魂を抜く女子高生
沢田和早
奪い取られた彼氏
今朝もあたしは待ち合わせ場所へ向かう。通学路の途中にある見通しの悪い交差点。その角に立っている
「五分の遅刻だよ」
「ごめーん、寝坊しちゃった」
魂抜き地蔵の横にはヌケ作君が立っていた。もちろん怒ってなんかいない。彼はすごく優しいの。たとえ1時間寝坊して1限目の授業をすっぽかすことになってもきっと許してくれるはず。
「やっぱり夜更かしはよくないね。ボクも眠いし。お互いホドホドにしないと」
「うん」
と返事をしたけどヌケ作君との夜のお喋りは楽しすぎるんだもん。ホドホドになんてできるわけない。今晩も日付が変わるまでトークしちゃいそう。
「じゃあ姿勢を正して。おん かかか びさんまえい そわか。お地蔵様、ボクらの愛が永遠に続きますように」
「おん かかか びさんまえい そわか」
あたしたちは魂抜き地蔵に合掌した。これも日課のひとつ。別に熱心な仏教徒ってわけじゃないのよ。あたしたちを出会わせてくれたのがこのお地蔵様なの。
そう、あれは確か高校入学直後のうららかな春の朝。寝過ごしたあたしは食パンをくわえて爆走していた。
「いっけない、遅刻遅刻。きゃあ!」
この魂抜き地蔵の交差点であたしは思いっ切り誰かとぶつかった。それが今の彼氏、ヌケ作君。その出来事を切っ掛けにしてあたしたちは付き合うことになったの。だからこのお地蔵様はあたしたちのキューピット。恋人同士にしてくれたお礼に感謝の言葉を毎日捧げているってわけ。
「ねえ今日も放課後は図書室で勉強を見てくれるんでしょ」
「ああ。ボクの彼女に赤点なんか取ってもらいたくないからね」
嬉しい。ヌケ作くんはすごく頭が良くて中間試験ではぶっち切りの学年トップだった。ああ、こんな素敵な彼氏を持ててあたし幸せ。
「さあ、そろそろ登校しよう。本当に遅刻しちゃうぞ」
「うん」
あたしたちは手をつないで登校する。この幸福がずっと続けばいいな。
「突然の話で驚くかもしれないが転校生だ」
朝のホームルームで衝撃的なニュースが舞い込んできた。夏休み前のこんな時期に転校生なんてよっぽどの事情があるんでしょうね。でも衝撃的だったのはそれだけじゃない。転校生がすっごい美人だったの。
「初めまして。
「席は転校生のお約束、窓際の一番後ろだ」
「学級委員は誰?」
先生の言葉を無視して魂消さんが教室を見回している。一瞬の沈黙の後、ヌケ作君が手を挙げた。
「ボクですが、何か」
「あなた学年首位の優等生なのでしょう。隣に座ってあげるわ」
呆れたのはあたしだけじゃないはず。転校生の分際で何なのこの態度のでかさ。先生も困惑している。
「いや、しかし隣には別の生徒が座っているし」
「私は右も左もわからない転校生。この学校に早く溶け込むには優秀な学級委員に手取り足取り教えてもらう必要がある。そうではなくて」
「それはそうだが」
「それなら私の席を彼の隣にすることに何の不都合があるの。それとも先生は私をいつまでも仲間外れのままにしておくことをお望みなのかしら」
「そ、そんなことはない。わかった。おい、席を替わってやれ」
「はあい」
ヌケ作君の隣の女子が窓際の一番後ろに移動した。魂消さんは満足気に笑うと彼の隣に座った。
「よろしくね、委員長」
「よ、よろしく」
その日はムカムカし通しだった。授業中や移動時間だけでなくお昼休みまでヌケ作君は魂消さんと一緒なんだもん。仕方なく仲良しの女子とお弁当を食べた。口から出るのは魂消さんのことばかり。
「ねえ、あの転校生、最悪じゃない」
「甘やかされて育ったお嬢様って感じ。何でも自分の思い通りになると思ってるんでしょ」
やっぱりみんなあたしと同じで悪い印象しか持ってないみたい。女子から一番嫌われるタイプだ。だけど男子は女子とは真逆。あれだけの美人で上品な女子って滅多にいないからチヤホヤしたくなるのもわからないでもない。
(でもヌケ作君は大丈夫だよね)
あたしは心の中でそうつぶやいた。
午後もヌケ作君とは言葉一つ交わせずに過ごした。胸の中のモヤモヤは大きくなるばかり。そして最後にこの日最大のショックがあたしを襲った。
「えっ、今日は中止!」
「ごめん。魂消さんに校内を案内してほしいって言われちゃって」
日課になっていた放課後の勉強会。一番長くふたりだけで過ごせる時間。それがいきなり中止になった。不満と怒りが渦巻く。
「学級委員だからってそこまでやる必要ある?」
「う~ん、でも彼女に早く馴染んでほしいから」
ヌケ作君の優しさが裏目に出たみたい。その優しさはあたしだけに向けてほしいんだけどな。
「そう。じゃあ今日は我慢する」
「ごめんね」
諦めて帰宅するしかなかった。でもまだ楽しみは残っている。就寝前のライン。今晩は徹夜でやりたい気分。
「おかしいな」
返事がない。って言うか既読にならない。スルーされてる?
