第二章 『怪物が目覚める日』1998年12月8日

十話『新しき日常』

「やばい、また寝てた」


 仁は机から顔をあげると、眠たげにあくびをしながら目をこする。おかしな姿勢で寝ていたせいで体中が妙に痛い。体を思いっきり伸ばしたい気分だが、そうすると治りきっていない傷が痛むので我慢する。

 作業部屋からリビングに向かう扉を開けると、朝の寒さが仁を出迎えた。が、この寒さに耐えて朝食を作らなければ空腹のまま学校へ向かうこととなる。それは避けたい。


「この学生寮がボロいってのもあるけど、流石に寒すぎないか。ウチだけ北国レベルな気がするんだよな」


 ぼやきながら中古のテレビの電源を入れる。これも魔道具の一種だが起動に必要な魔素はケーブルから供給され、魔術用の術式が内蔵されているので、魔術の不得意な者でも使える魔道具である。おかげで現代では昔ほど魔術適正による格差は無く生活できるのだ。

 ただ、こういう魔道具は耐久性が低く、衝撃に弱いために戦場では役に立たない。


 仁はダイヤルを回してチャンネルを切り替えるが、どこの放送局でも『新門で記録的な寒波』との見出しで雪景色の街を映している。これから今まで以上に大雪になるということで頭を抱える仁。


(行くのは良いが、帰る時が地獄になる気がするんですけどッ)


 仁の学生寮は低い山の上にあるため、学校に行くまではそこまで苦労しないだろうが、帰りとなると普段でもかなり疲れる。そこに雪が加われば、ちょっとした登山気分が毎日味わえるアトラクションの完成だ。そのせいでこの寮に住んでのは仁くらいである。と言っても彼も望んでここに住んでいるのではないが。

 が、ここも悪いことだけではない。気に入っているところが家賃が安いことと、もう一つあった。


「やっぱり絶景だな」


 勢いよくカーテンを開けはなつと、目の前には真っ白な雪に覆われて、雪の降る中に淡い朝日を受けて輝く新門の街が広がっている。この景色と家賃の安さだけが、ここが他の寮に勝てるところだが、それだけでもお釣りがくるほどの絶景だ。

 極東帝国の異端審問所支部が置かれる、帝国第三の都市は今日もせわしなく人々が行きかう。国家最大の貿易港を有するために、様々な人種、宗教、物が行きかうこの街は毎日が新しいことだらけ。この窓から見える美しい街並みも、絶えず変化し続けている。


「さてと、そろそろ準備しますか。弁当も今日から二つになるし」


▲▼▲


「よし、今日もうまくできた。あったかい内に——っと」


 テーブルの上に並ぶのは伝統的な極東の朝食、ご飯とみそ汁に焼き魚。どれも湯気と共においしそうな香りが立ち上っている。本来はここに納豆があるのだが、ネージュがどうしても臭いが苦手とのことで灰月家の食卓には出てこない。


「おは……ふぁ、よう。今日のごはんは?」


 リビングから廊下に向かう扉が開いて、ネージュが眠たそうにゆっくりとした足取りでやってくる。寝癖がいくつもできて触角みたいだったり、服から肩が出ていたりと残念かつ無防備すぎる姿のせいで色んな意味で目のやり場に困る。


「いつも通り。丁度できたところだから早く食べよう。冷める前にさ」


 向かい合わせで座る二人。仁にとって最初はなれない感覚だったが、これが日常の風景になるまで時間はかからなかった。


「そういえば、お腹の傷は大丈夫なの?」


「まだ治りきってはないけど学校くらいなら大丈夫。走ったりは避けた方が良いと思うけど。そうだ、ネージュ。学校で頭痛がしたら誰かを頼ること。クラスは別になるだろうし、俺がいつも隣にいる訳にはいかないからさ」


 そんな会話をしながら、箸を動かすネージュの手つきは美しい。ネージュの過去を知っていると、常識に疎い印象を受けるが、マナーやエチケットについては仁よりも詳しい。彼女の動きはまるで貴族のお嬢様かと思えるほどの気品がある。


