三話『届かない』

 ——今でも夢に見る。


 街を飲み込む白い焔。この世の終わりの光景の中を一人で歩いていた時の記憶。


 目の前で人の頭が宙を舞う。幼い少年は音を立てないように物陰から見ていた。悲鳴を上げるほどの気力すら彼には残されていない。


 ふと、彼が後ろを向くと、男が立っていた。焔の海の中でも汚れ一つない男。


 本能が目の前の異常に警鐘を鳴らす。逃げなければならないと思う前に、体は勝手に走り出していた。

 男が変形する。背から羽を生やし、腕だったものは鋭く尖り鎌のような姿に変わった。この怪異の姿を形容するなら、昆虫人間とでも言うべきだろうか。


 少年は全力で走る。が、鋭い腕が小さな体を貫く。血と共に熱が失われ、視界がぼやけ始める。


(——死にたくない)


▲▼▲


「起きろ、仁。いつまで寝てるつもりだ」


 聞き覚えのあるガサツで頼りがいのありそうな少女の声で、灰月仁は目を覚ました。まだ荒い息を整えながら、ゆっくりと体を起こす。学校の『工房』の中は相変わらず煤と埃の匂いに満ちていた。

 工房は仁達、魔道具職人見習いにとって教室よりの長い時間を過ごすことになる場所だ。そのため、これまでの先輩達の手で所々に改造が加えられ、意外と快適な空間に仕上がっている。


「すみません、先輩。俺、何時間くらい寝てましたかね」


「ぐっすり三時間は寝てるぞ。今はもう八時だ。とっくの昔に辺りは暗くなってるよ。試験のために徹夜続きだったのは分かるが、学校に寝泊まりはダメだぞ」


 仁は廃材を寄せ集めて作られたソファから立ち上がると、声のする方へと目を向ける。


「酷くうなされてたが、また『東京』の夢か?」


「ええ、まぁ。いつものヤツです、カレン先輩」


 視線の先にいる少女は『狐火きつねびカレン』。仁の二つ上、三年生の先輩だ。

 少し日焼けした肌に言葉遣いとは真逆なほどに丁寧に整えられた金髪。顔立ちは野性的で肉食獣のような危険な色気と野性的な魅力を放つ。頭に生えた狐耳が特徴的な狐人きつねびとの少女だ。

 しかし、何よりも先にその惜しげもなく晒された上半身に目が行ってしまう。ツナギのファスナーは全開で身に着けているのは零れそうなほど大きな胸に巻いたサラシだけ。引き締まった体つきも相まってなんとも煽情的なカッコウだ。


「先輩、またなんて恰好を。目のやり場に困るのでちゃんとしてくださいよ」


「仁は本当にウブだな。だからついつい、からかってみたくなる」


 呆れ半分の仁の指摘でカレンはツナギのファスナーを引き上げる。もっとも色っぽさはほとんど変化がないのだが。


「疲れた時こそ家に帰ってゆっくり休め。あったかい風呂でも入って、飯を食べて、横になる。そうすれば少しは気も休まるさ」


「そうですかね。いや、そうなんでしょうね」


 寝ぼけ眼をこすりながら、仁は暖炉の中で揺らめく炎を見つめていた。疲労が取れ切っていないからか全身が痛い。むしろ固いソファの上で寝たせいで痛みがひどくなっている気さえする。


「そういえば、先輩がこんな時間まで残ってるのは珍しいですね。いつも六時くらいには帰ってるのに」


「誰のせいだと思ってる」


「ああ、すいません」


「まぁいいさ。先輩として寝ている後輩を置いて帰るわけには行かなかっただけだ。私はここの工房長でもある訳だしな」


 狐火カレンといえばこの学校でも有名人。仁と同じく魔道具職人見習いの彼女だが、仁程ではないが魔道具制作は上手く、魔術師と同等の魔術を扱える。特に炎系の魔術ではこの学校でトップクラスの実力者だ。加えて面倒見もいい。


「先輩、まだ少し時間いいですか?」


「いいぞ。今日は爆睡中の後輩を待てるくらいには暇だ」


 仁は少し下を向いて考える。頭に浮かぶのは凄まじい魔術を使い、怪異を薙ぎ倒す英士と薫の姿。あんな風に戦えない自分は異端審問官自分を助けてくれたあの人になれない、と焦りが募る。


 仁とカレンの付き合いは一年にも満たない。けれど、彼女は信頼できる先輩であると仁は思っているし、だらしないところ以外は尊敬もできる。彼女なら自分の背中を押してくれるんじゃないか、そう思った。


「……俺の作品を見て欲しいんです」


 仁の工房の一室は狭い。いや、腕前は一目を置かれているおかげで普通の部屋よりはかなり広い部屋を手に入れたのだが、失敗作が部屋の半分を占領しているためにそう感じる。道具だけは綺麗に整えられているのがいかにも職人の作業場といった様子だ。


