四話『運命の流れ星』
仁は鍛冶台に向かってハンマーを振り下ろしていた。熱くオレンジ色の鋼を打つ度に快い音がして、火の粉が舞う。
(魔術が使えない)
仁は炉に手を向けて短く詠唱する。
「炎よ、熾れ。——『
しかし、炎が起こることはなく、世界には何の変化もない。世界に小さな火花一つ起こすことすら仁には許されていないのだ。
仁が壁に掛けてある時計を見ると九時を少し過ぎたあたり。また作業に熱中しすぎてこんな時間まで残ってしまった。
「たしか先輩が雪が降るとか言ってたか。早めに切り上げて家に帰った方が良いだろうな」
とは思ったものの、今まで使っていた道具はまだ熱く、片付けるにしても少し待たなければならない。それに失敗作を少し処分しなければ、部屋が一週間後には使えなくなっていそうだ。
ずっと作業していたために
「ふう、寒いな。十一月なのに年明けみたいだ」
工房の外はすでに雪が降り始めていた。地面にはすでに雪が積もりはじめ、本格的な冬の訪れを感じる。子供の頃には大はしゃぎで雪の上にダイブしていたが、今となってはさっさと暖かい部屋に戻りたいというのが本音だ。
「星が良く見える。冬になって空気が澄んできたからか?」
ゴミ捨て場まで雲の間から見える星を眺めながら歩く。外の寒さは厳しいがここまできれいな星空を見られるのなら悪くないと思えるくらいには美しい夜空だった。流れ星でも見れれば満足だと思ったその時、
「ん? 何だあれ。流れ星……いや、こっちに来てないか⁉」
それは夜空に軌跡を描く青白い流星のように見えた何か。未確認飛行物体とでも言うべき得体のしれない空と街の上空を覆う魔術障壁を裂いて落ちてくる弱く美しい光が偶然目に入った。しかも、落下地点はあまり離れているわけではない。
(不味い、なんでもいい、隠れられる場所……でも、綺麗だ)
早く隠れなければ衝撃波で吹き飛ばされる、そう分かっていながらも体が動かない。恐怖で足がすくむのではない、むしろ恐怖すら吹き飛ばされてしまうほどにこの蒼白の流星に魅入られてしまったから。
流星は凄まじい速度で落下。一瞬だけその光は強く眩しくなる。そして、目も開けていられないほどの閃光が迸って、
「あれ? 何もない」
恐る恐る目を開けた仁だったが、そこは大きな川の岸だとか見渡す限りのお花畑の真ん中でもなく、今までと何も変わらない学校裏のゴミ捨て場だ。
(もしかして幻覚? 最近は徹夜続きだったし……本当に休んだ方が良いんだろうか)
が、そんな仁の心配を間違いだと言わんばかりに目の前の雑木林の遥か先で弱弱しいがあの蒼白の光が一瞬だけ瞬いた。
(なんだ? 本当に隕石でも落ちてきたか? ……まさか怪異?)
仁はゴミ袋の中から適当な剣を取り出して構える。あの剣槍ほどではないが切れ味だけなら自慢の一振り。それに彼自身も日々の鍛冶仕事でかなり鍛えられた体つきだ。戦うための技術は素人だが怪異相手でもある程度マシな戦いができるはず、少なくとも逃げるくらいならできるだろう。
「さてと、行くか」
明かりの一つも持たずに真っ暗な雑木林の中を進む。ゴミ拾いのために何度か入ったこともある場所だが、夜に訪れると全く違う場所に見える。幸い雪が月明りに照らされているので足元はよく見えるのだが。
「——ッ! なんだ、風か。はぁ、警戒しっぱなしは疲れるな」
風で落ち葉が動く音に思わず剣を向ける仁。これで五度目の出来事だが一切慣れる気配はない。木の影が風に揺られて幽霊みたいだなぁ、とか思ったせいで、『雑木林の女幽霊』の怪談を思い出して恐怖が限界突破しそうだった。
(やばいやばい、来るんじゃなかったよ、こんなとこ! 好奇心は猫をも殺す、って言うしな、チクショウ!)
