奪い返したい彼氏

 翌朝、あたしはいつもより一時間早く家を出た。たまき地蔵に昨日の出来事を報告するためだ。


『やはりわしの見立て通りであったか』


 普通に返事をしてくれたのでちょっと驚いた。このお地蔵様もただ者じゃないみたい。


たまさんっていったい何者なの。平凡な女子高生とは思えないんですけど」

『おそらくは中国四千年の歴史の中で生み出された異能の血統、宦官復元術の使い手であろうな』


 それから魂抜き地蔵の長い解説が始まった。古来中国には宦官と呼ばれる去勢された男の役人がいた。生殖能力がないため主に後宮で働いていたのだが惚れてしまう女官が多かった。さらに高貴な貴族の女性の中には宦官を婿にしたいと要望する者までいた。そこで創出されたのが宦官復元術だ。この術を使えば摘出された玉と棒は生きているので、いつでも好きな時に元の身体に戻せる。おそらく魂消さんはこの術の伝承者の末裔なのだろう、とのことだった。


「じゃあ魂消さんは玉だけでなく棒も抜き取れるの?」

『いや、この術を完全に伝承している者はもはや生き残ってはおらぬ。玉を抜き取るのが限界であろうな』

「そうなのね」


 魂消さんの正体はわかった。でもどうすればヌケ作君を救えるのだろう。彼女からキンタマを奪い返してもそれを元の体に戻すには魂消さんの術が必要になる。彼女を説得するなんて無理に決まっているし、困ったな。


『困ることはない。手立てはある。術の使い手に玉抜き勝負を挑むのじゃ』

「玉抜き勝負? 何それ」

『己の術を研鑽するために術者同士が互いに競い合う勝負じゃ。限られた時間内により多くの玉を抜き取った者が勝者となる。ヌケ作の玉を賭けてあやつに勝負を挑め』

「でもあたし玉抜きなんてできないよ」

『わしの名を忘れたか。おぬしらはわしを魂抜き地蔵と呼んでおるがそれは間違い。正しくは玉抜き地蔵なのじゃ。わしがおぬしに玉抜きの術を伝授してやる』


 うわあ、そうだったんだ。長い歴史の中で意味が変わっていくことってよくあるもんね。


「じゃあさっそく伝授して」

『うむ。されどひとつ問題がある。願いを叶えるには見返りが必要なのじゃ』

「見返り? お布施とか、お百度参りとか?」

『いや、そのように具体的なものではない。おぬしの心にある大切な何かが見返りとして剥奪される。どうだ、それでも術の伝授を望むか』


 心の一部が亡くなるのか。不気味だなあ。でもここまで来て引き下がるわけにはいかないもんね。


「それくらいでヌケ作君を救えるなら安いもんよ。お地蔵様、お願いします」

『ならば参るぞ。ちんたーまに、ちんたーまに、ちんたの力をこの者に授けたまえ、喝っ! よし終了じゃ』


 えっ、これだけで異能力者になれたの。なんだか有難味がないわね。


「全然実感がないんですけど。心の中の何が奪われたのかもわからないし」

『見返りが献上されるのは今ではなくおぬしの願いが叶った時、即ち玉抜き勝負に勝利した時じゃ』


 意外と良心的じゃない。でも本当に術が使えるようになったのかな。


『疑っておるのか。ならばその野良猫で試してみよ。全身全霊の力を込めて、び むちゅ まに、と唱えるがよい』


 ナイスタイミングで猫が通り掛かった。瞬間、その猫が雄であることがわかった。股間のタマタマをはっきり認識できたからだ。


「び むちゅ まに!」

 ――すぽっ!


 心地好い音がしてあたしの手のひらに玉が出現した。これが猫のキンタマか。っさ!


「できたあ。元に戻すにはどうすればいいの?」

『おかえり玉、と唱えればよい』


 戻す呪文は軽いなあ。難易度が低いせいかな。その通りに唱えると手のひらの玉は消えた。なんだかどっと疲れた。


『うむ。初めてにしては上出来じゃ。さりとて体力をかなり消耗しておるようじゃな。今のままでは玉抜き勝負に勝つことはできぬ。今日より玉抜きの修練に励め。願いが叶えられるかどうかはおぬしの努力にかかっておる』

