二話『届かない』

「起きろ、仁。いつまで寝てるつもりだ」


 聞き覚えのあるガサツで頼りがいのありそうな少女の声で、少年は目を覚ます。

 黒髪に金眼、左目下の泣きぼくろ、ある程度は整った容姿に中背だが引き締まった体つきの少年、『灰月仁はいつきじん』。


 まだ荒い息を整えながら、ゆっくりと体を起こす。学校の『工房』の中は相変わらず煤と埃の匂いに満ちていた。

 工房は仁達、魔道具職人見習いにとって教室よりの長い時間を過ごすことになる場所だ。そのため、これまでの先輩達の手で所々に改造が加えられ、意外と快適な空間に仕上がっている。


「すみません、先輩。俺、何時間くらい寝てましたかね」


「ぐっすり三時間は寝てるぞ。今はもう八時だ。とっくの昔に辺りは暗くなってるよ。試験のために徹夜続きだったのは分かるが、学校に寝泊まりはダメだぞ」


 仁は廃材を寄せ集めて作られたソファから立ち上がると、声のする方へと目を向ける。


「酷くうなされてたが、また『東京』の夢か?」


「ええ、まぁ。いつものヤツです、カレン先輩」


 視線の先にいる少女は『狐火きつねびカレン』。仁の二つ上、三年生の先輩だ。

 少し日焼けした肌に言葉遣いとは真逆なほどに丁寧に整えられた金髪。顔立ちは野性的で肉食獣のような危険な色気と野性的な魅力を放つ。頭に生えた狐耳が特徴的な狐人きつねびとの少女。

 しかし、何よりも先にその惜しげもなく晒された上半身に目が行ってしまう。ツナギのファスナーは全開で身に着けているのは零れそうなほど大きな胸に巻いたサラシだけ。引き締まった体つきも相まってなんとも煽情的なカッコウである。


「先輩、またなんて恰好を。目のやり場に困るのでちゃんとしてくださいよ」


「仁は本当にウブだな。つい、からかってみたくなる」


 呆れ半分の仁の指摘でカレンはツナギのファスナーを引き上げる。もっとも色っぽさはほとんど変化がないのだが。


「疲れた時こそ家に帰ってゆっくり休め。あったかい風呂でも入って、飯を食べて、横になる。そうすれば少しは気も休まるさ」


「そうですかね。いや、そうなんでしょうね」


 寝ぼけ眼をこすりながら、仁は暖炉の中で揺らめく炎を見つめていた。疲労が取れ切っていないからか全身が痛い。むしろ固いソファの上で寝たせいで痛みがひどくなっている気さえする。


「そういえば、先輩がこんな時間まで残ってるのは珍しいですね。いつも六時くらいには帰ってるのに」


「誰のせいだと思ってる」


「ああ、すいません」


「まぁいいさ。先輩として寝ている後輩を置いて帰るわけには行かなかっただけだ。私はここの工房長でもある訳だしな」


 狐火カレンといえばこの学校でも有名人。魔道具の大会で優勝を果たしたこともあり、凄腕で知られている。加えて、面倒見のいい。


「先輩、まだ少し時間いいですか?」


「いいぞ。今日は爆睡中の後輩を待てるくらいには暇だ」


 彼女は信頼できる先輩であると仁は思っているし、だらしないところ以外は尊敬もできる。彼女なら自分の背中を押してくれるんじゃないか、そう思った。


「……俺の作品を見て欲しいんです」


 仁の工房の一室は狭い。いや、失敗作が部屋の半分を占領しているためにそう感じる。道具だけは綺麗に整えられているのがいかにも職人の作業場といった様子だ。


「で、私に見てほしいのはどれだ? この双短剣か、それとも両刃剣? 相変わらず変な武器ばかりだな」


「そこにあるのじゃないです。それは全部出来は良いけどアレを再現できてない失敗作なので」


 積みあがっている魔道具は一流の職人が作ったものには劣るが、それでも学生が作ったとは思えない品ばかりだ。


「ちょっと待っててください……えーと、あ、あった」


 落ちている魔道具に触るカレンを気にせず、仁は失敗の山の奥から丈夫な革製の覆いが掛けられた一振りの魔道具を取り出す。


「これは槍、いや大剣か? 見たこともないな」


 覆いがあればカレンでさえ何か分からない一振り。おそらくそれが何かわかるのはこの世界で仁しかいないだろう異形の武器。

 仁が覆いの端を引っ張ることでそれは姿を現す。


 それの外見を表すのなら長大な大剣に槍のように長い柄を取り付けた武器というのが正しい。刃には刀のように美しい波紋が走り、柄は持ちやすいように調整がされている、実用的な美しさを備えた一振りだ。無理やり分類するなら剣槍というのがふさわしいか。


