十六話『無力な少年』

 二人が校舎内に踏み込んでもやはり魔術が起動する様子はない。油断させるためのトラップの一部ということも考えられるが。


「仁、どこに行くの?」


「まずこの校舎の一番上、4階に行こう。それから渡り廊下を通って中央校舎、放送室のある校舎まで行く。一番最初に探した校舎だろうから、もう一度探されるまで時間がかなり稼げるはず。あとは様子を見て隠れ場所を変えていく」


 仁の提案に沿って、上の階へ行く二人。しゃがんで窓に映らないように移動するため時間がかかり、焦りが積もる。


「あれは」


 二人が三階についた時、外側が少しへこんだ消火器を発見。見た目はボロボロだがまだ使えそうなので、仁はすばやく回収する。


「仁それは何のために? そんな鈍器で立ち向かうのは無謀だと思うけど」


「逃げるときの煙幕用。それにウチの学校の消火器は全部、魔術火災にも対応していたはずだから、相手の魔術を少しは弱められるはず」


 かなり昔の消火器なのでいざというとき使えないなんて事態になるかもしれないが、持っていく利点の方が大きいはずだ。最悪、敵に投げつけて足止めできるかもしれない。


「やっと渡り廊下ね。あと一息、油断せずに行きましょう」


「ああ。左側の壁沿いに進めば他の校舎から見えずらいはず。ゆっくり慎重に、だ」


 壁に沿いながら、ゆっくりと進む二人。ここまで魔術的なものは見ていない。そして、渡り廊下にもそれらしきものは無い。


「ネージュ、中央校舎に入ったらいつでも魔術を打ち消せるように準備しておいてくれ。最後に何かあるとすればそこだ」


「ええ。わかった」


 その会話の直後。二人が中央校舎に意識を集中させた瞬間。

 渡り廊下の天井を砕き割って、真っ黒なローブを着た少年が現れる。

 光沢の無く焼け焦げたように見える黒髪に鮮血あるいは赤い宝石を思わせる紅眼。だがその整った顔立ちの中でも目を引く、額に生える一対の角。それは高い身体能力を持つ亜人の中でも別格の存在『鬼人』の証。

 そして鬼人の特徴はその身体能力だけではない。魔術に関しても天性のセンスと魔素量を兼ね備える。

 そんな鬼人の少年は床に刺さった腕を引き抜くと、落ち着いた声音で語りかけた。


「やはり協力者がいたか。おい、そこの少年。今すぐ『破滅の聖杯』を見捨てて逃げるのであれば命までは奪わないと約束しよう。こちらとしても無関係な者を巻き込むのは気が引けるのでな」


 何を言っているのか仁には理解できなかった。


「今更お前、何言ってやがる。無関係な者を巻き込みたくない、だと。無関係なここの生徒を散々使いつぶすようなことしといて今更、今更、よくもそんなセリフを吐けたもんだなッ!」


「………………」


 激昂する仁の糾弾に鬼人の少年は何も言い返すことはない。ただ黙って、否定も肯定も言い訳も開き直りもせず聞くのみ。


「そもそもだ。ネージュを見捨てて逃げるなんて選択肢は俺の中に最初っから無いんだよ」


「ネージュ……ああ、『破滅の聖杯』のことか。貴公はそんなにソレと親しい仲であるということか」


「ソレだと……人をもの扱いするな。ネージュはお前らの道具なんかじゃない。一人の人間だ!」


「いや、組織にとって『破滅の聖杯』は道具でしかない。偶然にも道具に人格があっただけだ。ソレを見捨てて逃げるなら今の内だぞ」


 どこまでいっても目の前の存在と分かり合えることはないだろうと仁は理解する。思考の根本が異なっていて、鳥にでも話しかけている気さえした。


「だからお前にネージュを渡す気なんて」


 その瞬間に仁は消火器の中身をぶちまける。勢いよく噴射された白い粉が渡り廊下に充満して視界を奪う。魔術も満足に扱えない真っ白な空間の完成だ。


「今だ。逃げるぞ、ネージュ!」


 二人は来た道を全力で走って逃げる。視界は悪いが壁に沿って走れば方向を見失うことはない。ただ逃げることだけを考えて足を動かす。


(なるほど。あの怒りは演技。すべては不意を突く機会を伺っていたということか)


