二十話『少年は灰へと至る』
鬼人の少年は気絶したネージュを抱える。ネージュの身体には無数の切り傷と銃創があり、今も鮮血が滴っていた。普通なら死んでいるほどの重傷だが、『破滅の聖杯』はこの程度で死ぬほど脆くはない。
ネージュに触れていては満足に魔術を使えないため、使い魔に頼らず新門を脱出しなければならない、と考えていた時。後ろ側で何かがゆっくりと立ち上がる気配がした。
「何だ」
そこにいたのは灰月仁、だがおかしい。仁の受けた一撃は一時間以上は気絶する威力のはず。加えて今の仁からは得体の知れない気配が立ち上っている。今までは多少動きにキレのあるただの高校生と思っていたが、その評価が間違いであったと直感させられた。
少年は仁に対して流れるような動作で銃口を向ける。引き金に手をかけ、いつでも仁を殺せる体制を整えて機を伺う。
そんなことは気にも留めずに仁は呟いた。
「——
イメージを形にしてゆく。一つ一つ自分とヴァンを重ね合わせるようにしてパーツを作り、それを自身と一体化させる。
そして仁の姿が変わる。頭には狼のような耳が、腰からはしなやかな尾が生え、目や歯、爪が鋭さを増す。仁本来の黒髪金眼の容姿と真っ黒なロングコートも相まってイメージ通りの人狼がこの世界に顕現する。
(これは獣化魔術⁈ いや違う、魔素は感じられない。まさか……『異能』か! 覚醒しただと、この状況で!)
少年の判断は速い。すぐさまトリガーを引き、装填されている全弾を仁を殺すために発射する。しかし空を裂く鉛玉ごときよりも仁の方がより速い。
仁は銃弾の下を滑るように潜り抜けると、床がひび割れるほどの踏み込みで瞬時に少年へと肉薄する。そして一撃。
(がはっ、一撃で致命傷にはならないが、なんてスピード! 鬼人の身体能力でも追いつけないだとっ!)
仁を追いながら発砲するが全て仁は躱し、隙をついて一撃を何度も何度も叩き込んでくる。確かに一撃一撃は軽いが、何度も積み重なるダメージが確実に身体機能を低下させ、追い込まれている。
「こうなれば」
少年は抱えていたネージュを床に転がす。仁の意識がネージュへと吸い込まれる。鬼人はその隙を見逃さない。
全弾を仁に放ち、トドメに蹴りを食らわせるが、足に残る感覚は軽い。弾は躱され、蹴りは当たった瞬間に後ろに跳躍して避けられたらしい。
そのまま丸くなって受け身をとる仁。二人の距離は再び離れた。異能の覚醒にも驚かされたが、急に体術のキレが上がったことも、恐ろしいまでの危機察知能力も、侮っていい相手ではないと少年は再認識。そして鬼人と人狼は向かい合う。
「オマエ、名前は」
「相手に訊く前に自分が答えろ、クソ野郎」
「
「灰月仁」
吐き捨てるように互いに名乗りあって、仁は走る。床を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴り、縦横無尽の立体的な機動でユウへと迫る。
廊下を覆うようにして放たれる超高密度の弾丸、その穴を突くように仁は駆け抜ける。
獣装によって超強化された脚力と五感、そして仁自身の恐れをねじ伏せる精神によって成り立つ曲芸。野性的な荒々しい動きながら、合理を突き詰めた人間的な思考判断で迫りくるソレはまさに人狼。敵に恐怖を植え付ける怪物そのもの。
距離が三メートルまで迫る。放たれる弾丸を空中で身をよじって回避する仁。頬を掠めて怪物の顔に人間の赤い血が滲む。が、仁は気にも留めずに突撃。
そしてユウの右手の管からあの青白い光が放たれる。
「それは、さっき見たッ!」
その場で回転するようにして衝撃を躱す仁。そのまま渾身の一撃を放とうとして、無防備な胴体に魔素で強化されたユウの左手が激突。窓から飛び出し、下に落ちてゆく。
「はぁ、はぁ。これで」
再びネージュを抱えたユウ。
と同時にすぐ後ろで床がベキッという音と共に爆ぜ、仁の渾身の一撃がユウを捉えた。
(バカな、下に落ちたはずでは⁈ たった数秒で音もなく外壁を駆けあがってきたとでもいうのか!)
突き刺さる拳の威力に耐えきれず、ネージュをその場に残し、壁まで吹き飛んでゆくユウ。口から血を吐きながら立ち上がる。
「さすが鬼人、タフだな。いいぜ何回だってぶちのめしてやる」
ユウを睨みながらしっかりとその腕でネージュを抱える仁。彼女の腕に触れた瞬間、
「ごめん」
仁はネージュをできる限りゆっくりと床へ降ろす。そして
ユウも銃のリロードを終えて、状況は再び初めへと戻った。
「「決着を付けよう」」
合図と共に二人が再び構えたその時。学校を囲む結界が真っ白な光によって一閃。一部がほころんだ結界が次々と崩壊してゆく。
「く、異端審問所か。いや、まだ早すぎる」
事態が飲み込めないユウの隣で仁は笑っていた。その援軍は仁にとって異端審問官よりも頼もしい存在だから。
「その通り、あれは異端審問官じゃない。この学校の生徒だよ。壁の外にいた英士達が帰ってきたんだ。まったく英士のヤツ、結界を切り裂くとは」
白の極光は斬撃に合わせて超高密度の
学生と言えどもその数は多く十分な脅威、ダメージをかなり受けている現状では正面からでは逃げ切れない。仁を突破できない限りは『破滅の聖杯』の回収も難しいとユウは判断する。
「チッ、撤退だ」
ユウはローブの中に隠していた煙幕を使うと、ネージュは無視して逃げの一手を打つ。煙が視界を遮ったのは五秒ほどだったがその瞬間に影も形もなくなってしまった。
「早くネージュの手当てをしないと」
ネージュの元に駆け寄った仁の頬を目が覚めた彼女の手がそっと撫でる。かなり血が失われたために死人を思わせるほどに白い手だ。
「仁、大丈夫?」
「それはこっちのセリフ。包帯とか持ってくるからじっとしといてくれ」
「いいの、もう治ったから。こういう時には便利な体なのよね」
そういうネージュの腕にあったはずの傷は完全に塞がり、すっかり元通りになっている。制服は血で汚れているためかなりグロテスクだが。
「そうかぁ、よかった。と、と、と」
安心するとその場に倒れこむ仁。今まで全く疲れも痛みも感じていなかったはずなのに突然動けなくなる。
「とりあえず少し休憩しよう」
「そうね、賛成」
そうして二人は寝転がると天井に空いた穴から雪模様の空を眺めることにした。
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