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 テケテテケテケテケテケテケテケ、デデン、デデン、デデン、デデン、デデン! ピュルルールールールールー、ピュルルールールールールー、ルルルルルルルー、テレレーレーレーレレー、テレレーレーレーレレー、レレレレレレレーレレー、テケテテケテケテケテケテケテケ……

 全国のF1ファンの皆様、こんにちは。ご機嫌はいかがでしょうか。ええ、間もなく三月二十四日日曜日十三時、F1世界選手権第三戦オーストラリア・グランプリ決勝、ええ、こちらのほうの熱戦の火蓋が切り落とされようとしている間際となっております。実況はわたくし古谷士知郎と解説席には元F1ドライバー、中田憲治さんをお迎えしております。中田さん、今日はよろしくお願いいたします。

 よろしくお願いします。

 天候は快晴、気温二十一度と絶好のF1日和と言っていいのではないでしょうか。会場はメルボルンの公園内に造られた公道コース、アルバート・パーク・サーキット。全長5・278キロ。こちらのサーキットで五十八周に渡って競われます。資料によりますと、コーナーは中低速タイプながら、長い全開セクションのあるストップ・アンド・ゴー・タイプのレイアウト。空気抵抗低減システム、ドラッグ・リダクション・システム、略してDRS。こちらが使用可能なDRSゾーンはホームストレート、ターン2後の高速セクション、ターン8と9の間の高速コーナー、ターン10から11へ向かう高速セクションの最後の部分、こちらの四か所に設けられています。昨年は、最早、説明不要の天才、《音速のモーツァルト》、《F1ドン・ジョヴァンニ》、《走るサリエリの嫉妬》、レッドドラゴンのヤン・ヘンドリクスがポールポジション。三度のレッドフラッグ中断による大荒れのレースを制して見事、ヘンドリクスのポール・トゥ・ウィンだったんですが、皆様ご存知の通り先日の空港の事故による負傷によって残念ながら欠場。一転、スタンディング二位の日本代表、《無冠且つ無線の帝王》、《F1フリースタイルダンジョン》、《Fワードファンタジスタ》、《暴言ベイビーフェイス》、オカダ・ヒロノブの初勝利が期待されましたが、ご存知の方も多いでしょう、一昨日金曜日の練習走行一回目の単独クラッシュにより、なんと彼もまた、車両の修理が間に合わないということで、欠場という事態に追い込まれてしまいした。車両は大破しましたが、ドライバーは無傷ということで、まあ、不幸中の幸いだったんですが、これは日本人としては残念無念ですね、中田さん。

 はい、まあ、このアルバート・パークは使用頻度が極端に低いコースなんで、特に走り出しのFP1は砂利が積もってて滑りやすいということで、コースアウトやスナップ・オーバーは多発していたんですが……まあ、それにしても残念です。はい。

 では、リプレイでその時の様子を振り返ってみましょう。

――オオーッと、これはどうした! ああ何ということでしょう。これはDBのオカダ、単独クラッシュで車両大破だあ! これはセクション2のターン6の出口からコントロールを失い内側の壁に激突。その反動でアウトサイドの壁にも衝突して停止した模様です。いやあ、信じられません。どうでしょう、オカダはどうやら無事のようです……

 というクラッシュの様子だったんですが、どうでしょう? 中田さん。

 車両パフォーマンス部門の責任者のインタビューから原因の詳細が明らかになりましたが、これは手前の高速コーナー、ターン5で縁石に接触したことによってタイヤ温度が急上昇し、次のターン6でリアのグリップが喪失、コントロールを失ってクラッシュに繋がったとのことですね。ステアリング、アクセル、ブレーキ、これらによってクルマはコントロールされていますが、最終的にはタイヤの路面とのグリップによってクルマのコントロールは決定される訳です。すなわち、グリップを失うとステアリングを切ろうが、ブレーキ踏もうが何をしてもどうにもならなくなる。超高速走行を余儀なくされるモーターレースでは、よくある事故ですが、一般車両でもスピードを出し過ぎると、同様の事故につながりますので、まあ、視聴者の皆様にはこれを教訓に安全運転を心掛けていただきたいですね。近年のカーボンファイバー・ボディで守られた安全措置が徹底したF1カーなら無傷で済みますが、一般車だったら、ポルシェだろうがレクサスだろうがなんだろうが、普通に死んでますよ!