 この剣槍は誰もが扱えるものでは無い、むしろ人が扱えるものなのか分からないほどに重く、クセのある一振り。ただ選ばれた使い手のためだけに作られた一振りであり、化け物を狩ることしか考えていない狂った武器。


「……まるで吸い込まれるような」


 どこか上の空といった口ぶりでカレンは感想を口にする。自身がこれまで作ってきた魔道具も、この剣槍の前ではただの名品止まりに思えてならない。


「驚くのはまだ早いですよ、先輩。こいつの本領はここからです」


 そういうと、仁は剣槍を構える。仁の体格では動くことすらできない印象を受けるがイメージに反して仁の手は重さを感じさせない。作り手にしか分からない、使い方にコツがあるのだ。

 仁は刀身を手でなぞる、と同時に部屋の中に突風が吹き荒れるような感覚が二人を襲った。もちろん本物の風ではないのだが。


魔素エーテルが刀身に吸い上げられている⁉」


 驚きも通り過ぎて、夢の中に居るかのような、ひどく目の前の偉業に対して実感のわかない感覚に陥るカレン。


「まだ課題も多いですけど。他人の魔術まで吸収できないし、吸い込む魔素エーテル量を調整したりは出来ません。偶然の産物ですよ。その代わりに吸収した魔素を使用者に流せるようにしてみましたけど……」


 だから、と前置きして仁は続ける。


「他の魔道具で更に補助すれば、俺も魔術が……」


 そんな仁にカレンは冷たい声で応じる。


「仁、オマエの身体、今殆ど感覚無いだろ。歩いてみろ」


「いや、大丈夫ですって。ほら」


 一歩を踏み出そうとして、倒れこむ仁。起き上がろうとするが体は言うことを聞かない。


「過剰な魔素エーテルに充てられたせいだ、分かるだろう。身体に取り込まれる量が多すぎる。最悪、中から破裂して死ぬぞ」


「じゃあ、それを一気に使い切るくらいの魔道具を!」


「仁、オマエは賢い。そんな大規模な魔術を発動させる魔道具は大きすぎるか、脆すぎるかで、人が戦場で持ち運べないと分かっているはずだ」


 倒れこんだままの仁を担いで、カレンは彼を壁へとすがらせる。身体の感覚は戻りつつあるがまだ痺れて満足に動かせない。


「それにこれが量産出来たら? 確実に世界の均衡を壊す代物だぞ。間違いなく異端審問所の封印対象行き。オマエは異端審問官になるどころか、良くて一生監視下に置かれることになる」


「そうだとしても俺は言われたんです。生きて人を助けろって、あの人に。だから、俺はあの人みたいな異端審問官になりたいんです。生き残ったんだから」


  期待はしてない、と言えば嘘になる。剣槍の危険性は仁自身が一番よく分かっているつもりだ。でも先輩なら背を押してくれるんじゃないか、そう思っていた。

 憐れむような視線。カレンは「東京の生き残りとしての意見だが」、と前置きして、


「そうだ、私たちはあの地獄から生き残れたんだ。わざわざ自分からあんな地獄に戻らなくてもいいじゃないか。子供の私たちにできることなんて無かった、引け目を感じる必要なんてないんだよ」


 カレンの声は純粋に仁を心配していた。仁は彼女の言葉を破る術も気力もない。だってどう考えても、彼女の言葉が正しいのだから。


「それと……私が告発する可能性は考えなかったのか?」


「先輩はそんな人じゃないって信じてますから」


「はぁ……あきれる。私はもう帰るぞ。何も見てないからな」


 カレンはそう言って部屋を出ようとして、振り返える。


「今夜は雪が降るらしい……風邪をひかないように気をつけろ。アイデアが湧かないときは気分転換することだ。工房に寝泊まりしたり、徹夜はもってのほかだぞ」


 仁がなにも言えない内に扉が閉まり、風の音だけが残る。


「……言ってくださいよ、嘘でもいいから。俺は異端審問官になれるって」


 誰かに認めて欲しかった、肯定してほしかった。自分に出来ることを突き詰めれば、理想に手が届くと。


「何で、何で、俺は魔術が使えないんだよ……」


 何度も繰り返した問い。答えが返ってくることは無いと分かっている。

 魔道具職人としての仁は天才だ。だが、彼の目指す異端審問官に必要なのは別の、魔術を扱う才能。


「違う……才能のせいにするな。才能が無いとしても、俺はならなくちゃいけないんだ」


 届かないと知りながら、少年は足掻くことを止められない。


 そして、その果てに少年はこの夜、天使と出会う。


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