三十六話『呉越同舟』
「灰月、この辺りにネージュの痕跡はすでに無い。やはりもっと先にいるようだ」
「ああ、先を急ごう」
仁とユウは学園区画の雑居ビルの上から街を見渡していた。本来なら吹雪で何も見えないはずだが、二人には関係無い。
「それにしても便利な使い魔だな」
「本来はもっと広範囲に目を放っても魔素消費が気にならないんだがな」
ユウの視界には今、この区画の様々な光景が流れ込んでいる。だがソレは人の目で見た景色ではなくバッタの目を通して見たものだ。
『
「——っ。はぁはぁ……」
息を荒げるユウの額には大粒の汗がにじんでいる。本来、人の脳が耐えられる量を超えた情報を頭の中に流し込まれているのだから無理もない。
「少し休憩しよう。移動と索敵しっぱなしでユウも限界だろ」
「そうだな——いやダメだ。厄介なヤツらを見つけた。灰月、オマエの知り合いの異端審問官の二人だ。この状況なら不意打ちで戦闘不能にできるだろう、このチャンスを逃すわけにはいかない」
「ちょっと待て! なんでそうすぐに戦う流れになるんだ! ここは穏便に話し合って協力しあうべきじゃないのか」
「はぁ。世の中オマエみたいなお人よしばかりじゃないんだ。今まで敵だったヤツの言葉を簡単に信じる方が少数派なんだよ」
ユウの言うことのほうが普通の考えだろう。それでも仁は考えを曲げるつもりはなく、真っ直ぐにユウを見つめる。
「全く……分かった。オマエの言う通りにしよう。まずは説得して仲間に引き入れる。無理なら無力化でいくぞ」
「ありがとう、俺の我儘に付き合ってくれて。それに戦力は多い方がいいし、俺はもう友達と殺し合いたくなんてないからさ」
▲▼▲
神出薫は風の流れに意識を集中する。ネージュがこの吹雪を発生させている原因であることと異端審問所のデータから風が一か所に集まっていることを考えると、その中心にネージュがいる可能性が高い。
「御門君、先ほどまで風の中心が動いていましたが、今は動きが止っています」
「それは、ネージュさんに何かあった可能性が高いということだろうね。急いだほうがいいかもしれない。怪異と同じで、どこか一か所に留まるのは力を蓄えるためである可能性が高い」
「ですが、灰月君と煤日ユウ、ネージュさんに近づく以上、この二人との接触は避けられません。どちらも話し合う気は無いでしょうし」
ユウは異端審問所にとっては敵だ、それは相手にとっても同じこと。異なる組織に属し、『破滅の聖杯』に対する姿勢が利用と破壊で違う以上、手を取り合える可能性など初めからゼロだと薫は考える。
「そうだね。仁と戦う覚悟、薫は変わっていないかい?」
英士と仁の付き合いは長いわけでは無いが、それでも親友だ。仁の性格は良く分かっている。そして、彼の信念を曲げない所から、対峙するのはネージュの前だと確信していた。きっと彼はネージュを守るために二人に立ちはだかる、彼ならそうする。
「聞かなくても分かるでしょう」
仁に都市壊滅の責任を負わせるつもりはない。だから、二人は彼の意志を捻じ曲げてでも彼と戦い、彼を守る。異端審問官としても一人の友人としても必ず。
薫は真っ直ぐな瞳で前を見つめた。その時、吹雪の向こうに薄っすらと人影らしきものを見つける。
「御門君、戦闘準備を。恐らくは煤日ユウです」
「ああ、分かった。いつでもいけるよ」
薫は弓に矢をつがえ、英士は抜刀と共に魔術を展開して前進する。例え吹雪に遮られているのだとしても、そのプレッシャーは感じ取れるはず。
「いえ、待ってください。二人いませんか?」
「狐火カレン? いや、彼女は僕が戦闘不能にしたはず。煤日ユウも召喚術に加えて回復魔術が使えるとは思えない」
ユウの使い魔を警戒した二人だが、戦術的にそれはないと判断する。では一体、もう一人は誰なのか。
「薫、英士! 話を聞いてくれ」
聞こえてくる声に耳を疑った。何かの魔術を警戒したが、それは目に飛び込んできた光景に否定される。
「煤日ユウと……灰月君⁉」
「どうしてここに。いやどうして一緒に行動してるんだ」
そこにいたのは紛れもなく灰月仁と煤日ユウだった。薫は幻術の類を考えるが『
「二人とも、俺たちは戦う必要なんてない。ネージュを助ける方法を見つけたんだ。だから、だから力を貸してくれ」
聞こえてきた言葉に耳を疑った。あまりにも都合の良すぎる話だったから。異端審問官として二人が見てきた世界は美しいけれど残酷で、時折どうしようもなく理不尽な顔をするものだ。そんな誰もが笑えるハッピーエンドなど用意されているはずがない。
「貴方からは何か言うことがありますか、煤日ユウ」
薫を無視してユウは仁に呆れた顔で肩をすくめる。
「ほら見ろ、灰月。どう見たって疑われてるぞ、オレたち」
