第三章 『約束された結末』1998年12月24日

二十話『ここから』

 新門学園第二区画駅前。ネージュが初めて新門にやってきたその日、怪異と戦闘でかなりの被害を与えた場所だ。ただ一か月が過ぎた今はすっかり元通りになり、放課後には学生たちでにぎわっている。


「ここが、カフェなの?」


「はい、そうです。私の一押しの場所でとっても美味しいコーヒーが飲めるんですよ」


 そんな駅前区画のはずれ、廃ビルが立ち並ぶ人気のまったくないエリアにそれはひっそりと居を構えていた。その店があるビルは周りの建物と比べてもかなり古く、ツタが絡みついて雑草が生えた少し不気味な雰囲気だ。ただ看板は綺麗に磨かれており、『喫茶 カサネ』の文字が刻まれている。

 カフェというよりは隠れ家喫茶店といった見た目で、女子高生には入りずらい雰囲気。人生をコーヒーに捧げた五十代くらいのマスターが一人で営んでいそうな感じだ。


「もう一度聞くのだけれど本当にカフェなのよね、ここ。カフェではオシャレなスイーツが食べられる、って仁は言っていたのだけど」


「ネージュさん、知らないんですか。コーヒーはカレーと一緒に味わうのが一番おいしいんです」


 薫は平らな胸を張ってそう断言する。すごく自信満々かつネージュを喜ばせたいという気持ちが真っ直ぐキラキラと輝く瞳から伝わってくるので、別の場所にしましょう、とはとても言い出しづらい。

 初めは仁を誘ってカフェとやらに挑戦しようとしたネージュであったが、


「仁、今度カフェにでも行かない?」


「——⁈ いや、俺も実は行ったことないから良くわからないっていうか、女子と二人でそういうところに行くのは……薫でも誘えばいい店を知ってると思うから、一緒に行けばいいと思います、はい」


 というやり取りで断られたので、薫を誘ったという経緯がある。もっとも、仲の良い友人と言えば薫が一番最初に思い浮かぶのでネージュは彼女も誘おうと思っていたのだが。


「というよりどうして薫はこんな所を見つけたの? 迷い込んでくるような場所ですらないと思うのだけど」


「実はですね、ここの喫茶店は父の知り合いが経営してまして。私は開店当時からの常連客なのです」


 初めて薫に会ってから二週間。初めこそ、なぜか険悪な仲だったが、保健室での話し合いを経て急速に仲良くなったネージュと薫。学校でも話すことが増え、薫のことも分かってきたこともあるが、こういう良く分からない不思議な面もあるのを感じる。もっともネージュも人の事は言えないのだが。


(薫は新門でもかなりの権力者の娘……良い人だけど口を滑らせないように気をつけないと)


 ネージュから見た薫の評価は『フワフワしているが時々とても勘が鋭い』だ。普通は思いつかない所まで考えを巡らせるためにネージュの正体に気が付くかもしれない。友人としては大切な薫だが、同時にネージュにとって油断ならない人物である。


「ほら、ネージュさんいつまで躊躇ってるんですか。新しい名店に出会う秘訣はまず入ってみることですよ」


「え、ちょ、ちょっと待って薫、まだ心の準備が」


「いいから行きますよ! 雪が降る外にいつまでいるつもりですか」


 薫に手を引かれ、地下への階段を下りるネージュ。そして木製の扉をくぐると、


「こ、これは」


 壁や床は暗い色の木材で統一され、空きスペースには背の低い観葉植物がいくつか置いてある。棚には食器やカップが並んでおり、店内全体がモダンで落ち着いた雰囲気のする喫茶店、予想通りの内装だ。

 しかし、カウンターの向こう側でコーヒーを淹れているのはダンディな中年ではなく、二十代半ばの青年だった。白髪交じりの黒髪に中肉中背、若さを失っているというべきだろうか。


