四話『未知との対話』

 仁は暖炉の中に薪を投げ込むと、揺らめく炎を眺める。

 あれから凍えるような寒さの中、少女を背負って工房まで帰ってきた。工房には人を寝かせられるスペースなど休憩室のソファの上以外にないので、すごく申し訳ないが叩けば埃の舞うソファに少女を寝かせることに。


「落ち着け灰月仁、あれは不可抗力だから仕方のなかったことなんだッ!」


 確かに色んなものが当たっていたような気がするが、できる限りその感覚を忘れようとする仁。主に少女と自分の名誉のために。


「怪異か人か……まぁ、怪異なら背負ってるときに襲うだろうし恐らく人。でも、傷が一つもない」


 工房で怪我がないか軽く見た時も傷一つない状態であったので無事ではあるのだろう。服の下までは確認していないので絶対に大丈夫だと断言はできないが。

 ただ、その分だけ彼女の得体のしれない恐ろしさは募っていく。もしかすると怪異よりも厄介なことに巻き込まれる可能性が出ててきて頭を抱える仁。


「一応、剣はいつでも抜けるようにしておくか」


 油断していると後ろからグサリ、というのは映画でも鉄板の流れなので哀れな第一犠牲者にならないように警戒だけはしておく。それに万が一、怪異であるのならここで命をかけてでも殺さなければならない。情を移すのは危険だ。


「ここは……」


 ソファに寝ていた少女はゆっくりと体を起こすと、きょろきょろと部屋を見回す。

 彼女の瞳は鮮やかな水色、その輝きは世界最高の宝石に勝るとも劣らない美しさ。一瞬だけ仁は思わず彼女に見とれてしまった。

 すぐに少女は仁へと目を向けて、警戒心を隠そうともせず鋭くにらみつける。


「あなたは誰? ここはどこ? 何が目的?」


「ちょと、えーっと、俺は灰月仁でここは俺の通う学校の工房で……偶然にも君を見つけて、それでとにかくここまで運んだといいますか……」


 かなり当たりの強い口調で質問攻めにされ、仁はたどたどしく答えるのだが、全くうまく答えられた自信はない。


「じゃあ、ここは奴らの手の届かない場所の可能性が高い……いえ、まだ油断できない。彼が演技が上手いだけかも」


 小声でブツブツとつぶやく少女だが、「そうだ」、と何か思いついたらしく、


「歯を食いしばって」


「はぁ?」


 気がつけば仁の身体はひっくり返っていた。全身がコンクリート製の固い床に叩きつけられたせいで体の芯まで響く鈍い痛みがする。意識ははっきりしているが、関節は軋み、思うように体が動かせない。


「痛っ、なんなんだいきなり!」


 剣は投げ飛ばされた衝撃で飛んでいったらしく、手の届かないところに転がっている。何かあれば斬り殺そうとした仁が言えたことではないが、恩を仇で返すとはまさにこのことだろう。


「で、灰月仁。あなたは本当に組織とは何の関わりもない、それを証明できる?」


 少女は仁に馬乗りになって尋ねる。

 彼女が仁を投げ飛ばしたときに特殊な技術を使ったようには見えなかった。つまり彼女の腕力だけで鍛えられた体つきの男子高校生を投げ飛ばして床へと叩きつけたということ。

 目の前の華奢な少女は、鍛え抜かれた軍人をはるかに上回る化け物じみた身体能力の持ち主らしい。


(ダメだ。せめて体が動けばどうにか。ここは時間稼ぎするしかない……)


 体重は少女らしく軽い。払いのけることは出来そうだが、仁を投げ飛ばしたときの素早さから考えて普通に逃げてもすぐに捕まってしまう。どうにかして決定的な隙を作り出す必要があった。


「君が言う組織が何か分からない、って言っても信じてくれないか」


「当たり前でしょ。そんな事なら誰にだって言える」


「……その前に一ついいか。俺だけ質問されるのはフェアじゃない。……俺は名前と場所を教えたはずだ。だから……まず俺にも二つ質問させてくれ」


 正直にいってかなりのギャンブル。会話の主導権は向こうにあり、加えて仁の命も握られている。質問に答えるメリットも義理も向こうには無いワケで、仁もそれを分かって時間稼ぎのつもりで提案したことだったが。


