十三話『踏み出すということ』

 医務室と言う場所にネージュは初めて入ったが、ここは好きになれそうにない、そう感じた。

 真っ白に統一された部屋の内装も、あたりに漂う薬剤の香りも、そのすべてが研究所を思い出させにくる。とにかく居心地が悪い。


 あれから、薫を医務室まで運んだネージュたちだが、医務室には誰もおらず、カレンは急用が入ったためにどこかに行って、英士は午後の準備のために教室に帰った。

 そして、放っておくわけにはいかないのでネージュは傍で看病しているというワケだ。


「どうしてあんなことを」


 ネージュは自分が世間知らずの研究所育ちであることを二週間でよく理解させられた。寛容な仁だからこそ笑って許してくれたことを何度もしてしまっていたのだろうし、その仁さえ踏み込んではならない領域に踏み込んでしまった。

 だから、何気ない一言が目の前の少女に大きなダメージを与えて、卒倒させてしまったのだと考えるしかない。


(薫が起きたら、まず謝るべきね)


 そんなことを考えながら、ネージュは手に持っている大弓を撫でる。

 ネージュにとっては軽々と引けるが、薫には魔素エーテルによって身体を強化する術があるとはいえ、相当な負荷のかかる武器だ。なんのためにそこまでして戦場に出るのかネージュには分からない。


「……っ、ここは」


「医務室。倒れたあなたをここまで運んできたの」


 薫はゆっくりと瞼を開くと、少し辺りを見回す。そして、ネージュを見つけた瞬間に驚いた顔をした。


(薫も起きたし、まずは)


「ごめんなさい。私の行動は冷静さを欠いていて、あまりにも過激でした」


 自分のものよりも先に聞こえた謝罪にネージュは面食らう。ベットの上には深々と頭を下げる薫の姿があった。


「どうしてあなたが謝るの。私があなたを怒らせるようなことをしたんじゃ」


「いえ。あの時、ネージュさんには非はありませんでした。なのに私は……その魔術を使って人を脅すような真似をしてしまった。どう考えても私が間違っています」


 後悔と羞恥心が入り混じった眼で俯いたままの薫。第一印象は過激な人だったが、どうやら本来はとても礼儀正しい人物だとネージュは評価を改める。


「薫、顔をあげて。私は全く気にしてないから。むしろあなたを怒らせたことを謝ろうと思っていたくらい」


「おかしな人ですね」


 薫は顔をあげると小さく微笑む。それにつられてネージュもいつの間にか笑っていた。


「弓の点検は済んだそうだから」


 そう言ってネージュは大弓を薫に手渡す。軽々と持ち上げたネージュに比べて、薫の手は弓の重さを支えようと必死だ。


「……ねぇ、どうして薫はその弓を引くの? 今だって手が震えていて、すごく無理をしてるように見えるのに」


 この質問をする時少しだけネージュは躊躇った。またその人にとって踏み込んでほしくない場所に踏み込むかもしれない、それが怖かった。でも、


(行動しなければ何も変わらない、何も分からない)


 そう言い聞かせた。ソレを信じる根拠は、行動して自分の生活が良くなったことくらいだろう。根拠と呼べるのかは怪しいが。

 薫からの返答はすぐにやってきた。


「ネージュさんは私が戦うことを当然だとは考えないんですか」


 その言葉の真意は分からない。だからこそ、ネージュは思ったことを率直に口にする。


「まったく」


 それを聞いた薫は外の雪景色を見てから、ネージュの方を向きなおり、安堵の表情を見せる。


「私は、これでも新門では有名な家の娘なのです。普段は伏せている上に養子ですけどね。だから、小さいころから期待されてきたんです。期待されていると言われたことはない、むしろ父からは好きに生きるように言われています。でも、周りの視線から期待を感じるというか、自惚れていると思うかもしれませんけど」


 言葉をかみ砕いて整理して、自分自身が納得できるようにゆっくりと話してゆく。だから深呼吸。


「初めはそれに答えようと必死で頑張っていました。でも、ある時、取り返しのつかない失敗をしてしまって……それで思ったんです。なんでそんな期待に答えなければならないのかって。そしたら、急になにも頑張れなくなったんです」


 ネージュは黙って耳を傾けていた。自分のことを否定せず受け止めてくれた仁のように在れるよう。


「そんな時、この学校に入って灰月君に出会ったんです。初めは魔術が使えないのにどうしてこの学校に来たのか不思議に思っていました。でも彼は魔術が使えないハンデがありながらも『魔道具コンテスト』で準優勝を果たした。……その時、なぜかは分かりませんが、彼に聞いてみたんですよ。私が戦うことを当然だと思うか、と」


「それで、仁はなんて答えたの?」


 薫は可笑しそうに笑い、首を傾げるネージュに語りかける。


「あなたと同じ、まったく、とだけ」


 どこか遠くを見つめるような眼差しで、その時の光景を懐かしむ薫。その姿はベットの上にいるせいか繊細な花のような印象を抱かせる。


「だから今度は私が、なんでそんなに努力するのか、そう彼に聞いたのです。そしたら彼は自分のためだと言ったんです……だから気付かされたというか、私は自分が期待に応えたいと思ったから研鑽を積んできたのに、辛さから逃れるために自分の思いを他人から押し付けられたと思い込もうとしていただけだって。他人を使って自分を否定しようとしていただけだって」


「だから仁に憧れたってこと?」


「ええ。だから彼の隣に立てる人で在りたいと、そう思って私は弓を引いています」


 真っ直ぐに、しっかりと張られた弓の弦を指先で弾きながら薫は言う。弦は心地よい高音を発して揺れる。


「私と薫は似てる気がするの」


 確証はない。今聞いた話も、きっと彼女の一面にすぎないのだろうとわかっている。それでもネージュは自分と薫は似ていると感じた。


「そうでしょうか。私はむしろネージュさんと灰月君の方がよく似ていると思います」


 その言葉をネージュは理解できない。自分と仁が似ていると、そう言われても一かけらの実感すらわかないのだから。


「ネージュさんは医務室が嫌いでしょう。ずっとソワソワしてます」


「それは……ええ」


「そういうところです。私のために自分の嫌いな場所に留まっていた。他者のために自分の損を厭わずに行動する姿勢。それが似ている」


 少し照れ臭いような、自分にはもったいない言葉のような、形容しがたくむず痒い感触がネージュの背中を撫でる。


「さて、ずっと御門君が私の分まで準備してくれているでしょうし、私もこうしてはいられません」


 ベッドから降りると、大弓を背負い、戦闘状態を整える。戦闘用魔術を専門とする英士や薫のようなエリートにのみ許された怪異狩りの実践訓練。それに向かう姿にはやはり凛々しさと威圧感を感じる。


「それではネージュさん。この学校で沢山思い出ができるといいですね」


 そういって医務室から出て行こうとする薫をネージュは呼び止める。


「なんですか?」


「その、今度一緒にカフェに行かない?」


 あまりに突然の誘い、今までの会話とはまったく関係のないこと。ネージュ自身も途中から我に返って恥ずかしくなった一言。それを薫は笑いながら、


「もちろん」


 そう短く返して扉の向こう側に消える薫に、


「薫も午後の訓練、気を付けて」


 そんなことを言いながらネージュは、ふと友達とはこういうものなのだろうかと思った。

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