「こんにちは天城さん。どうですか、新しいブレンドはうまく出来そうですか?」


「薫か。そうだな、良い線行ってるんだが、もう少し何かが足りない……って嘘だろ! その隣にいるのはまさか友達⁉ お前、友達出来たんだな」


「そこまで失礼な口が利けるなら元気そうですね。残念なことに」


 仲がいいのか険悪なのかいまいちよく分からない会話に戸惑いを覚えるネージュ。これが冗談というものなのだろうか。


「いやー薫が友達か。ちょっと前まで『強くなるには馴れ合いなんて足枷にしかなりません』とかクールなドヤ顔で言ってたのに」


「ちょっと! やめてください、あの時期は余裕がなかったからであって、今は……とにかく恥ずかしいので黙ってください!」


「薫……」


 恥ずかしそうに顔を赤らめる薫を何とも言えない表情で見つめるネージュ。昔の今と違う薫のことを聞いてみたいとは思うが、これ以上薫のメンタルにダメージを与えるのもかわいそうなので、その興味は心の中だけに留める。


 ほかに客なんて来ないので適当に座ってくれ、と言うことで一番奥のテーブル席に向かい合うようにして座るネージュと薫。


「ネージュさん。さっきのことは誰にも言わないでください。特に灰月君と御門君には」


「え、ええ、もちろん」


 薫から感じたことのないほどの圧によって気圧されるネージュ。今の発言については絶対に人に知られたくないものらしい。


「天城さん、私はいつものをお願いします。ネージュさんは?」


「それじゃあ私はこのブレンドコーヒーを」


「はいはい。ちょっと待っててくれよ。すぐに淹れるから」


 注文を済ませて少しホッとするネージュ。初めてきた場所だからか、妙に緊張してしまう。仁といるときはそんなことないのだけれど。


「ネージュさん、二週間前のあの時ってどんな様子だったんですか。みんなに訊いてもあまり覚えていないらしくて」


「二週間前……」


 襲撃が終わると仁とネージュは他の生徒ともども病院に送られ、精密検査を受ける羽目になった。説明によると襲撃犯が時限式の魔術を仕掛けていないかチェックするためとのことで三日間も病院をたらい回しされる羽目に。

 しかも仁とネージュは二人だけ違う場所にいたということで異端審問官による事情聴取までついてきた。上手くごまかしたが、もし疑われて監視でも付けられていたらと思うと心が休まらない。


「…………」


「どうしたんですかネージュさん、急にボーっとして。あ、もちろん嫌なこと思い出しましたよね、すみません」


「いや、いいの。気にしないで。少し考え事をしていただけだから」


 ネージュは普段通りを装う。気を抜けば不安や疲れが顔に出てしまいそうになる。そんなネージュには気付いていないようで、薫は続ける。


「それでは疑問に思ったことを聞いてもらってもいいですか? 私たちが学校についた時には犯人はすでに逃げていたんです。つまり、犯人は私たちを避けていた。でも、どうして私たち戦闘魔術科がいないときを狙って襲撃できたのかなって思うのですよ」


「確かに。それも、急に決まった訓練だったのよね」


「はい。だから不思議で。もしかしたら犯人は学校を見張って襲撃の機会を伺っていたのではないかと」


「さすがにそこまでじゃないと思うけど」


 そう言われると確かに不思議だ。どうやって学校の情報を手に入れたのか、その一点に秘密があるような気がする。もっとも今は見当もつかないことだが。

 考えるネージュ達に声をかけるのはメニューを運んできた天城だ。


「はい、薫にいつものとネージュちゃんにブレンドコーヒーとおまけの一杯」


 薫の目の前には大盛のカレーと苦さ控えめのカフェラテ、ネージュの前には二種類のコーヒーが運ばれてくる。


「これからも薫と仲良くしてやって欲しいのでサービス。ついでに味の感想のくれると嬉しいんだが」


 早速、コーヒーを口に運ぶネージュ。火傷をしないようにそっとカップに口をつける。


「おいしい。でも左のは少し物足りないような」


 右のコーヒーは芳醇な香りと酸味と苦みの絶妙なバランスで確かな満足感を感じるのだが、左は何か物足りない。仁に言わせれば、苦すぎず甘すぎず、調和がとれ過ぎていてつまらない味だろうか。