「……本当に学校に行けるのね」


 どこか遠くを見つめるような眼差しでそう呟くネージュ。彼女の、そして仲間たちの叶えたかったささやかな夢がようやく叶うのだ。夢でも見ている気分なのだろう。


「私は転校生って扱いよね。ウワサになったりするの?」


「間違いなくなってる。一日かかる試験を五時間で満点をとった転校生……一週間は質問攻めにあってまともに動けないだろうな」


 仁の返答をきいて困ったような嬉しいような複雑な表情を浮かべるネージュ。普段の凛とした彼女は見せない表情だ。


「あとは……あ、ど、どうやって友達になればいいの? こうしたらうまく行くみたいなアドバイスは」


「特にないな。強いて言えば、自分から話かけにいくことか?」


 小さいころから見知らぬ人と話す機会の多かった仁にとっては、実感のわかない悩みであり、具体的なアドバイスのしずらい相談だ。人付き合いは感覚でどうにかするタイプの彼ではネージュの疑問に答えるのは難しい。


「でも、さっきは色々言ったけどさ、学校にはいるから、困ったら俺に助けを求めても大丈夫だから」


 五秒か十秒か、ともかく短くも長くもない間があって、


「ありがと」


 そう呟いてネージュは少し笑った。


▲▼▲

 

 久しぶりに制服に袖を通す。黒い学ランは腹に空いた穴を直すついでに落ちなくなっていた煤や汚れを落としてもらったので新品と変わらない光沢を放っている。仁の真っ黒な髪によくなじみ、『硬派な高校男子』と言うのが似合うだろうか。


「よし、次はコートとマフラーが、っと」


 クローゼットの中から見慣れたコートとマフラーを引っ張り出す。どちらも焼け焦げた艶の無い黒色をしている——仁の思い出の品だ。もっともサイズが大きかったので着られるようになったのはこの秋からなのだが。

 鏡に映る仁の姿はかなり様になっている。もともと顔はクラスでも三番目くらいの出来に加えて、彼の纏う雰囲気によくあったコーディネートであるからだろう。


「俺はあの人が誰か突き止めなくちゃならない」


 鏡、より正確にいえばそこに映るコートの左肩に焼け焦げながらもうっすらと見える——『異端審問所』の文字を見ながら仁は呟く。

 それは今から十年前、仁がまだ五歳の時に顔もよく覚えていない命の恩人が残していった宝物であり、仁が魔術が使えない絶対的なハンデを抱えていても、異端審問所に入りたいと願う動機そのものだった。

 このコートとマフラーがあったから仁はどんな時でも進み続けた。ただ一言、生きているかも分からないこのコートの持ち主に感謝の言葉を伝えるため、そして自分を助けてくれたあの人のように誰かを助けるために彼はひたすらに努力を重ねてここまでたどり着いた。


「俺はあなたが助けてよかったと思える人になれるでしょうか」


 このコートを着ると思わずそう呟いてしまう。たとえそれが意味のない問いだとわかっていても。


 暗いリビングの空気を打ち壊すように扉が開いて、制服姿のネージュがやってくる。黒に白いラインの入ったセーラー服に短めのスカートを着た標準的な着こなし。そして防寒のために太ももの上まで覆うソックスを合わせた姿からは、凛々しく美しいという感想が真っ先に出てくる装いだ。

 加えて、寝癖を直すためにネージュがシャワーを浴びてきた後のため、艶めかしい色気と生来の白銀の長髪が、かなり大人びた雰囲気を演出している。

 このボロボロの部屋に不釣り合いなネージュに仁は目を奪われてしまう。何度か見ているが、やってくる緊張には未だ慣れそうもない。


「どう、仁。似合ってる?」


「…………」


 耳朶を揺らすは澄んだ鈴のような声。あまりの衝撃で仁は意識が遠い所に飛んでいくと錯覚した。目の前の少女を形容するのにふさわしい言葉が頭の中に浮かび上がらないのだ。だからたった一言、


「ああ、よく似合ってる」


「仁もね」


 少し照れて赤くなった顔で返すネージュ。

 彼女は褒められ慣れていないらしく、仁が褒めると少しのことですぐ照れる。しかも、そういう時は口数が少なくなるし、目を逸らして口元をほころばせるのでとても分かりやすい。

 そんなネージュに仁は出来るだけ冷静なフリをして、クローゼットの底から白い箱を取り出した。


「はい、入学祝のプレゼント。これもあった方が良いと思うから作っといた」


 ネージュが箱を開けるとそこには雪の結晶の刺繍がされた真っ白な長手袋が入っている。仁ができる限り高級な生地から作ったお手製の、この世界に二つと存在しない特注品だ。


「直接触らなければ、魔道具も壊れたりしないから、力のことも大丈夫だと思う」


 ネージュは長手袋に手を通すと、満足そうに頷いて、


「……大切に使うから。さぁ、行きましょう!」


 手を引かれながら仁は玄関の扉の先へ行く。外は一面の銀世界、二人は走りながら一歩目を踏み出した。





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