十一話『夢に見た場所』

 教室はいつも騒がしい。ただ今日は朝から爆発が起こっていないだけマシではあるのだが。

 仁はそんな教室の後ろをいつもの足取りで歩いて自分の席に到着。仁の席は一番後ろの窓際から二番目という立地なので冷気が流れ込んできてかなり冷える。部屋の中は暖房が全力で温めているが、仁に暖かさが届くのはもう少し先になりそうだ。


「お久しぶりです、灰月君。二週間も休むなんてお怪我はもう治ったのですか?」


 そう丁寧ながら親しげに話しかけてきたのはやはり薫だ。顔色からは仁に対する純粋な心配が見え、そんなに心配されると仁は申し訳ない気分になってしまう。


「ああ。まだ少し痛いけどほとんど治ったと思う。それにこれ以上休むと、追いつくのが難しくなりそうだから」


「さすが、灰月君は努力家ですね。私も見習わないと」


 と薫は言うが、仁からすれば彼女の方がすごいと思っている。

 この高校は確かにエリート育成機関だが、彼女はその中でも最上位の魔術の腕前を持ち、すぐにでも異端審問官になれるとさえ言われる正真正銘、魔術の天才だ。秋の体育祭で十人の三年生を一人で瞬殺したのはインパクトが強すぎて忘れられそうもない。


「それしてもすごい雪ですね。二週間近くもずっと続くなんて。この区画が怪異の襲撃にあったり、最近はなにか変です。灰月君はあの時大丈夫だったのですか? たしか寮が隣の区画にあったのですよね? 何か見えたりとか」


 興味津々な視線を向けてくる薫に苦笑いする仁。見えたも何も、そのど真ん中から生きて帰ってきたのだから。


「いや、特に気が付かなかったな。朝起きてから大変なことになってたのに気づいたぐらいだし……」


 とはいっても、武勇伝のように語るのはご法度だ。どこからネージュのことが漏れてしまうとも分からないのだから、と仁は気を引き締めなおす。


「ところで灰月君、ここだけの話なのですが、その時に異端審問官が妙なものを発見したと噂になっているらしいのです」


「妙なもの?」


 仁は水筒の暖かい麦茶を口に含みながら首を傾げる。


「それが、怪異の死体なのですけど、なんでも異端審問官が発見した時にはすでに倒されて……」


「ブフォッ! ゴホゴホ……」


 全く警戒していないときに限ってとんでもない話題を振られて吹き出しそうになる仁。どう考えても仁とネージュが討伐したあの怪異達の事だろう。


「どうしました⁈」


「変なところにお茶が入っただけだから気にしないで……」


 仁はせき込みながらなんとか冷静さを取り戻す。そんな仁を不思議そうに見つめながら薫は話を続ける。


「そのうちの怪異の一体は四級の中でも上位、異端審問官でも一人では討伐に手間がかかるレベルだったそうで。しかもそのとき、周辺で人間が魔術を使った痕跡はなく、誰が倒したのかは謎のままなんだそうです」