 鬼人の少年は焦り一つ浮かべない。足に力をこめて前へと大きく跳躍。バキィ、と音がしてコンクリートの床にヒビが走る。


「——なッ」


 衝撃と共に仁の視界が揺らぐ。気が付けば仰向けに倒れていて、足に蹴り倒されたの痛みがやってきた。


「これなら、どうだッ!」


 仁は手に持っていた消火器を投げつけるが、鬼人の少年は横へ跳んで軽々と回避。しかし、仁はその隙に立ち上がって構えをとる。


(右からくるッ)


 咄嗟に右腕でパンチを防ぐ仁。右腕には打撃を受けたとは思えない鋭く深く突き刺さる痛みが走る。ダラリと下がって、動かなくなる右腕。

 そして、左からの拳が鳩尾に衝撃を与え、嘔吐感がこみあげてくる。それを耐えながら衝撃を利用し、仁は身をよじって蹴りを放つ。が、岩のような腹筋によって逆にダメージを受けてしまう。

 そのまま体勢の崩れたところで右手が首にのびる。抵抗できないまま首を絞められ、呼吸を封じられる仁。


(か、はぁッ、し、し……ぬ)


 体の先端から感覚が失われはじめ、思考が白く染まってゆく。何も考えられず、背筋を伝う恐怖しか感じない。


「仁を、放して!」


 ネージュが拳を握って吶喊すると同時に、鬼人の少年は仁から手を放す。床へと崩れ落ちる仁。その横を通り抜けるネージュの美しい鉄拳。

 鬼人の少年は両手でネージュの拳をガードするが、衝撃を殺しきれずに大きく後ろに吹き飛ばされた。


「さすがは『破滅の聖杯』。鬼人すら上回る身体能力とは。ではこちらも本気を出すとしよう」


 そういうと少年はローブの下から一対の魔道具を取り出す。


(あれは銃? まさか)


 仁はその瞬間にある可能性に思い至る。銃とは内部で使用者の魔素を爆発させ、金属の弾を飛ばす魔道具である。魔術を使用するよりも低い魔素量で人に対して高い殺傷力を持つため、一般的に軍で使用される魔道具だ。だが、この場合、仁の予想が正しいならば。


 鉄の弾がばらまかれ、次々と窓ガラスを割ってゆく。割れた窓から入る突風によって煙幕は完全に消える。一方でネージュは全くの無傷。奇跡的にかすりもしていない。


「これで決める」


 弾切れの隙を狙ってネージュは再び吶喊する。今度はガードしても確実に倒せるだけの威力で迫る。少年は驚くほどの速さでリロードするが、あと一瞬間に合わない。

 が、拳が届くよりも先にネージュの身体に強い衝撃が青白い光と共に到来する。予想できない一撃にゴロゴロと床を転がるネージュ。


「なん、で」


(クソッ、やっぱりか)


 軍人の大多数や無法者が銃を好むのは低い魔術適正でも十分な殺傷能力が得られるから。では、魔術適正の高い者が銃を使う場合はどうか。それは


(そいつが召喚師サモナーだからにほかならないッ)


 召喚師は多くの使い魔を従えるために大量の魔素を必要とする。そして、その弱点を補うために銃を装備していることが多い。ただ、目の前の少年は大型の連射銃を二丁同時に操るなど一般的な召喚師とは言えないが。

 ネージュの正面、甲冑を着た骸骨の武者が刀を構える。


「殺すな」


 金属製の試験管のような容器を指に挟んだまま少年は骸骨武者に命令を下す。それに従い武者は動き、ネージュと激突する。


「えい、せい、はあっ!」


 掛け声とともに放たれるネージュの三連撃を骸骨武者は刀で弾くと、がら空きになった首筋に峰打を決める。膝をつくネージュ。


「うぉぉぉぉぉおおおおおおおッ!」


 馬鹿なことをしたと思う。ボロボロの身体で、特別な力もない。今飛び出しても何の役にも立てないのに、なのに考えなしに飛び出した。ここで飛び出さなければならないと思ってしまったから。


「馬鹿が」


 仁に鬼人の拳が突き刺さり、勢いのままに吹き飛ばされる仁。そのまま壁へと叩きつけられた。肺の中の空気が全部抜けて意識が暗転し始める。


(畜生、立て……動……け)


 仁は全身に力を込めるが、体は言うことを聞かず、すぐに力が抜けてゆく。意志だけではどうにもならないのだ。聞こえるのは苦しそうに喘ぐネージュの息遣いだけ。


「まだ立つか、『破滅の聖杯』」


ネージュの拳と骸骨武者の刀が交錯する。

ここで仁の意識は暗転した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る