 ……ええ、という中田さんの含蓄のある解説でした。ありがとうございます。それではそろそろスタート時間が迫って参りましたので、グリッド順にドライバーを紹介していきたいと思います。ええ、ポールポジションは……


 オーストラリアのクラッシュは日本人ドライバーの心理的問題を暴露した。俺はきっと精神錯乱しているに違いない。そのように問題を認識したヒロノブは問題解決への第一歩を踏み出し、第二歩である問題解決への決意へと進む。このような心理的問題への解決方法としてどのようなオプションがあるだろうか? 精神科外来の受診。薬物療法。確かイーロン・マスクはコカインで元気を出していたはずだ。フロイトを参考にしたのだろう。マイケル・ジャクソンは極度の不安を解消する為に、専属医師から抗不安薬、メイラックスを処方され、それはいつしか主に全身麻酔の導入及び維持に用いられる鎮静薬、プロポフォールへとアップグレードし、その過剰投与による心肺停止によって最終的な死に至った。副作用による甚大な弊害を考えるとヤバいドラッグに頼るのは得策ではない。レーサーとしては、アルコールに頼るというのも問題外だ。であるとすれば、とりあえず精神科に行ってみるか、あるいは人工知能の力を借りるというのも手軽なオプションとしてありだろう。AIは広範な医学的知識を膨大に機械学習している訳だから、何らかの有効なアドバイスを授けてくれる可能性が高い。ヒロノブは早速、チャットGPTに以下のように質問した。

 ――私は今、精神的な弱さという問題に直面しています。その問題の克服における参考になりそうな映画を教えてください。

 彼の質問には医学的要望は含まれていなかったので、チャットGPTは主に映画的知識によってその質問に回答した。

――精神的な弱さに関する映画で参考になる作品はたくさんあります。例えば、「グッド・ウィル・ハンティング」や「ショーシャンクの空に」などは、主人公が内面の苦悩や過去のトラウマと向き合いながら成長していく様子が描かれています。また、「シルバー・ライニング・プレイブックス」や「フライト」なども精神的な問題に焦点を当てた作品です。これらの映画は、自己受容や成長、希望を見出すためのインスピレーションを提供してくれるかもしれません。

 《ショーシャンクの空に》? あれはちょっと違うかな。シルバーなんとかは知らないし、《フライト》も関係無さそう。このラインナップだと《グッド・ウィル・ハンティング》が最も参考になりそうな気が何となくする。結構、評判いいし。では、早速見てみようか。このような具合に彼は映画を通じて自身の内面への探求に突入する。

 彼はその映画の解説をちょっと読んで、多少、反感を感じた。トラウマを抱えた天才の物語。オカダ・ヒロノブ自身は天才に嫉妬する凡人の部類に属する。トラウマを抱えていようがなんだろうが、天才だった方が遥かに望ましいはずだ。もしトラウマを抱えれば、天才にしてもらえるシステムがあったら、俺なら喜んでいくらでもトラウマを抱えてやろうじゃないか。贅沢な悩みだ! ふざけやがって。地道な努力でここまでたどり着くのがどれほど大変だったと思ってるんだ。それに比べたらトラウマなんか屁みたいな物だ。そのような反感と偏見に満ちた気分で映画を見始めたヒロノブだったが、開始早々そのような否定的感情を打ち消すシーンに出くわすこととなる。

 主人公のウィルは友人の運転するこの頃のアメリカ映画の若い登場人物がよく乗っていたようなボロボロの古いアメリカ製高級車みたいなのに乗せて貰って、清掃員として働くマサチューセッツ工科大学に送って貰う。そしてその頃、大学の教室では、数学教授が難問コンテストを発表し、その問題を廊下の黒板に掲示することを学生らに告げる。大学の廊下を清掃していたウィルはその問題を発見し、一瞬で暗記する。仕事が終わったウィルは友人とゴロツキとアバズレが集まるような安酒場で生ビールを飲むが、ウィルは廊下で見つけた問題を解くためにその場を早々に去り、自宅の鏡にフェルトペンで解答を書き出す。

 日が替わって、大学で清掃していたウィルは黒板に解答を書く。その夜、友人とバッティングセンターで遊んでいたウィルはハーヴァードの学生が集まるバーに行こうと誘われる。日が替わって、土曜日。同窓会に出席していた数学教授は、学生から解答が書いてあったとの報告を受け、黒板の所へ行き、その解答が正解であることを確認する。日が替わって、多分日曜日、ウィルは仲間と小学生の野球の試合を観戦してから昼飯に例のボロボロのクルマでバーガーを買いに行き、家に帰る途中、問題のシーンが始まる。

