二十三話『悲劇の始まり』
今までの会話の内容との落差に仁はすぐにその言葉を理解することができなかった。だが今まで足りなかったピースがピッタリと埋まる感覚があって、
「何を……言ってるんですか」
その視界が突如として極彩色に染まる。混乱のあまり何も反応できない、ただ一つ分かったことは、
(これは、あの時のッ)
見覚えのあるやり方。あの襲撃の時に生徒全員にかけられた幻覚と全く同じもの。
視界が回って手足に麻酔がかけられているかのように感覚がなくなっていき、その場に倒れこむ仁。あまりに強い刺激のせいで吐き気が腹の底からせりあがってくる。だが、以前のものと違い、意識を完全に失わせるほど強いものでは無い。
そして、パチンと指をはじく音がして視界が晴れる。
「こ、これは」
気が付けば仁は手足を椅子に頑丈なロープで固定され座らされていた。拘束は強く、暴れても逃げられそうにない。
「どうして、なんで、嘘でしょう、カレン先輩! 何か言ってくださいッ!」
カレンは少し困った顔をして、その長い金髪を指で弄びながら、仁の絶叫を聞いていた。その表情からは何も分からない。ピクリとも動くことなく、ただ淡々と仁の言葉を聞くだけだ。
「残念だが本当だ。元々、私は異端審問所に潜り込むためにこの学校に来た。あの時、『破滅の聖杯』を回収する手助けをして任務を継続するはずだったが、オマエというイレギュラーのせいで派手に動く必要が出てきてしまったというわけだ」
どうでも良さそうに放たれるカレンの言葉。仁の良く知るカレンであればありえないほど冷たい声音で放たれた言葉は仁の胸に深く突き刺さる。目の前にいるのがカレンによく似た別人、いや人形のように思える。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ。そうだ、お前は幻術使いだろう、それでカレン先輩に化けて……」
否定しなければ。あの優しかったカレン先輩のためにも目の前の偽物を。この学校で初めて自分の能力を認めてくれた、こんな自分に目をかけてくれた、あの人がこんな冷酷な訳がない。
しかし、否定しようとすればするほどに目の前の光景が本物であると認める材料ばかりが揃ってしまう。
(なぜあの時に襲撃が来たのか)
ネージュが初めて学校に来た日。そして急に全学年の戦闘魔術科に演習が入った日でもある。なぜそこまで都合のいいタイミングで襲撃できたのか。
(学校内に既にスパイが居た可能性が高い)
だから学生とはいえ高い戦闘力を持つ生徒たちがいないタイミングを狙えた。そして一人では作れないような結界も、二人ならば作れなくはないだろう。なぜ放送でわざわざ声を変える必要があったのか、それはスパイを続けるために正体を隠す目的と言えば筋が通った。
考えるまでもなくカレンが敵である証拠は出てくるのに、一方でテロリストの一人がこの状況でカレンに化ける意味はどれだけ考えても思いつかない。
(じゃあさっきの会話の意味は何なんだ)
アレは意味のない会話だ。仁を一人にすることが目的なら、この教室に来た時点で拘束すればいいだけ。テロリストにとって必要なモノだとは到底思えなかった。
「分かんないですよ。なんであんなことを言ったんです。答えてください、いや答えろ、狐火カレンッ!」
カレンは表情を変えない。しかしその声音はいつものカレンを思わせるもので、聞きなれているからこそ、仁は違和感を覚える。ある少女を歪に模した人形が、その少女と全く同じ声で喋っているかのような、微かな嫌悪感が湧いてくるのだ。
「私は確かに任務を優先する。だが、私に与えられた任務は『破滅の聖杯』の捕獲だけだ。だから仁、可愛い後輩を殺すつもりはない」
「それに何の関係がッ」
「私はな、存外この学生ごっこを気に入っていたんだよ。だが、この任務を終えればここにはいられない。だから、最後に先輩らしいことをしてみよう、そう思っただけだ」
「先輩の考えは理解できました……でも、分からない。普通に話してますけど、アンタのせいでみんな大変なことになったんだぞ!」
二週間前の事件のせいで大怪我を負った生徒も少なくない。なのに、そんな事件を起こしたというのになぜカレンはいつもと同じ口ぶりでいられるのか、仁には理解できなかった。
「罪悪感はないのか! 死人は出てないけど、それでもアンタのやったことは関係ない多くの人を傷つけたんだ。なのになんで」
「罪悪感か。そんなもの感じるのは余裕のある奴だけだ」
その言葉を聞いた瞬間に仁の中で歯車のかみ合う感触があった。今までどうしても埋まらなかったパズルの最後のピースが簡単に埋まっていく。
「そうか、カレン先輩。いや、カレン。アンタと俺は生きてきた世界が違ったんだ。理解しあえるはずがない」
あの十年前の地獄の先で、希望を手に入れた者と、地獄の中で苦しみ続けた者。分かり合えるはずがないと仁は切り捨てようとした。
が、カレンはそんな仁に言う。
「仁、その理論でいけば、オマエはネージュと分かり合うことなどできない、ということになるな」