「で、私に見てほしいのはどれだ? この双短剣か、それとも両刃剣? 相変わらず変な武器ばかりだな」


「そこにあるのじゃないです。それは全部出来は良いけどアレを再現できてない失敗作なので」


 積みあがっている魔道具は一流の職人が作ったものには劣るが、それでも学生が作ったとは思えない品ばかりだ。


「ちょっと待っててください……えーと、あ、あった」


 落ちている魔道具に触るカレンを気にせず、仁は失敗の山の奥から丈夫な革製の覆いが掛けられた一振りの魔道具を取り出す。


「これは槍、いや大剣か? 見たこともないな」


 覆いがあればカレンでさえ何か分からない一振り。おそらくそれが何かわかるのはこの世界で仁しかいないだろう異形の武器。

 仁が覆いの端を引っ張ることでそれは姿を現す。


 それの外見を表すのなら長大な大剣に槍のように長い柄を取り付けた武器というのが正しい。刃には刀のように美しい波紋が走り、柄は持ちやすいように調整がされている、実用的な美しさを備えた一振りだ。無理やり分類するなら剣槍というのがふさわしいか。


 この剣槍は誰もが扱えるものでは無い、むしろ人が扱えるものなのか分からないほどに重く、クセのある一振り。ただ選ばれた使い手のためだけに作られた一振りであり、化け物を狩ることに特化した変態的な武器であった。


「……まるで吸い込まれるような」


 どこか上の空といった口ぶりでカレンは感想を口にする。自身がこれまで作ってきた魔道具も、この剣槍の前ではただの名品止まりに思えてならない。


「驚くのはまだ早いですよ、先輩。こいつの本領はここからです」


 そういうと、仁は剣槍を構える。仁の体格では動くことすらできない印象を受けるがイメージに反して仁の手は重さを感じさせない。作り手にしか分からない、使い方にコツがあるのだ。

 仁は刀身を手でなぞる、と同時に部屋の中に突風が吹き荒れるような感覚が二人を襲った。もちろん本物の風ではないのだが。


「これは魔素エーテルが刀身に吸い上げられている⁉ その力を持つのはこの世界に三つしかない……それを再現したというのか!」


 驚きも通り過ぎて、夢の中に居るかのような、ひどく目の前の偉業に対して実感のわかない感覚に陥るカレン。


「いや、流石に完璧に再現できたわけでは無いですよ。オリジナルのように他人の魔術まで吸収できないし、吸い込む魔素エーテル量を調整したりは出来ません。同じ機能付きの魔道具だってまだ作れてないです。その代わりに吸収した魔素を使用者に流せるようにしてみました」


 だから、と前置きして仁は続ける。


「他の魔道具で更に補助すれば、俺も魔術が……」


 そんな仁にカレンは冷たい声で応じる。


「仁、オマエの身体、今殆ど感覚無いだろ。歩いてみろ」


「いや、大丈夫ですって。ほら」


 一歩を踏み出そうとして、倒れこむ仁。起き上がろうとするが体は言うことを聞かない。


「過剰な魔素エーテルに充てられたせいだ、分かるだろう。身体に取り込まれる量が多すぎる。最悪、中から破裂して死ぬぞ」


「じゃあ、それを一気に使い切るくらいの魔道具を!」


「仁、オマエは賢い。そんな大規模な魔術を発動させる魔道具は大きすぎるか、脆すぎるかで、人が戦場で持ち運べないと分かっているはずだ」


 倒れこんだままの仁を担いで、カレンは彼を壁へと縋らせる。身体の感覚は戻りつつあるがまだ痺れて満足に動かせない。


「それにこれが量産出来たら? 確実に世界の均衡を壊す代物だぞ。間違いなく異端審問所の封印対象行き。オマエは異端審問官になるどころか、良くて一生監視下に置かれることになる」


 カレンに一瞬だけ寂しそうな視線を送って、またいつもの表情に戻る仁。期待はしてない、でも先輩なら背を押してくれるんじゃないか、そう思っていた。

 カレンは「東京の生き残りとしての意見だが」、と前置きして、


「私たちはあの地獄から生き残れたんだ。わざわざ自分からあんな地獄に戻らなくてもいいじゃないか。子供の私たちにできることなんて無かった、引け目を感じる必要なんてないんだよ」


 カレンの声は純粋に仁を心配していた。仁は彼女の言葉を破る術も気力もない。だってどう考えても、彼女の言葉が正しいのだから。


「それと……私が告発する可能性は考えなかったのか?」


「先輩はそんな人じゃないって信じてますから」


「はぁ……あきれる。私はもう帰るぞ。何も見てないからな」


 カレンはそう言って部屋を出ようとして、振り返える。


「今夜は雪が降るらしい……風邪をひかないように気をつけろ。アイデアが湧かないときは気分転換することだ。工房に寝泊まりしたり、徹夜はもってのほかだぞ」


 仁がなにも言えない内に扉が閉まり、足音が遠ざかるにつれて風の音だけが残る。


 少年と少女の邂逅かいこうはすぐそこに迫っていた。


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