 クルマの助手席のウィルは幼稚園の時に殴られた相手カーマインとその一味を発見。ウィルとその仲間は、あたかもそれは当然の権利であるかのように復讐の為の襲撃を実行。ウィルは敵に過剰な暴力を行使し続け仲間に止められる。ウィルは取り押さえようとする警官にも暴力を行使し、手錠をはめられ現行犯逮捕されるのであった。

 ウィルは専門家が数年かけて解く難問を簡単に解く天才でありながら低学歴のゴロツキ連中と付き合い、その上、極悪な犯罪者にもなりかねない激しい暴力性を併せ持っていた。ウィルの暴力性を見たヒロノブは自身の暴言を思い起こし、親近感を覚える。この数学が得意な悪ガキも俺と同じだ――自制心に欠陥がある!

 ウィルは自身の過剰な暴力性による暴行傷害事件から有罪を宣告され鑑別所送りになるが、独自調査によって黒板の解答を書いた清掃員の身元を探り出した数学教授によってある条件によって鑑別所から出所することとなる。その条件とは、心理学者によってセラピーを受けることだった。ウィルはその条件を受け入れ鑑別所から出所するが、彼は自分自身の問題を認識していなかったし、当然、その問題を解決しようとも思ってもいなかったので、セラピーの必要性を内心、完全否定していた。必要のないセラピーを真面目に受ける義務はない。そう思っていたウィルは自身の知性を利用した嘲笑と侮蔑によって全ての心理学者を攻撃し、撃退する戦略に打って出る。彼の戦略はことごとく成功を収め、心理学者らに匙を投げさせた。

 人選において高名な心理学者を優先していた数学教授は、ある人物を思い出す。彼は高名とは程遠い三流大学で冴えない学生を相手にする心理学者であり、ウィルと同様にボストンの治安の悪い低所得者層居住区、通称〈サウスィー〉出身者であった。心理学者のショーンは数学教授の依頼を引き受ける。

 ウィルはショーンに対しても同様の戦略を採用した。彼を侮蔑し嘲笑した。だが彼は一線を越え、彼の病死した妻をも侮蔑した。

「結婚した相手が悪かったのか?」

「その辺にしとけ、チーフ。口に気を付けろ」

「図星か。別れたんだろ。寝取られたのか?」

 ウィルの侮蔑はショーンの暴力性を引火する。ショーンはウィルの気管を押さえつけ脅迫した。

「これから、一度でもまた妻を侮蔑したら、殺すぞ」

 その日のセッションはそれで終わる。ウィルが去った後、数学教授は今度も同様にこれで終わりかと何となく思うが、ショーンは何故か静かなる闘志を秘めた眼差しで次回のセッションを希望する。ここでショーンはウィルの侮辱的な攻撃に対しての復讐を画策していたことが後に明らかになる。

 第二セッションは近所の公園のベンチへと場所を移す。ショーンが前回の復讐に採用した戦術はレトリック(修辞法)の一種、パラレリズム(対句法)を使った一連の攻撃だった。パラレリズムとは同様の形式を持った異なる内容のセンテンスを連続させる技法だ。具体的な内容としてはまず、前半部でウィルの知性への賛辞を贈る。だが、後半部においてはウィルの実体験における経験値の不足を指摘し、あらゆる行動に対する彼の消極的な態度を段階的に暴露し、彼の問題の根源を彼自身に認識させていく。「お前は、ただのガキで本当は何も知らない。何も知らないガキのままでいいのか?」 こういった内容を直接的にそのまま言ったら殺し合いになるかもしれないが、パラレリズムを使えばより円滑にやりとり出来る。ウィルはショーンのメッセージを受け取り、理解する。彼は問題を認識した。その一歩は大きな進展だった。問題を認識すれば、最悪放っておいても、彼自らの意志と力で解決へと辿り着くであろう。大概の他人へのアドバイスは役に立たないお節介、有難迷惑に終わるが、ショーンはちょっとした技法、レトリックを使ってウィルの先行きを好転させるきっかけを作ることに成功した。