的確に仁の言葉から彼の心に傷を与えるための言葉を投げつけるカレン。仁の表情は大きくゆがむ。
「どうした。心の中の不安を言い当てられた、そんな顔だ」
「違う! アンタみたいな人のことを何とも思わないような人間と俺は違うッ! ネージュだってそうだ! ネージュは笑って泣いて普通に過ごしてる、普通の女の子だ!」
「傷つくことを言うな」
仁もカレンの学校で見せる彼女が偽物でないことくらい本当は分かっている。本心から自分のことを可愛がってくれたことも、だらしない姿を見せるのも、仁への信頼の裏返しであることも、全部分かっている。
「オマエとネージュは住む世界も生まれた環境だって違う。オマエには彼女の苦しみの全ては分からないだろう? それで彼女の役に立てると思っているのか? そんなオマエが彼女を救えるとでも?」
「そんなことはやってみないと分からないだろうが!」
仁は固定された手足をバタバタと暴れさせ脱出を試みるが、ロープは緩まず逆に手足に食い込むために痛みが走る。
「やめろ、仁。私はオマエと戦うつもりはない。頼む、全てが終わるまでじっとしていてくれ」
「それができるはずないだろうッ! ——
怒りと共に仁はロープを引きちぎる。手や足には鮮やかな傷跡ができ、そこから真っ赤な血が流れ出た。しかし、仁は痛みなど無視してカレンと対峙する。
「仁!」
仁は答えない。ただ一直線にカレンを狙って突撃。放置された机を薙ぎ払いながら迫る。
振り上げた仁の右手がカレンの顔面を捉えて振り下ろされる。が、硬い金属音が鳴り響き、拳はカレンの左手に握られた鉄扇によって弾かれた。
(くッ、危ない。全力で打ち込んでいたら間違いなく腕も壊れてた)
強い衝撃で痺れて動かなくなる右腕。しかし、仁は止まらない。残った左腕を鉄扇を弾き飛ばすためにカレンの左手へと叩きつける。
(獲った……あれ?)
人を殴った感覚がこない。それどころか、仁の拳はカレンの身体をすり抜けて何もない空間を切り裂くのみ。
次の瞬間、仁の肋骨に硬い何かで打たれた衝撃が走り、視界の端に突然現れたカレンを認識すると同時に仁の身体は教室の壁に叩きつけられるまで勢いよく飛んでいった。
(がはぁッ、肋骨が二、三本折れた……痛ぇ)
肋骨だけでなく壁に叩きつけられたせいで背中と手足にも鈍い痛みが走り、力が十分に入らなくなってしまう。全身が悲鳴を上げているのが分かった。
(あれは幻か。クソ、どうすればいい。幻術使いと戦う時の対処法は)
いつか読んだ本の記憶を必死に思い出す仁だが、浮かんでくる方法はどれも魔術の使えない仁では実現できないものばかり。
(思い出せ、魔術以外で幻術使いに対抗する方法を)
仁に迫るカレン。手に持った鉄扇が開かれ、青白い光を放つ鋭利な刃が壁際に転がる仁へと向けられる。
「大人しくしないというなら仕方ない。オマエの手足の腱を切って動けなくするとしよう。なに、安心しろ。右手だけは残してやる」
「ああ、思い出した」
仁はコートの隙間から手を潜り込ませ、胸に手を当てる。
そして、鋭く尖った爪で自身の胸を服ごと切り裂いた。赤い雫が足元に落ち、黒いコートに血が滲んでゆく。
その瞬間、目の前を歩くカレンの姿が揺らぎ、左前方から大きく踏み込んでくるカレンが仁の首に鉄扇を叩きつけ、意識を刈り取ろうとしている姿を捉える。
振りぬかれる鉄扇、それを仁は倒れこむようにして回避、おまけでカレンめがけて強烈な蹴りをお見舞いするが手ごたえは殆どない。
「——っ。驚いた、自力で幻術を解くとは。だが、前の襲撃で怪我を負った者達の幻術が解けていなかったのを知っていれば無駄だと思うはずだが」
後ろに跳躍し、腹部を抑えながら喋るカレン。あまり手ごたえの無い仁の一撃だったが、ダメージは受けているようだ。
「俺も初めはそう思った。でも、それじゃあ、あのとき俺たちを一度気絶させようとした理由は何かを考えた。それで気付いたんだ。アレは俺たちに目の前の状況を幻だって思わせないためだってな」
「チッ。そこに気が付くとはさすがは自慢の後輩だ」
幻術は初見殺しに特化した魔術。古来より暗殺といえば真っ先に挙げられるほどの知名度を誇る。
が、長い歴史の上で弱点と対策が研究されつくした魔術でもあった。その中でも有名なのが、幻術だと気付かれれば解けてしまうこと。
「正直、驚いた。俺が知ってる範囲じゃ、気付かれても完全には解けないレベルの幻術使いなんて聞いたことも無かったからな。でも、気付かれれば効果が弱まるってのはどうしようもないはずだ。だから後はちょっと強めに気付けをしてやればいい」
「それで自分の胸を切り裂くとは。私はオマエを異能にさえ気を付ければいい、普通の高校生だと思っていたのだがな……そんな狂ったやり方で突破したのはオマエが初めてだよ、仁」
カレンは信じられない物を見る目で仁を睨む。
魔術論理的に言えば仁の仮説は正しいし、納得のいくものだ。だが、それを普通の高校生がこの土壇場で思いつくのか? 思いついたとして、それを信じて命を賭けることができるのか?
