二十二話『ほころぶ』

 喫茶店での一幕より少し前。灰月仁は体育館裏にいた。

 不良に絡まれて連れてこられたというわけでは無く、英士に頼まれたので隅に隠れて様子を伺っている状態だ。


(がんばれよ英士。正直望み薄だけど、世界には物好きがいるかもしれないし)


 見守る先にいるのは英士と二年生の『うるしづき』という女子生徒だ。仁はあまり上級生と仲のいい方ではないので性格は分からないが、容姿だけでいえば整ってはいるだろう、黒髪に大人しげな雰囲気を感じる。誰もが振り返るほどの美人ではないが、密かに思いをよせる生徒の四人や五人はいても不思議ではない。


「えっと、御門君。大切な話って」


 落ち着かない様子の瑞月。何もわかっていない口ぶりだが、表情からしてこの後何が行われるのか勘づいているようだ。

 今の状況は悪くない。静かに雪の降る中、後輩のイケメンから呼び出されて告白を受ける。この状況で胸のときめかない女子高生は存在しないだろうと恋愛経験ゼロの仁は予想する。


(たしか薫が進めてきた恋愛漫画のシーンにこういうのが多かった気がするし。もしかしたらいけるかッ)


 英士は降ったばかりの雪の上を踏みながら歩み寄る。いつもふざけた態度の彼にしては珍しく緊張しているようで、その歩き方は少しぎこちない。

 英士は真っ直ぐに瑞月の瞳を捉える。そして少しの間を置いて、


「麗野先輩、僕ずっと前からあなたのことが好きでした!」


(おい、英士。お前、少し前に別の女子に告白して玉砕したばっかりだろうが)


 内心、目の前の告白に感動よりも冷静なツッコミをしてしまう仁だが、英士の顔つきを見る限り手ごたえがあったことが伝わってくる。仁も気が付けば英士の告白の成功を祈らずにはいられなかった。


(頼む。英士はチャラいし、下ネタは好きだし、女子の太ももと胸ばっか見てる変態だけど、それでも悪い奴じゃないんだ。頼む、成功してくれ!)


 仁は必死に祈るが、目の前で答えを待つ英士の緊張は仁の比ではないだろう。


「ごめんなさい! 私、まだまだ御門君のこと知らないことだらけで、どんな人かもちゃんと分からない。だから、ごめんなさい!」


 後ろを振り返ることなく駆け出す瑞月の後ろ姿を呆然と立ち尽くして見送る英士。しばらくの間、仁はなんと声をかけるべきか、いやこのまま黙って立ち去るべきかの判断すらつかず、重たい空気を感じながら動けなかった。


「気まずすぎるだろう。英士は毎月こんなことやってるのか。一体どんなメンタルして」


「仁、悪い。フラれてしまった」


 隠れていた仁に英士が急に声をかける。


「うぁああッ! 英士……その、気にす……いや何でもない」


 言葉の途中で気が付いたのだ。英士は今まで仁に見守ってほしいなんて言ったことは無かった。だから、もしかしたらいつもの告白とは英士の思いが全く違うかのしれないという可能性に。


「フラれて分かったんだ。僕は本当に先輩が好きだったんだなって」


「そうか。どんなところが好きになったんだ?」


 雪の中、少しずつ言葉を交わす二人。今、英士の思いを整理させてやれるのは自分しかいないと仁は思う。だから親友にとことんまで向き合ってやるつもりであった。


「そうだね……隠れ巨乳なところかな」


「…………(ゴミを見るような目)」


「いや、もちろんそれだけじゃない。お淑やかで優しい所とか性格もだし……それに」


 そこで英士は一度言葉を止めた。下を向いたまま一言の発さない。本人にしか分からない葛藤が心の中にある。けれど、本人でないからこそわかることもある。


「英士、気付いてるか? お前のことをよくわからないから先輩は告白を受けなかったんだろ」


「そうだね」


「じゃあさ、これから時間をかけて分かってもらって再挑戦すればいいんじゃないか。まだ一年間も時間があるんだしさ」


 英士は顔を上げる。その眼にはもう一度熱意がこもっているのが感じられた。英士はゆっくりと息を吐くと、


「仁がモテるのもよく分かるかな」


「いや、俺は全然モテてないぞ」


「えっ、薫やネージュさんとの距離の近さで⁉」


「何言ってんだか。薫は相談に乗ったら仲良くなっただけでそんな感じじゃない。それにネージュは新門に来てから色々助けたから仲良くなっただけだし。ネージュもここの生活に慣れたら、俺以外の男子にもあんな感じになるだろ」


「言い逃れしようとしても無駄だぞ仁。僕はネージュさんの口から、君と同棲していると聞いたのを忘れないからな」


 そういえばそうだった、と仁は二週間前の記憶を思い出す。英士には仁がネージュの生活の面倒を見ていることを知られていたのだった。


「仁は何も思っていなくてもネージュさんは絶対に意識してる、僕が保証する」


「またまた。そんなラブコメじゃあるまいし」


 実際にはラブコメにありそうな展開が山盛りで仁の理性はいつも限界を試されている日常なのだが。


「それにだ、ネージュが俺に好意を持ってくれていたとしても、今のは刷り込みと同じだ。そこに付け入るような真似を俺はしたくない」


「仁、そんなセリフが自然に出てくる君が怖いよ」


 そんな実に高校生男子な会話を繰り広げる二人の元に来訪者が一人。


「おう、オマエたちこんなところで恋バナか?」


 やってきたカレンの姿は見慣れた作業着ではなく、セーラー服で格好だ。雰囲気は女番長とでも言うべき風格がある。

 そんな普段とは違う姿のカレンに仁は質問する。


「カレン先輩こそこんなところにどうして?」


「まぁ、アレだ。オマエだってあるだろ、一人になりたくなる時がさ」


 そう答えるカレンの様子にいつもと変わったところはない。何か嫌なことから逃げるためにここに来た訳ではなさそうだった。ただ、一人になりたいとはカレンらしくないとは思うが。


「丁度いい、仁。さっきまでオマエを探しててな。英士、悪いがコイツは借りていくぞ」


 というワケで仁はカレンに連行されて校舎の空き教室へ。校舎の中はこの雪のせいもあってか人は殆どおらず、空き教室のある四階は誰もいない。


「何の用ですか、先輩。こんなところに連れてくるなんて」


「いや、工房についての話だ。私は三年生で今年の工房長だ。そこで卒業するにあたって後釜を決めなければならないんだが」


「それを俺に頼みたいと、そういうことですか」


「ああ、工房長は毎年三年生から選ばれるが、私はそれを破ろうというワケだ。こんな話、下手な軋轢を生まないためにも誰もいない所でしか話せん」


 カレンは教室に放置された椅子に腰かけると、仁の方を向いて話す。これまでの伝統を無視してまで仁に名誉ある仕事を任せようとしてくれている、こんな尊敬できる先輩に認められているということが仁は嬉しかった。


「どうだ。確かに前例のないことで大変だろうが、やってみる気はないか。オマエほど腕のある奴も努力している奴もいない。すぐに皆、オマエのことを認めるだろう」


 カレンに自分は評価されすぎていると仁は思う。聞いているだけで恥ずかしくなるほど強い言葉で賞賛されて断れるはずがなかった。


「はい。精一杯やらせてください。カレン先輩の判断を間違いだなんて思わせません」


「そりゃいい。で、ここからが本題なんだ」


「——?」


「ネージュ・エトワール、いや『破滅の聖杯』。アレに関わる一件から手を引いてくれないか? お願いだ」

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