 ヒロノブの問題はウィルのそれと本質的に異なる。ウィルの場合は無意識的な心理的トラウマに由来する弊害が問題だったが、ヒロノブの場合は刑事罰リスクを伴う陰謀と暴力、及びその関係者による脅迫行為による心理的ダメージによって、一時的な大きなパフォーマンスの低下を被っている。問題の原因はウィルの場合より明確だが、その解決策の策定はより困難だろう。迂闊に周囲の関係者やマネージャー、パフォーマンス・コーチらに相談出来る内容ではない。情報を漏洩すれば例の〈悪の組織〉に殺されるかもしれない。彼の場合は心理学者によるセラピーによる治療には法的困難が伴う。ドラッグもセラピーも有効なオプションではないとしたら、時間が解決してくれるのを待つしかない。無闇にもがくことなく、しっかり休養して、ダメージ回復の時間をなるべく短縮する。結局、これ以外ないか。

待てよ、もう一つあるかもしれない。ウィルはセラピーによって問題を明確化し認識することによって状況を好転させた。俺の場合も問題の明確化の方策としてセラピー以外にも何か自分一人で出来ることがあるかもしれない……日記はどうだろう? 日記に自分の状況を詳しく記述し、自らを客観化することによって問題を明確化し、更には心理的安定を獲得し、結果的に精神錯乱から回復出来るかもしれない。ヒロノブはそう思い立ち、早速その日から日記を書き始めた。

実際書いてみて気づいたのは、困難な問題を文章化し、後から読むことによって、その問題をより冷静に分析し対処出来るようになることが判明した。文字は案外AIに匹敵する発明だったのかもしれない。日記によるセルフ・セラピーはAIに相談するよりも多くの恩恵を得られた。日記による精神的自己治癒力の増幅効果は絶大だった。しかしながら、よく考えてみると日記を書こうと思い立つきっかけを与えてくれたのも文字と同様の人類文明の産物であるAIのアドバイスでもあった。とにかく手近な物を利用するだけでも、意外と役に立つものだな。ヒロノブは後日、そんな感慨に浸ったと言う。


 とあるごく平凡な日曜日の午後十時、何の変哲もない一般家庭のお茶の間のテレビでいつものニュース番組が幕を開ける。

 こんばんは。歴史的快挙です。今日鈴鹿サーキットで開催された自動車レースの最高峰、フォーミュラー・ワン世界選手権、日本グランプリ決勝。ポールポジションからスタートしたオカダ・ヒロノブ選手が見事レースを制し、日本人史上初のグランプリ優勝を達成 しました。

 ――さあ、最終コーナーを立ち上がったオカダ。ホームストレートを独走し、遂にフィニッシュラインを、今、通過しました。日本モータースポーツ界長年の念願、F1グランプリ優勝をここ鈴鹿サーキットで達成。観客席をご覧ください。信じられない光景です!歓喜と熱狂を通り越して、号泣する観客も見受けられます。正に最高の幕切れ。遂に優勝です。私も涙をこらえ切れない状況となって参りました。中田さんはどうですか?

 ――ホームで史上初の優勝。それもオーストラリアのクラッシュの後ですよ。これはただの熱狂じゃ済まされませんよ。最高の幕切れじゃないでしょうか。オカダ、おめでとう!

 日本中が熱狂に包まれる一方、スイスから悲劇的な一報です。現地時間午前七時、日本時間午後四時頃、オカダ選手が所属するDBレーシングの執行会長を務めるデイヴィッド・シルバースタイン氏がジュネーヴの自宅で頭部から出血し倒れている状態で発見され通報されました。現地警察の発表によりますと、その後死亡が確認され現場の状況からシルバースタイン氏が所有する拳銃による自殺である可能性が高いとの見方で捜査が進行している模様です。謹んでお悔やみ申し上げます。

 更にもう一つF1関連のニュースです。昨シーズンの世界チャンピオン、ヤン・ヘンドリクス選手が、約一ヶ月前に起きた航空機の爆発事故から驚異的な回復を遂げたことが明らかになりました。ヘンドリクス選手は、事故からの回復を「奇跡ではなく、努力の結果だ」と語り、自分の命を救ってくれた医師や看護師、ファンや家族に感謝の言葉を述べ、レーサーとしての復帰を「出来るだけ早く実現させる」と宣言し、モータースポーツへの情熱は変わらないと強調しました。関係者によりますとヘンドリクス選手の復帰は予定より大幅に早まると見られ、今季のチャンピオン争いにおいても有力候補の一人となるのは間違いないとの見方が示されました。

 オカダ選手とのライバル対決が今から楽しみですね。今の彼なら稀代の天才、ヤン・ヘンドリクスを相手にしても、きっと、堂々と圧勝出来るでしょう! 大した根拠もありませんが、何となくそんな気がします。視聴者の皆様はいかがでしょうか? では、一旦ここでコマーシャルです。


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POLE @shakes

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