「どうして?」
午前零時を回っても続けた。同じだった。涙をこらえて就寝した。
翌朝、約束の時間より十分早く魂抜き地蔵の前に行った。ヌケ作君の姿はない。待つ。
「遅いな」
約束の時間になっても来ない。こんなことは初めてだ。
「おはよう」
「おは、ええっ!」
ようやく現れたヌケ作君を見てあたしは我が目を疑った。魂消さんが一緒だったのだ。
「ふうん、これがヌケ作の彼女なの。平凡を絵に描いたような子ね。もう少し女子力を磨いた方がよいのではなくて」
なんて失礼な言い方。しかもヌケ作君を呼び捨てにするなんて許せない。
「余計なお世話よ。それよりどうしてあなたが彼と一緒にいるの」
「私が新しい彼女になったからに決まっているでしょう。あなたは用無し。今まで付き合ってもらえたことを感謝なさい」
「ヌケ作君、ホントなの」
「ごめん本当だ。もうここでボクを待つ必要はない。明日からは彼女の自家用車で通学するから。放課後の勉強会も夜のラインもお仕舞いにしてほしい」
「そ、そんな」
信じられない。数カ月もかけて築き上げてきたあたしたちの仲が、昨日まで赤の他人だったこんな女に壊されるなんて。
「魂消さん、自分が何をしているかわかってるの。人の彼氏を奪い取るなんて最低の行為じゃない」
「あら、私は少しも悪いことなんかしていなくてよ。もしヌケ作があなたの婚約者もしくは配偶者ならば民法上の不貞行為に抵触するかもしれないけどただの恋人でしょう。他人の恋人と恋愛したとして、それがどんな法律や条例に違反すると言うの。日本は自由恋愛の国ってことをお忘れなのかしら」
「うぐぐ」
正論だ。グウの音も出ない。
「責められるべきは私ではなくむしろあなたではなくて。たった一日しか付き合っていない転校生に呆気なく恋人を奪われた自分の魅力のなさを後悔なさい。さあ行きましょう。ヌケ作」
「はい。タワネ様」
タワネ様? どうしてそんな呼び方をするの。こんな女に呼び捨てにされて悔しくないの。
「いったいどうしちゃったの。こんなのヌケ作君じゃない。まるで魂の抜け殻じゃない」
ヌケ作君の足が止まった。こちらを振り向いた。
「そうだね。ボクは魂を抜かれてしまった……あうっ!」
「余計なお喋りは慎みなさい、ヌケ作」
「はい。タワネ様」
ヌケ作君は悲しそうな目であたしを見ると魂消さんの影を踏まないように三歩下がってその後に付いていった。
それからのヌケ作君は哀れとしか思えなかった。
「体育の授業で疲れたわ。ヌケ作、足を揉んでちょうだい」
「かしこまりました、タワネ様」
「ヌケ作、焼きそばパンを買ってきて」
「直ちに行ってまいります」
「ヌケ作、昨日の宿題は?」
「ここにございます」
こんなのが恋人同士と言える? 絶対違う。これじゃまるで主人と奴隷よ。どうしてそんなにヘコヘコしてるの。まさか本当に魂を抜かれちゃったの。
「結局ヌケ作も美人の色香には勝てなかったか」
「あんなに卑屈な男だとは思わなかったな」
「別れてよかったんじゃない」
ヌケ作君の評判はガタ落ちだ。学級委員としての権威も地に落ちている。それでもあたしはヌケ作君を諦められなかった。「魂を抜かれた」この一言が気になって仕方なかった。
「お地蔵様はずっと変わらないのにね」
休日、あたしは魂抜き地蔵の前に立っていた。数日前までこの場所はあたしとヌケ作君の聖地だった。でも今は悲しい失恋の場所。楽しかった日々を思い出すと泣きそうになる。
「お地蔵様、もう一度あたしたちを結び付けてくれませんか」