「少し黙ってろ、ユウ。二人もネージュの頭に輪が浮かんでるのは見てるはずだ。それが覚醒した瞬間から破壊できるようになる。それを壊せばネージュは正気に戻るんだ。だから力を貸して欲しい」
「ふざけないでください、灰月君。それができるのなら確かにネージュさんを殺す必要は今は無くなります。ですが、その情報はどこの誰が貴方に吹き込んだものですか」
「それはユウから……」
その一言を傍で聞いていたユウが「しまった」と呟く。
「やはりですか。——灰月君、今のあなたは冷静な判断ができていない。煤日ユウはネージュさんを利用しようとする組織の工作員、信用に値する存在ではない。そんな相手の言うことを信じるとは、貴方が正気とはとても思えません」
「でも、ユウは組織から離れてネージュを助けるために動いてる。嘘はついてない、俺が保証する」
「灰月君、貴方は狐火カレンがこの街に忍び込んだ工作員だと気が付いていましたか? 私たち二人が異端審問官だと見抜けましたか?」
「それは、分からなかったけど……」
「そんなことすら分からなかった貴方を、どうして嘘が見抜けると信頼することができるでしょうか」
「それは……」
仁は何も言い返せない。その言葉が正しいと自分でも分かっている。まともじゃないのはどう考えても仁の方だ。
「だから貴方の言葉を私は信じません。貴方たちを倒して——『破滅の聖杯』を破壊します。そこを退きなさい」
それでも仁は道を譲らない。顔を上げたまま、薫を見つめる。もう二度とネージュと親友二人が殺し合わせないために立ちふさがる。
「さっきから聞いていれば、オマエ達は『破滅の聖杯』を殺すつもりらしいが、殺した後に何が起こるのか、そのデメリットは知っているのか?」
平行線の会話に突然、ユウが割り込む。『破滅の聖杯』を壊した際のデメリット、それは薫や英士はもちろん仁も聞かされていない。
「『破滅の聖杯』は上位存在の依り代である、というのは知っているな。ではどういうメカニズムで覚醒に至るかは?」
「……詳しくは知りません」
「『破滅の聖杯』の覚醒は、依り代に存在する元の魂を抑え、意識を乗っ取ることで果たされる。つまり、元の魂は乗っ取りを行う上位存在にとって邪魔者だ。だが、依り代を殺せば? 元の魂は消失し、邪魔するものは無くなる」
「しかし、依り代が死に至るほどのダメージを負っているなら乗っ取っても意味がないのでは?」
「相手は上位存在、いわば神だ。それに必要なのは意識を宿せる器であって身体じゃない。例え手足がもげていても、腹がえぐれていてもお構いなしに動き続ける。もちろん、腕だけでもな。オマエ達に魔術に頼らずネージュを跡形もなく消し飛ばず手段があるなら話は変わるが」
ただ殺しただけでは止めることはできない。跡形もなく殺さなければ無意味どころか、マイナスしか発生しない。そして魔術ではあの腕は消滅させることはできない。つまり、仁達の話に乗るしか解決策はない訳だ。
「召喚魔術のプロセスとよく似通って妥当性のある話ではあります。ですが、やはり貴方の話は……」
「君はどこでその情報を知ったんだ?」
「——っ。御門君!」
あくまでも、ユウの話を聞き入れようとしない薫を制して、ユウから更に情報を聞き出すべく口を開く英士。
「オレは護衛任務のために組織から渡された資料で知っただけだがな。どうやらそれまで完全な『破滅の聖杯』を作ろうとして何度も失敗していたらしい。その時の記録からの情報だ」
「ちょっと待って欲しい。他の記録? 『破滅の聖杯』は初めて作られたんじゃないのかい?」
「一度でうまく行くはずないだろう。なんでもネージュに降ろす神格に耐えうる器を作るための試作品を山ほど作ったようだ。もっとも、ネージュができるまでは生まれる前に死ぬものが殆ど、一年かけて一人生まれれば成功だったようだがな」
あまりの凄惨な事実に唇を噛みしめる英士。人の命を弄ぶ実験が何年も異端審問所の目の届かぬところで行われていた事実に怒りと不甲斐なさを感じる。薫も気持ちは同じだろう。
が、仁はもう一つ、別のことが引っかかった。
「待て、俺がネージュから聞いた話だと何人もの女の子が同じ部屋に閉じ込められてたって……なんで急に安定して作れるようになったんだ」
「その通りだ。十七年前、あるデータを奪取してから安定し始めたらしい」
「何ですか、そのあるデータというのは」
「天然の『破滅の聖杯』のデータだ。もっともそれは左手だけが神の力を宿すだけの不完全なものだったらしいが、そのデータを元にして、ネージュ・エトワール、つまり人工の完全な『破滅の聖杯』が作られた」
「煤日ユウ、君はデータを奪取したと言ったね。そのデータが元々保管されていたのは一体どこだい?」