「うん。あたし頑張る!」


 その日からあたしの玉抜き修業が始まった。野良猫や野良犬だけではなく、放課後は動物園に足を運び様々な動物のキンタマを抜いては元に戻すを繰り返した。

 一週間も経たないうちにスマホでメールを打ちながらでもキンタマを抜けるくらいに上達した。


「よし。これなら勝てる」


 自信が持てたあたしは魂消さんを体育館の裏に呼び出した。今や彼女の腰巾着と化しているヌケ作君も一緒だ。


「何の用。ヌケ作のキンタマならどんなに頼まれても返すつもりはないのだけれど」

「これを見て」


 あたしは鞄を開けると友人に借りたハムスターを取り出した。


「び むちゅ まに!」


 あたしの手のひらに玉がひとつ出現した。魂消さんの顔が引きつる。


「あなた、まさか玉抜きの術を……」

「そうよ、会得したのよ。そしてあなたに決闘を申し込む。あたしと玉抜き勝負をしなさい。もしあたしが勝ったらヌケ作君のキンタマを返して。二度とヌケ作君のキンタマを抜かないと約束して」

「もし私が勝ったら?」

「そ、その時は、えっと」


 どうしよう。自分が勝つことばかり考えて負けることは考えてなかった。


「ノープランで勝負を挑むなんてお馬鹿さんにも程があるわね。いいわ、その勝負受けてあげる。私が勝ったら、そうね、お金をちょうだい。現金で」

「お金、いくら?」

「純金の価格は現在一グラム一万円。ヌケ作のキンタマは一五グラムくらいだから一五万円でいいわ」

「えっ、ボクのキンタマってそんなに安いの」


 ヌケ作君がショックを受けている。キンタマの値段なんてわからないから慰めようがない。


「一五万円か」


 安くない額だ。でもお年玉貯金とお小遣い前借りと夏休みのバイトを頑張れば何とかなりそうな気もする。


「その条件ならこちらも文句なし。勝てば払う必要もないし」

「ふふ、たいした自信ね。勝負の場所、日時、方法についてはこちらで決めさせていただくわ。どうせ何も考えていないんでしょう」


 図星だ。勢いだけで先走り過ぎちゃったな。


「決まったら連絡してあげる。せいぜい術を磨いておくことね」

「そっちこそ後悔しても知らないからね」


 こうしてその日は終わった。


 期末試験が終わり夏休みが始まって最初の週末、あたしは北海道に来ていた。魂消さんがこの地を勝負の場所に指定してきたからだ。


「今回の勝負のために全国から去勢される予定の雄牛を千頭集めたのよ。壮観な眺めでしょう」


 まったくだ。さっきからモーモーうるさくて仕方がない。しかしどうやって千頭も集めたんだろう。魂消家って世界でも有数のお金持ちなのかもしれない。


「競技はスピード勝負。割り当てられた五百頭の牛のキンタマを先に全部抜いたほうが勝ち。どう、シンプルでしょう」

「スピードなら負けないんだから」


 あれからさらに修練を積み、今では一玉一秒で抜けるようになった。五百頭なら一五分程で完了するはずだ。


「判定員の皆さん、よろしくお願いします」

「おおー頑張んな。どうせタマを取る牛だし遠慮なく抜いてくれや」


 あたしたちを取り巻いている畜産農家の方々から熱いエールをいただいた。その中にはヌケ作君の姿も見える。待っていて。必ずキンタマを取り返してあげるからね。


「そんじゃま始めるかね。三、二、一、玉抜き開始!」

「うおおおー、び むちゅ まにび むちゅ まにび むちゅ まに!」


 あたしは猛然と玉を抜いた。うん、いいペースだ、今日はいつもより調子がいい。


「ふふん、それなりに腕を上げたみたいね」


 魂消さんは椅子に腰かけて紅茶を飲んでいる。まだひとつも抜いていない。油断しすぎじゃないの。


「うほうほ、こりゃたまらん」

「玉抜きの術で抜いたキンタマは一味違うのう」


 あたしが抜いたキンタマは全て判定員の元に送られているんだけど、そこからいい匂いが漂ってくる。


「何をしているのかな」


 あたしは呪文を止めて判定員席を眺めた。驚いた。キンタマを調理して食べていたのだ。


「へえ、天麩羅にするとこんなに美味しいんですね」

「タマ刺しもうめえぞ。醤油とワサビで食ってみ」


 よく見るとヌケ作君もご相伴しょうばんにあずかっている。もう、誰のために勝負していると思ってんの。ちょっとは真面目に応援しなさいよ。


「さてと、そろそろ始めましょうか」


 魂消さんが紅茶のカップを置いて術を使い始めた。愕然とした。とんでもないスピードで牛のキンタマが判定員の元へ運ばれていく。しかも無詠唱だ。


「ウソでしょ。一度に二玉抜くなんて」