「恐ろしいよ、仁。私が対峙した敵の中でオマエよりも強かったヤツは山ほどいる。でも、どんな魔術師よりも、軍人よりも、怪異よりも、目の前にいるオマエが一番得体の知れない恐ろしい相手だ」
カレンが殺してきた敵にも幻術を破る方法に気が付くものはいただろう。しかし、実践したのは目の前の少年が初めてだ。
「本気を出せないとはいえ、ユウが撤退させられたのも納得がいったよ」
仁は命が惜しくない訳では無い。むしろ、絶対に死ぬことは許されないと思っている。けれど、灰月仁は僅かでも可能性があるのなら迷うことなく命を賭ける。
「ところでアンタはいつまで話してるつもりだ。たぶん、幻術を掛けるまでの時間稼ぎのつもりだろうが無駄だぞ。アンタの幻術は視覚、聴覚、触覚は騙せる。でも、嗅覚までは騙せないんだろ。これからはどこに姿を隠しても匂いで位置はわかる。もう幻術は通用しない」
仁はこれが二度目の異能の使用。つまり、力を使いこなせているとは言えない。そして今、強化された五感の扱い方を凄まじいスピードで身に付けつつある。銃弾を見切るほどの眼、心音を捉える耳、本物の狼のごとき鼻、そのすべてで敵を感じ取り始めている。
「それにまで気が付くか。——怪物が」
カレンはもう一つの鉄扇を懐から取り出し、詠唱する。目の前の少年は戦いの中で成長し続けている、殺す気で戦わなければ止まらない、そう確信したから。
「我が名はカレン。我は傾ける者にして焼き尽くす者。憎炎よ、我が身を焼き、我が敵を焼き、写る全てを飲み込み、溶かすがいい。——『
カレンに寄り添うように炎で形作られた九つの狐の頭が空中に出現。それぞれの狐の頭から放たれる火の玉が仁に向かって殺到する。
仁が横に大きく飛んで避けると同時に左足を火の玉が浅く焼く。それが仁の受けた唯一のダメージだった。
仁は踏み込み、加速。火の玉は仁の速さに追いつけず、誰もいない場所に爆炎をまき散らして消滅することを繰り返す。カレンが一方的に攻撃しているはずだが、圧倒的な仁の有利。
仁はバラバラになった机の残骸をカレンに投擲。カレンは避けず、代わりに狐の頭の一つが盾となって消滅する。
「なるほど。それなら」
縦横無尽に教室の中を駆ける仁。床を壁を天井を、踏めるならあらゆるものを使って三次元的な機動をしながら、机や椅子を投げつける。カレンを守る狐の頭が一つ、また一つと消滅してゆく。
「熾れ、炎よ。我が名はカレン。我が声は汝を縛り、支配する。炎よ、この手に宿りて我が敵を討つ力となれ———『
カレンを守る盾が無くなったと同時に彼女の両手に握られた鉄扇が炎を纏う。教室のほとんどは炎に包まれ、カレンに迫る道は一つしか残されていない。仁を誘うようにカレンの正面に
仁は転がっていた椅子を持って走る。鮮やかなオレンジの光を受けて輝く金色の瞳が軌跡を残すほどのスピードで。
二人の武器がぶつかり合い、轟音が鳴り響く。仁の攻撃は勢いを逸らされ、彼は壁に向かって飛んで行く。カレンは完全に体制を崩し無防備な状態。だが、この瞬間に勝負は決した。カレンが立て直すよりも、仁が再びカレンに肉薄する方が速いのだから。
(目の前の壁を蹴って、一撃を入れる。集中しろ、このチャンスを無駄にするな)
仁は空中で体を捻って方向転換、足を曲げ、渾身の力で壁を蹴ろうとして。
バキン、とガラスの割れる音がした。
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