えることなんて出来ない。
「うるせぇッ! でも目の前で助けを求める誰かを見殺しにしていい理由にはならないだろうが!」
あまりに絶望的すぎる状況に追い込まれたせいで興奮が醒め、自分を客観視できるようになるのは皮肉だと思った。目の前の少女にできることをすればする分だけ、自分の無力さを、運命の無慈悲さを、希望の儚さを実感する。
「仁……っ。頭が……痛い」
ゆっくりと瞼を開くネージュ。仁を見つめながら少し安心した表情をした。
ネージュだって仁がボロボロなのは気付いているだろう、それでも彼女は仁に縋るような視線を向ける。
弱々しく、不規則に吐き出される冷たい息。潤んだ瞳から零れる涙。ネージュを苛む、想像もできないほどの苦痛の数々。
仁の知るネージュは、凛としていて逆境に一人でも立ち向かっていける強い人間だ。そんな少女が傷だらけの少年に縋るしかないほどの痛みに晒されている。
「——ッ。ごめん、ネージュ。俺には何もできない」
ネージュは何も言わない。代わりに仁の頬をそっと撫でる。その時、仁は初めて自分が泣いていることに気が付いた。
「あれ……泣いてるんだ、俺」
悔しさが胸の中で爆発する。自分のやってきたことは結局、悲劇がやってくるのを先延ばしにしただけで悲劇そのものを解決できた訳では無かった。
「………泣かない…で。私は大丈……夫だから」
ネージュの瞳はずっと助けを求めるように仁を見つめている。それでも、自分の心に蓋をして彼女は仁への心配を口にするのだ。ネージュの方がずっと辛い目に遭い続けているというのに。
「大丈夫なわけあるか! こんなに冷たいのに、辛そうなのに強がるなよ! 少しだけ待っててくれ。今すぐ暖かいものを作るから! そしたら、良く寝て、そしたら、絶対良くなる……だから!」
「……わかってる。こうなる…運命だったの。私にはもう……時間が」
「違う! そ、そうだ、ネージュは海で泳ぎたいんだろ。ならこんな所で諦めるなよ!」
「私が……泳いだら、海が凍ってしまうかな」
ネージュは必死にぎこちない笑みを浮かべて仁を見る。その笑みは仁に自身の無力さをより感じさせる。
「はは。南の海なら暖かいし、大丈夫だか……」
精一杯の口元を歪めて答える仁。その瞬間、彼を嘲笑うように冷気が部屋の中に充満する。息を吸うだけで肺が刺されるような痛みが走る。
「死にたくない」
突然立ち上がるネージュ。その背中には青白い二枚の翼、頭上に輝くのはノイズによって輪郭もつかめず、触れることのできない
仁は涙を流すのも忘れてソレに魅入っていた。ただソレから目を離せなかったのは美しさだけが理由ではない、感じたのだ。
目を離したら殺されるかもしれないという恐怖を。
白焔に包まれた街で感じた死への恐怖、それと全く同じ、人の手ではどうしようもできないほど大きく恐ろしく、冒涜的で神聖なものに出会ったのだと理解した。
「なんなんだよ。訳が分からない。なんでこんなことになるんだよ!」
分からなくなってしまった。あの時、ネージュを見つけた時の彼女を殺さないという判断が正しかったのか。
(あの時、人を殺さなくて良かったって思った。ネージュは怪異なんかじゃないって信じたのが正解だって。でも、目の前の天使は……怪異以上の……)
仁の判断で、街一つを吹雪の中に閉ざしてしまえる存在を生かしてしまった。情に流されて判断を誤ったかもしれないと思ってしまった。
天使は仁を見つめる。曇りなき水色の宝石のように鮮やかな輝きを放つ瞳で瞬きすることもなく。
そして、天使は倒れた。
「何だったんだ。アレが『破滅の聖杯』なのか……」
静寂の戻った部屋の中で、仁は気が付けば包丁を握って倒れこんだ天使の前に立っていた。手のひらから汗が噴き出して上手く握れない。
(やるしかない。俺がここで殺すしか。このまま放置すれば……人死が出てからじゃ遅い。俺が原因なんだ。だから俺が決着をつけないと)
震える両手で包丁を握る。後は
(だめだ。俺には………できない。選べない)
包丁を握る力が抜けて、床へと落下する。仁にはネージュを生かすのか殺すのか、その決断は出来なかった。大切な一人のために大勢の誰かを見殺しにすることも、大勢の誰かのために大切な一人をこの手で殺すことも、ただの高校生には出来るはずの無い決断だった。
うずくまる仁。耳を塞いで目を閉じて、どうしようもない現実からの逃避。
「分からない。どっちを選んでも後悔する。選ばなくても後悔する。ならどうすればいい。どうすれば良かったって言うんだよ……」
バリン、とガラスの割れる音がして視線を向ける仁。ベランダには真っ白な異端審問所のコートを羽織った二人、神出薫と御門英士が立っていた。
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