「驚いた? 所詮あなたとは年季が違うのよ」


 あたしは慌てて詠唱を始めた。でもダメ。魂消さんは凄まじい勢いで追い上げてくる。相手の玉抜き速度はあたしの二倍。このままでは確実に負ける。


「ふふふ。もう勝負はついたみたいね。どう、今降参するなら賭け金を一四万九千円に負けてあげてもいいわよ」


 たった千円だけ! お金持ちなんだからもっと負けなさいよ。


「だ、誰が降参なんかするもんですか」


 とは言ったものの状況は最悪だ。もうすぐ追い越されてしまう。そして絶対に追いつけない。どうしよう、やっぱり降参しようかな。


「バカ、あたしのバカ!」


 右手で右頬をぶっ叩いた。弱気になっちゃダメ。魂消さんが一度に二玉抜けるならあたしだってできるはず。気合いよ、気合いをいれるのよ。


「うりゃああ!」

「ま、まさか」


 魂消さんの声が上ずっている。できた! あたしにも二玉抜きができたんだ。


「どうよ。降参するのはそっちじゃないの」

「甘いわね。これが私の最高速度だと思ったの。そおれ」


 ウソ! 魂消さんのキンタマは一度に三玉抜けていく。まだ本気じゃなかったのね。

「どう。今降参すれば一四万八千五百円に負けてあげるわよ」


 今度は五百円刻みか。どこまでもセコイ女。


「諦めたりするもんですか」


 あたしはさらに気合いを入れた。できた。一度に三玉抜け始めた。それを見た魂消さんは一度に四玉抜き始めた。あたしはさらに気合いを入れて一度に四玉抜く。魂消さんが五玉抜く。あたしも五玉抜く。


「くっ、まさかこれほどの力を持っていたとは」


 多重抜き合戦はここまでだった。魂消さんの力を以てしても一度に五玉が限界のようだ。もちろんあたしも限界。体は重く、頭は痺れ、意識は朦朧とし、視界がかすんできた。今自分が何頭目の牛のキンタマを抜いているのか、魂消さんとどれくらい差があるのか、何もわからない。


「おん かかか びさんまえい そわか。お地蔵様、あたしに栄光を!」

「そこまで!」


 判定員の大きな声と終了を告げる銅鑼どらの音が周囲に響き渡った。はっとして我に返るとあたしの牛五百頭のキンタマは全て抜けていた。一方、魂消さんの最後の牛は股間にタマタマをぶら下げている。


「まさかこの私が破れるなんて。時代は変わったのね」


 ガックリと項垂うなだれる魂消さん。じわじわと喜びが込み上げてきた。そして聞き覚えのある声も聞こえてきた。


『めでたきかな満願成就。約束通り見返りはもらっていくぞ』


 心の中から何かを抜かれたような気がした。でも勝利の喜びがその空虚感を打ち消した。魂消さんはあたしに近付くとキンタマを差し出した。


「ヌケ作のキンタマよ。受け取りなさい」

「ありがとう。あなたも本当はヌケ作君のことが大好きだったんでしょ」


 魂消さんが一瞬照れたような表情を見せた。でもすぐ元のクールな顔に戻った。


「ふっ、この世にはヌケ作よりイケてる男はごまんといるのよ。今度はもっとマシなキンタマをつかんでやるわ」


 魂消さんが遠ざかっていく。最初は嫌な印象しかなかったけど今は良きライバルだ。次の男のキンタマ、見せてほしいな。


「ねえ、ボクのキンタマ、早く元に戻して」


 ヌケ作君がせがんできた。長期間片タマだったせいか妙に女っぽい。まあこれはこれでカワイイけど。


「あ、そうだったね。へ~、これがヌケ作君のキンタマか」


 ちょっと撫でてみた。「はわわわ」と言いながらヌケ作君がよがっている。今度は握り締めてみた。「あうっ」と叫んでうずくまっている。面白い。ヌケ作君が懇願する。


「遊んでないで早く戻して」


 何だかおかしい。元に戻してあげようという気持ちがまったく起きない。それどころかこのままヌケ作を手玉に取って遊び続けたいという欲望を抑えられない。


「元に戻すのはもう少し後にする。それまであんたはあたしの奴隷よ。わかったわねヌケ作」

「そ、そんなあ~」


 半泣きのヌケ作の表情がたまらなくイイ。そしてあたしはその時悟った。見返りとして剥奪されたのはきっとヌケ作に対する慈愛の魂だったのだろう。


「あのお地蔵様、やっぱり魂抜き地蔵なんじゃない。やられた~」


 あたしの魂、抜かれちゃった。でもそんなことはもうどうでもいいんだ。だってこんなに楽しいんだもん。


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魂を抜く女子高生 沢田和早 @123456789

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