そう願った瞬間、頭の中に声が響いた。
――男を問い
「何、今の。もしや天啓ってやつ?」
きっとそうだ。魂抜き地蔵があたしの願いに応えてくれたんだ。
翌日の放課後、掃除当番のヌケ作君は一人で便所掃除をしていた。他のメンバーは掃除をさぼって帰ってしまったらしい。ヌケ作君はそこまで人望をなくしているのだ。悲しい気持ちを抑えて男子便所に足を踏み入れヌケ作君に話し掛ける。
「ねえ、二人だけで話したいことがあるの。いい?」
「いや、悪いけど元カノの君と話をするにはタワネ様の許可が要るんだ。まずはタワネ様に事情を説明して許可をもらってほしい」
面倒ね。いいわ、いきなり本題に突入よ。
「昨日、お地蔵様から天啓をいただいたの。もし抜かれたのが
ヌケ作君の顔色が変わった。目を大きく見開いて息が荒くなっている。
「本当かい。ああ、やはり魂抜き地蔵様はボクらの救世主だったんだね。わかった。真実を話すよ。ボクは魂消さんにタマを抜かれたんだ」
「タマって
「違うんだ。これだよ」
ヌケ作君はベルトを緩めると一気にズボンをずり下げた。えっ、ウソ、ちょっと待って。ここでするの? まだ心の準備が……。
「ほら触って」
ヌケ作君はあたしの手を取るとボクサーパンツの股間に押し当てた。布越しに伝わる温もりとモッコリした形。
「あれ?」
おかしいな。タマタマって二つあるはずよね。どう触っても一つだけの手ごたえしかないんだけど。
「まさか抜かれたタマって」
「そう、ボクのキンタ、あうっ!」
突然ヌケ作君が股間を押さえてうずくまった。と同時に入口から声が聞こえてきた。
「まさかこんなに簡単に秘密を漏らすなんて。
そこには魂消さんが立っていた。
「
「こんな場面で自己紹介をするはずないでしょう。驚いたって言っているの」
ああ、魂が消えるほど驚いたって意味で言ったのか。ホント紛らわしい名前よね。
「それよりもヌケ作君のキンタマよ。今どこにあるの」
「私の手の中にあるわ。ほら」
魂消さんが右手を開くと金色に光る玉が宙に浮いていた。強く握り締めると、
「あうっ!」
と言ってヌケ作君が身悶えする。左手でナデナデすると、
「はわわあ~」
とよがり声をあげながらヌケ作君が恍惚とした表情になる。文字通り、彼女は手の上の玉でヌケ作君を手玉に取っているのだ。
「キンタマ抜き、これが私の異能。抜かれたタマは異次元の神経と血管によって本体とつながっているので腐りもしないし感覚もある。この能力のおかげでどんな男も私の意のままに操れる。キンタマを潰される痛みに耐えられる男なんて滅多にいないもの」
「どうしてこんなことをするの。キンタマを返して」
「ええ返すわ。ヌケ作があなたを忘れて私を愛してくれると約束してくれればね」
「えっ、どういうこと」
うずくまったままのヌケ作君が顔を上げた。付き合っていた頃と同じ力強い目をしている。
「それだけは約束できない。どんなに屈辱に
魂消さんがキンタマを握り締めた。ヌケ作君の顔が苦痛に歪む。こんなになってもまだあたしへの想いを持ち続けていてくれるなんて。嬉しい。
「ヌケ作君、待っていて。あたしが必ずあなたを救ってあげる。キンタマを取り戻してみせる」
「ほほほ、できるものならやってごらんなさい」
奪い取られた彼氏を奪い返す、そのためには奪い取られたキンタマを奪い返すしかない。大丈夫絶対できる。だってあたしには魂抜き地蔵が付いているんだもん。
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