「いいわ。なんでも二つだけどうぞ。そのあとはあなたの目的について吐いてもらうけど」


 意外な答えに一瞬だけ仁の思考がストップしかけて、このチャンスを逃さないために全力でまわりだす。


「じゃあ……なんで君は森の中に倒れてたんだ? その組織ってのに追われてたとか?」


「そんなところかしら。奴らに飛行船で運ばれてた時に窓を破って脱出した。それで気絶したまま森の中に落ちたってことでしょうね」


「信じられねぇ。空から落ちれば人は死ぬだろ、普通。それに空は障壁だって……」


 驚きのあまりに普段は使わない言葉遣いになってしまう仁だが一つだけ確信できたことがある。やはり目の前の少女は見た目通りの存在ではない。

 だから次の質問は考えるより先に言葉になっていた。


「——君は人なのか?」


 少女は質問の意味が分からないといった様子で首をかしげる。少しの間、二人は何もしゃべらない。かすかに聞こえる風だけが唯一の音。

 そして、少女は躊躇いながら、


「それはどういう意味なの」


「君は人なのか、それとも人に化けた怪異なの……」


「まって」


 少女は仁の返答を遮るのも構わずに声をあげた。今まで警戒心だけだった無機質な瞳にそれ以外の感情が宿ったように瞬いて、


「『怪異』って何?」


 彼女の目には一部の曇りもない。嘘などついていないと確信できる真っ直ぐな視線を仁に向けてくる。だから仁は困惑した。


「怪異を知らない……だと。子供でも知ってる常識だぞ」


「本当に知らない。読まされた本にもそんな言葉は出てこなかった」


 常識がない。この世界で生きる上でどんな子供でも知っていることについて彼女はなんの知識も持ち合わせていない。あの恐ろしい怪物について全くの無知である人間がいることが信じられなかった。


「怪異っていうのは、昔からいた化け物で、人間や動物を襲うんだ。で、中には人に化けて人を襲うヤツもいる。だから……」


「絶対に違う! 私は、私は絶対にそんな化け物なんかじゃない!」


 いままで大きな感情を見せなかった少女が激昂する。けれど、その怒りは仁に向けたものではない、もっと別の誰かへのものである気がした。


「——ごめんなさい。驚いた、と思う」


 少女はそう呟くと、仁の上から離れてソファに座りなおす。今まで緊張しすぎて気にする余裕などなかったが、改めて見るとやはり信じられないくらいの美少女だ。


「げほっ、げほっ。俺が組織の人間じゃないってことは確信できた、のか?」


「ええ。組織の人間ならたとえ信頼を得るためでも私の目に触れないようにしていた情報を与えるなんてことはあり得ない。つまり、少なくともあなたは組織とは関係ない、ということになる」


 予想していた展開と全く違う方向で誤解は解けたらしく、仁は力が抜けてその場に座り込む。一か月分のスリルと疲労が一気にやってきた気分だ。

 が、それも束の間、気が付けば少女の手には仁の落とした剣が握られていた。確かに目の前の難題は乗り越えたが、ピンチはまだ続いている。


「で、結局あなたの目的は何? まぁ、この体目当て、ってところでしょうけど」


「は? いや、いきなりどうしてそうなる! 確かに俺は健全な男子高校生ではあるけど、気絶した女の子にあれやこれやするほど落ちぶれてなんていませんッ!」


 またしても二人の間に沈黙が流れる。


「つまり、私に体以外の利用価値があるってこと?」


「いや確かに綺麗だとは思うけどそういう目では見てないというか……」


 そして二人は気付く。会話が致命的にかみ合っていないということに。


「待って、あなたは何の話をしてるの?」


「——なんでもないです。俺の勘違いでした……」


「本当に?」


「…………(高速で首を縦に振る)」


 少し怪訝そうな顔をしつつ、ソファから立ち上り少女は仁へと剣を向ける。不思議と今までのような威圧感は感じなかった。


「もう単刀直入に聞く。あなたは私を利用しようとしてるの? 正直に答えて」


 これ以上は話し合っても無駄だということを少女も分かっているのだろう。これが彼女のできる最大限の譲歩というわけだ。


「俺はただの高校生で君を利用しようなんて考えても無いし、怪しい組織と関りを持った覚えもない」


 返答に間は無かった。


「わかった。それが嘘でないことを祈るわ」


 仁は少女から剣を手渡される。これでひとまず最低限の信頼は得られたということだろうか。少なくとも一歩間違えば殺されそうな関係ではない。

 だから仁はずっと気になっていたことを切り出す。


「あなたはやめてくれ。威圧感があって怖いからさ。仁でいい。それと君の名前は?」


 少女は少し黙る。名乗る名前など付けられた覚えはない。実験体としての番号はあるがそんな忌々しい名など名乗りたくはない。


 だから、そんな暗い過去を乗り越えるために少女は名乗る。


「私は——『ネージュ・エトワール』。私を助けてくれてありがとう、仁」


 『ネージュ』は雪、『エトワール』は星を意味する。どこでこの言葉を知ったのか思い出せはしないが、その響きをネージュは美しいと感じた。星は自分で選んだ未来の、雪は生まれて初めて人に助けられた優しい記憶の、新しい自分の象徴する名前。


「ネージュさん、とりあえず色々と話してくれ。力になれるかもしれない」


「ええ。少し長くなるけど。それと仁もネージュさん、なんて言わないで。ネージュでいいから」


 ネージュがなぜ仁を信頼しようとしたのかは自分でも分からなかった。それは今までだれも信頼できない人生を送ってきた自分を変えるためだろうか。彼の瞳は見たこともないほど真っすぐだったからかもしれない。一つ確かなことがあるとするなら、彼はネージュの眼を見つめて話してくれたこと。


 そんな真っ直ぐな少年に少女は自分すら分からないほど小さな笑みを浮かべて語りだした。




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