「怪異を魔術なしで倒せるなんて何者だ? ……まったく想像できないな」


 緊張で引きつった表情の仁の脳裏には、怪異のコアを刺し貫くネージュの姿が鮮明に浮かび上がる。


「私もです。灰月君なら魔道具職人として何か魔術師私たちでは気が付かないことにも気が付くと思ったのですが」


 これ以上あの日について話をするのは不味いと判断した仁は、別の話に話題を切り替えようとする。


「あ、そういえば他のクラスの奴から編入生が来るって聞いたんだけど、薫は何か知らないか?」


「そんなことが……初耳です。すみません、そういうことにはあまり詳しくないので……」


 申し訳なさそうにする薫。見た目の印象も合わさってまるでリスのようだ。と、そこに聞き覚えのある声が一つ。


 「仁~慰めてくれ~」


「御門君、相変わらずの空気の読めなさですね」


 薫はいきなりやってきた英士に冷たい視線を向ける。まるでゴミを見るような圧を感じるが、英士は全く気にも留めない。


「どうした、またフラれたのか」


「どうしてそれを! もしや仁と僕ほどの親友になると離れていてもお互いのことを感じ取れるようになるのか!」


「いや、毎月この時期になると英士が告白してフラれるのがお約束みたいな?」


 何度も女子にアタックしてはフラれるを繰り返せる英士のメンタル強度は仁も見習いたいところだ。ただし、フラれるところまで見習うつもりは全くないが。


「ところで御門君は編入生について何か知っていることはありませんか?」


「それなら面白い情報がある。 なんと、今回の編入生は女子だというじゃないか。仁はどう思う? 編入生は巨乳か貧乳かッ!」


 かなり大声で喋るおかげで聞いている方が恥ずかしくなってくる、実に男子高校生らしい会話。英士に羞恥という感情があることを期待するだけ無駄である。


「オーイ、英士、さっきから神出さんがすっごい顔しながら睨んでるぞー」


 呆れが半分、軽蔑が半分の死んだ目でため息をはきながら薫は英士を見つめると、


「最ッ低です」


 といつも通りに罵倒を叩きつけるが、英士もいつも通りに華麗にスルー。仁に謎の期待の眼差しを向けてくる。


「で、どうなんだ? 仁は大きいのがいいのか、小さいのがいいのか」


「ちょっと待て、質問が変わってるのは……ダメだ、ツッコむ気力すら起きない。これは勘だが多分大きいぞ、編入生……多分」


 さすがに二週間ほど同じ家で生活していても仁はネージュの裸を見たことはないが、服の上からでもわかるくらいには大きいのは知っている。まぁ、ネージュはひたすらに無防備かつ自身の身体を見られることを気にしないので、見ないように苦労した仁なのだが。


「フッ、やはり仁もそうか僕の本能も巨乳だと囁いていてね」


「本能ってなんだ。お前みたいな爽やかな変態と一緒にするな。……適当に言っただけだっつーの」


 呆れと軽蔑に加えて怒りの混じった視線を二人に向ける、慎ましやかな胸の薫が咳払いをして、


「コホン、そうやって人の、ましてや女性の身体の一部について想像するのは失礼です。もっと他に話題は無いんですか」


「それなら、彼女は編入試験を満点。それも五時間で解ききったそうだけど」


「あの難易度の試験を満点……それもたった五時間で⁉ 同じ人とは思えない噂ですね」


 噂を疑う二人だが、仁は知っている。確かに信じがたい情報だが、それは全て真実だと。


「でも、その編入生が俺たちのクラスに来るとは限らないだろ。五クラスもあるんだし」


「そうだけど、想像するのは自由じゃないか」


「お話を聞く限りではミステリアスで上手くイメージしずらい人物ですね。少し楽しみです。同じクラスになれると良いのですが」


 仁もネージュが同じクラスになればいいと思う。が、その確率は低く、仁はとてつもなく運が悪い。二択問題を勘で選んで百問全て不正解になれるくらいには。


 チャイムが鳴り響き、新しい一日が始まる。

 ガラガラと大きな音を立てて扉が開くと、黒いジャージ姿になぜか竹刀を持った担任が入ってくる。


「お前たち、さっさと席に座れ~」


 いつもの号令で一斉に生徒たちは自身の席に座る。が、いつもと同じ光景なのはここまで。


「では、今日の連絡はこれだけだ。入ってこい~」


 彼女は教室へと足を踏み入れる。その瞬間に、教室の空気が変わり、全ての視線が彼女のためだけに向けられる。

 触れれば壊れてしまいそうなほどに繊細、けれど凛とした美しさを纏う美少女はゆっくりと教壇の前へと歩を進める。まるで、自分だけのランウェイを歩く世界最高のファッションモデルのように。

 緊張で考えてきた自己紹介が思い出せない。けれど、彼女は真っ直ぐに前を向いて宣言する。


「私はネージュ・エトワール。これからよろしくお願いします」


 拍手が返ってくるまでに少し間があった。教室の全てがネージュのオーラに飲み込まれたために。そして最初の拍手は教室の一番後ろの窓際から起こった。

 ネージュはそこに目を向ける。そこにあったのは見知った少年の姿。


(ありがとう、仁)


 彼がいるというだけで安心した。緊張感で止まりかけていた思考が再び回りだし、心が熱くなる。

 ネージュは自分の席に向かう。そこは一番後ろの窓際の席、そして仁の隣。そして今初めて出会ったように少し気取って言う。


「よろしく、仁」


「ああ、こちらこそ、ネージュ」

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