「もっと苦くするか甘くするといいと思う。ここは思い切ってバランスを一旦崩すべき」


「へぇ、奇遇だな。俺もそう思っていたんだ。ところでどうだい、良い舌を生かすためにウチでバイトしてみたりとか。お高くしとくよ」


「ごめんなさい。家のことで忙しいので」


「はぁ、せっかく看板娘を雇えると思ったのに。客足アップのチャンスがまた一つ遠のいていく~」


 がっくりと肩を落とす天城。店内に全く人がいないのが気になっていたネージュだが、どうやらこの店はいつもこんな調子らしい。


「でもネージュちゃんみたいな銀髪碧眼はこの街でも珍しいな。名前も極東っぽくない、『欧州連合』か『新天地フロンティア』の留学生かい?」


 欧州連合と新天地フロンティア。どちらも『六大列強』呼ばれる極東に並ぶ大国の名であったとネージュは思い出す。正体を知られてはならないので余計なことは喋るべきではないが、怪しまれるのも避けたいためうまく合わせるべきと判断した。


「ええ、新天地フロンティアからこの国の魔術を学びに来たの」


「そりゃ大変だろう。国からのプレッシャーもあったところに、最近の新門ときたら一か月前に街壁が突破される事件があったし、その頃から雪は降りっぱなし、二週間前には学校をテロリストが襲ったんだろ。この街に来てから大変なことばっかりだったんじゃないか?」


 振り返ってみれば確かに色んなことがあった。どこかで死んでしまってもおかしくなかった。そう思うと、今この瞬間がどれだけ暖かなものかにもう一度気付かされる。それも全てはあの夜から始まったのだ。


「確かに大変だったけれど、それよりも楽しいことの方が多かったから。仁が私にたくさんの幸せをくれたの」


「へぇ、まあこんなに可愛い子がいたら男は放っておかないか」


 と、ここで目を離して隙に大盛のカレーを平らげた薫が会話にエントリーする。


「灰月君は困っている人には誰でも手を差し伸べる……なんて心の広い人でしょうか、やはり彼こそ真の聖人というに相応しいですね」


「ああ、仁ってのは灰月仁のことか——アイツが見たらどんな顔をするか」


 複雑な顔つきでそっと呟く天城。彼は何かに悩んでいるような声色で、そこに居ない誰かを憎むような、懐かしむような瞳だった。好意と嫌悪が入り混じった複雑な感情だったのは確かだ。


「天城さん、薫がブツブツ呟いたまま動かなくなったんだけど」


「ほっとけばそのうち治る。こんな所は親父に似なくてもいいんだけどな」


 興奮のあまりガタガタと震えだした薫を天城に任せてネージュは席を立つ。今日は自分が料理当番なので買い物に行くことになっている。家計のことを考えるとスーパーの特売に遅れる訳にはいかない。

 雪で交通機関は全て遅れているため徒歩で向かう必要がある。よい食材を手に入れるためにも余裕を持って出発しなければ。

 ネージュは自分の分の会計を済ませて喫茶店の扉を潜った。外は吹雪が強まって、少し先が真っ白に染まっている。


「ごちそうさまでした」


「おう、また来いよ。今度は仁くんとの………できてもいいんだぜ」


 肝心なところが風に遮られて聞こえなかったが天城に返事代わりに手を振ってネージュは『喫茶 カサネ』を後にする。

 空は暗く街灯の明かりもぼんやりとして頼りない。次第に夕暮れが近づいてくる、そんな気がした。


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