ユウは深呼吸して間を置いた。言葉の交わされない時間が場の緊張を高める。どんな情報を聞かされても冷静さを保てるように三人は神経を集中。
結果的に、それは無意味だったのだが。
「異端審問所、それも一人の異端審問官のデータだ」
頭を雷に打たれたような衝撃が走り、少し遅れて理解がやってくる。三人、特に異端審問官の二人はすぐにある矛盾に気付いた。
「そんな、あり得ません。異端審問所の規則では『破滅の聖杯』は即時処分のはず。なのに、そんな。いえ、これこそ信用できない敵の言葉、そんな異端審問官いるはずがない」
「信じるも信じないも勝手だが、オレの知る限りではデータの元になった異端審問官の起こした事件ならこの護衛用の資料に書いてあったな。それなら実在の証拠になるだろ?」
ユウは懐から資料の束を取り出すと、それを薫たちに投げ渡した。
二人は資料に目を通すが、怪しい所は無い。ただ異端審問所の表に出せないことの証拠でもあるために信じたくはないのだが。
そして今、この会話を支配しているのはユウだ。彼のペースにいつしかこの場の全員が乗せられていた。
「ところで仁、オマエは十年前に東京が壊滅した原因は何だと思う?」
「急になんだよ。あの街が火の海になった原因は『星慧教』のテロ、でも不可解な点も多い……まさか」
「今の新門の状況は似ていると思わないか。もし、その原因が実際は『破滅の聖杯』の暴走によるものだったとしたら」
仁は知っている。あの白炎が自然に熾ったものでないことを、明確な意思をもって東京の街を灰の海に変えたことを。ピースは足りない、でも筋の通った答えに出会った気がした。
「確かに今回と似ているね。それにそれだけがおかしな点じゃない」
「父は私たちにネージュさんの殺害を命じました。ですが東京のことを父は知っていなければおかしい。あの時の被害の規模を考えれば『使徒』を向かわせて対処すべきことです。しかも『破滅の聖杯』関連で後ろめたい事情があるのならあの事件に数多くの閲覧不可能文献と不明点があるのにも説明が付く」
ユウを信じるかは別問題だが、二人の中で異端審問所への信頼が揺らぐ。そもそも計略の巧みさであの地位にいる支部長が、愛娘の頼みとはいえ重要なことを、実力を考えてもこんな少ない人員に任せることに疑いを持つべきだった。
「はぁ……間違いなく父はロクでもない計画を考えています。このままではその計画が果たされてしまう」
「俺は詳しくその人を知らないけど、そんなに言うほどなのか?」
「ええ。支部長としての能力は申し分ないですが、顔色一つ変えずに人を殺し、計略を巡らす。どこまでも残酷で、人々を守る強い意志を持つ人です。異端審問所でも『第六天魔王』とさえ呼ばれるほどに」
「うわぁ。娘からの評価でこれって、どんな人なんだよ」
薫のことなので実際の人物像よりも二割増しで良く語られていそうだが、それでも散々な評価に仁は思わず苦笑する。
薫は少し思考を巡らせた後に「そういうこと」と呟く。表情は導き出した結論への嫌悪感で溢れていた。
「恐らく父は灰月君を英雄に仕立て上げるつもりです。大きな被害が出た後には誰かに勲章を与えてそちらに注意を向けさせ、異端審問所への批判を躱す。あの人が好んで用いる手……このままでは灰月君はネージュさんを殺して街を救った英雄にされてしまう」
異端審問官としての立場と灰月仁の友人としての情と、そのどちらを優先すべきか薫は迷う。
いや、正しくは仁の味方になりたい、でも異端審問所が信用に値しないのだとしても異端審問官の立場が、支部長の娘としての立場が邪魔をする。あと何か一押しでいい、決断を後押しするものが欲しい。
「分かった、僕は仁に力を貸すよ。ネージュさんを助ければ全てうまく行くんだろう?」
英士は初めから信じると決めていた。ユウの事は良く分からない、それでも仁の事は良く知っている。だからユウを信じる仁を信じる。
「はぁ。いいです、こうなったら私もネージュさんを助けます! 元々、灰月君達にこれ以上辛い思いをして欲しくないから始めたことです。途中が少し変わったくらい、大した問題じゃありませんっ!」
薫と英士は武器を降ろして、仁とユウに歩み寄る。今ここに高校生と工作員、異端審問官二人による奇妙な共同戦線が出来上がる。
「で、仁。僕たちがこれから向かう先は?」
「風から考えて、ネージュは学校の裏山、俺と最初に出会ったあの場所の近くにいるはずだ。だからまず工房で準備を整える」
「作戦もそこで考えたほうが良さそうですね」
「オレの魔術についても説明しないと連携が取れないだろうしな」
さぁ、今ここに役者が揃った。
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