といっても、十五分ほど雑木林を彷徨っているので、すでに撤退の文字は仁の思考から消え失せている。こうなったら意地でも落ちた流星を発見するまで帰らないという謎の決意と共に進む仁。
(かなり奥まで進んできたはずなんだよな。そろそろ何か見つけられても良いころだと思うけど)
そのとき、生い茂る木々の隙間から妙に開けた場所が見えた。そこだけ木がないおかげで真っ白な雪で地面が完全に覆われており、神秘的な雰囲気を感じる場所だ。ただ裏山にこんな場所がるなんて話は聞いたことがない。林の奥で生徒が滅多に来ないとしても噂にならないのが不自然なほど奇妙な場所である。
木が広場を囲むように生え、伸び放題の太いツルが防護ネットのように侵入を拒んでいるので入るのは簡単にはいかない。仁が剣でツルを何度も斬りつけてようやく人がギリギリ通れそうな隙間が完成した。
「これ本当にツタなのか? この剣、木材くらいなら簡単に切断できるはずなんだけど」
あまりにも頑丈すぎるツタの強度に驚愕する仁。しかし、そんな驚きも『そこ』に目を向けた瞬間に吹き飛んだ。
「あそこの地面だけ妙に盛り上がってる」
少し離れた所に妙な盛り上がりがある。あたりは平坦なので、何か埋まっています、と言わんばかりによく目立つ場所だった。
剣を構えて近づく仁。しかし、そこにあったのは隕石でもなく新種の怪異でもない。到底予想できないものが雪に埋もれかけていた。
「これは……人だよな」
雪に埋もれていて分からなかったが、そこには白銀の長髪に人形を思わせるほどに白く透き通った肌の仁と同じ十五、六歳ほどの少女が気を失い倒れている。
少女は人間とは思えないほどに整った顔つきと体型をしており、街中で出会ったならば誰もが見とれていたかもしれない。が、こんな森の中では美しいを通り越して恐ろしさしか感じない。
「なんでこんなところに? そもそも見た目通りの人間なのか?」
怪異の中には人間の姿をコピーし、人間を油断させておびき寄せるものもいる。分かりやすい例を挙げるなら、仁が東京で遭遇した怪異がそうだ。
(つまり目の前のコレは人間でない可能性の方が高い。異端審問所に連絡して討伐を……いや、怪異に逃げられたらどんな被害が出るか分からないんだ。俺がここで)
目の前の少女が青い流星なら想像もできない高さから地面に落ちて死なない化け物ということになる。どう考えても人間ではありえない、怪異としか思えないことだ。
歴史を見れば怪異の起こした虐殺は数えきれない。そして、化け物は化け物でしかない、それを仁は身をもってよく知っている。
仁はこの胸に渦巻く感情が『殺さなければ』という恐怖心なのか『駆除しなければ』という義務感なのか分からない。けれど、どちらの覚悟も決まらぬままにその手を剣にかけていた。
その時だ。風に簡単にかき消されてしまいそうなほど小さく凛とした美しい声がした。
「——死にたくない」
剣を構える。目の前の存在を斬り刻むために振り上げて、
————固い感触があった。
「……これでいいんだ。間違ってるかもしれないけど、これで」
初めて感じた強い衝撃に仁は思わず剣を手から離す。まだ手はブルブルと震え、収まりそうにない。
剣は少女の隣に突き刺さっている。もちろん刀身には血の一滴たりとも付いていない。
仁は剣を鞘に納めると、埋もれかけていた少女を掘り起こして背負う。背中にあたっている何やら柔らかくて大きなものがあるが、ひとまずそれを無視して仁は工房へと帰りはじめた。
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