第四章 『届くはずのない明星に』1998年12月24~25日

二十九話『権利すらなく』

 新門の繁華街。酔っ払いの叫びや目が眩みそうになる鮮やかな光で有名で、沢山のビルの中には合法非合法を問わず、様々なテナントが入っている。もっともこんな日に酒を飲みに来るバカも売るバカもいないので、今夜限りは喧騒とは無縁であるが。


 そんな区画を見下ろすようにしてそびえる廃ビルの一つに、煤日ユウのセーフハウスはあった。

 ボイラー室を勝手に改造して、お手製の作業台とボロ布を引っかけて作ったハンモックしかない殺風景な部屋。壁を走る配管から錆を含んだ油の臭いがして、時々ネズミの鳴き声がするなど衛生面も最悪。


「先走りすぎだ、狐火カレン。何年も学生として生活していたせいで、ここが敵地であることを忘れたのか」


 そんな怪我人の処置をするにはふさわしくない部屋の中、ユウはカレンの傷に包帯を巻きながら嫌味を言う。彼も英士と薫と戦ったばかりなので生々しい傷があるが、カレンのケガはそれ以上だ。


「手厳しいな。私はオマエが異端審問官の相手に専念できるように仁を片付けておこうとしたのだが」


「考えがあったことは認めるが、あまりに迂闊な行動だったぞ。オレが回収しなければそのまま捕らえられていたところだ」


 咄嗟の判断で自身を巻き込む大爆発を起こして英士から逃げ切ったカレンだが、ユウが回収した時には両手とあばら骨が三本ほど折れ、全身の火傷と動ける状態ではなく、雪に半分埋もれており、放っておけば死ぬのも時間の問題だった。


「私は……確かに弱くなったのかもしれないな。この街で過ごす三年間で色んなものを見すぎたのだろう」


 確かに始まりは組織からの命令に過ぎない。それでもこの街で過ごす間に見せた感情は嘘偽りのないカレンの本心だった。

 今まで数えきれないほどの罪なき人々を組織からの命令で殺してきた。女も子供も老人も一切の躊躇いなく。

 そんな自分が普通の生活を送る権利などないと思っていたのに。


「満ち足りていたんだ。そんな権利なんて無いと分かっているのに、満ち足りてしまったんだ。ずっと憧れてた普通の暮らしができて、その中で小さな幸せを味わえて、夢のような暮らしが続くと、そう……思ったんだ」


 カレンは涙ぐんだ瞳でじっと壁を見つめていた。視界が歪んで目の前が良く見えない。


「それでも首筋の刻印を見ると思い出してしまうんだ。これはまやかしで、私は組織の奴隷で、命令に従わなければすぐにでも殺される、ただの駒に過ぎないことを」


 生きるために必死だった彼女はこの刻印を刻まれる代わりに生き残った。その時は何の後悔もなかった。


「私は今、後悔しているよ。こんなに苦しい思いをするくらいなら生きるんじゃなかった」


 ユウは静かに懺悔を聞いていた。口を挟むことなく、ただ淡々と傷の処置をしながら。何を思っているのかは分からない、もしかすると彼は何も考えていないのかもしれない。


「オマエはこれからどうするつもりだ、煤日ユウ。まさか組織の命令を果たしに行くなんて言うんじゃないだろうな」


「命令を果たしに行く。オレは途中で命令を投げ出したことは無い、投げ出そうとしたことなら一度だけあるが」


「なぜ、そこまで命を賭けられる。実態も分からない、名前すら知らない組織のためにどうして忠誠を尽くせる?」


 カレンには目の前の少年が分からない。確かに死ぬしかない状況で拾ってもらった恩が組織にはある。しかし、その恩はもう十分返したはずだ。


「確かに命令に従わなければ私たちは刻印の力で殺される。だが、死んだ方がマシな状況なんていくらでもあったはずだ。なのにどうして、どうして生きようと思える?」


「……それをオマエに語る義務があるか?」


「そうやって逃げるのか、『御名殺みなごろし』のユウ」


 ユウはカレンの頭に銃を突きつける。


「黙れ。その名でオレを呼ぶな。それは組織が勝手につけただけだ」


 『御名殺みなごろし』。煤日ユウの冠する二つ名。それは危険度の高い任務ばかりを請け負い、全てで圧倒的な戦果を挙げ、数々の称号を冠した相手を一人残らず殺し続けたことに由来する。


 組織の上層部だけでなく、カレンのような末端の駒にまで有名な話。今までそんな名を冠する目の前の少年は組織への忠誠心が高いのかと勝手に思っていたが、そうではないようだ。


「忠誠でないなら何のために任務を……」


「オレは生きるために任務をこなしてきた。だが今は命を賭けるに値するものを見つけた、それだけだ。勘違いするな、オレは組織からのゴミ以下の命令ために命を賭けるつもりなどない」


 カレンの中から『なぜ』は消えない。それでも目の前の少年の無表情な顔つきの見え方が変わった気がした。


「どういうことだ」


「何を、いやオレの任務についてオマエには話していなかったな。……オレの任務は『破滅の聖杯』回収することでは無い。『破滅の聖杯』がこの新門で暴走する時まで異端審問所の手に渡らないようにすることだ。すでにオレの任務は終わっている」


「……では何をするつもりだ」


「オレ自身からの命令、灰月仁との決着を」


 命令に背いたり、勝手な行動をすれば刻印によって殺される。カレンは目の前で刻印の力によって死んだ仲間を見たことがあった。敵から逃げようとした時、突然倒れて、壊れたおもちゃみたいに動かなくなった姿を。自分もいつかそうなると実感させられた、恐ろしい光景。


「正気か?」


「オレはいつだって正気だ」


「刻印がある限り、組織から離れては生きられないんだぞ」


「刻印なら一か月前に破壊したが」


 カレンは悲鳴を上げる体を無視して立ち上がるとユウの首筋を見る。そこにあの忌々しい刻印は痕跡すらも無かった。


「刻印がどんな魔術であるか、オマエは考えたことがあるか?」


 カレンもこの刻印について考えたことはある。とても高度な魔術であり、解除法は全く分からなかったがある種の『契約魔術』であることは知っていた。


「そうか、『契約魔術』。召喚師の得意分野か……私は……」


「十年かかってようやくオレ自身の刻印の解除に成功した。ただし、個人に合わせて形式を少しずつ変えてあるタイプらしい上に、自分の身体だから上手くいった面も大きい。オマエの刻印を解除することはできない」


「そうか」


 カレンは自分でも驚くほど冷静だった。目の前の希望がまやかしであることなど、よくあることだと割り切るのは慣れている。希望などそんな都合のいいものはこの世に存在しないのだと身をもって知っているから。


「これから街壁を越えて東に向かえ。そこにオレを回収するための人員がいるはずだ。そこでオレは死んだことにしろ。そうすれば、こんな危険地帯からはすぐに離れられる」


 ユウはそう言いながら、コートの裏側に替えの弾倉を仕込み、太ももに巻き付けたケースに使い魔を入れた管を装備。


「仁ならきっと寮近くの廃工場に隠れているはずだ。アイツの近くで人目につかない場所はあそこしかない」


「情報提供感謝する」


 ユウはカレンの方を振り返ると、そう言った。クールで滅多に感情を表に出さない彼にしては珍しい声音で。


「だから、頼む。決着をつけたら、仁を逃がしてやってくれ。いまさら虫のいい話だが、アイツは私の大切な後輩なんだ」


「…………」


 ユウは何も答えない。そのままローブを羽織ると、豪雪吹き荒れる新門の街に消えた。


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