第43話 残香残歌
〜*〜*〜*〜*〜*
「警戒しなくてもいい。私は人間に危害を加えるつもりはないよ」
低い音程の響きが私の
暖かみを感じさせるその低音は、年輪のような時の積み重ねを感じさせて、私に少しの間緊張感を忘れさせたけど、直ぐに頭を振って我に返った。
目が覚めたばかりの頭はまだ少し
眠ってしまう前と同じ場所に思えるけど、目の前の一際大きな大樹の存在に頭を
(人語を話す魔物なんて、聞いたことない)
ふと、獣のように耳と毛皮に覆われたカグたちのことを思い起こすけど、何かこれとは違う気がする。こっちは純粋な魔物で、カグたちは人間と魔物の中間みたいな感じだろうか。
「人を眠らせて、何をする気なの?」
私は少し離れた位置で横になってぐっすり眠ってしまっているフェムを
「何もしないさ」
「何もって……」
「人とは、夢を見る生き物だろう? だから私は、人間たちに夢を見せてあげているんだ」
その魔物の声には悪意のようなものは感じなくて、ただ親切でやってあげているとでも言うように、純粋な好意を感じた。
「……何で、そんなことを」
「あの子との約束だからさ」
「……あの子?」
魔物の声が少し不安げに震えた。それが何か後悔の色を感じさせて、私は思わず聞いてしまった時だった。
ぼっ、と視界に突如小さな火の玉が複数出現して、大樹の周りをゆらゆらと漂い始めた。
私はその光景に直ぐにフェムの方へ振り返ると、鋭い目つきをしたフェムの視線とかちあう。
「ルル、離れて!」
その敵意を
「君は……、一体何者だい?」
「そんなことどうでもいい。ルルになにやったの?」
「夢を見せてあげただけだよ」
「夢って……。ルルには──」
「いいから!」
何か余計なことを言いそうになったフェムの言葉を私は
「ルル……」
心配そうな目つきで私を見つめるフェムの横まで後退りして、取り敢えず木の魔物との距離を空ける。すると直ぐに、真横からフェムが問い詰めるように聞いてくる。
「大丈夫? なにもされてない?」
「大丈夫だから」
私は目線も向けずに首を避けるように逸らして答えた。そんな私たちの正面で、再び木の表面が裂けるように動き始める。
「君は、本当に人間かい?」
その質問はきっと私ではなくてフェムに対してだろう。やっぱり魔物から見ても、この魔法の力は異質に見えるのかと横目にフェムを見遣ると不機嫌そうな顔つきをしていた。
「失礼だね。どう見たって人間だよ」
そう言って怒りを
「人語を話す魔物って聞いたことありますか?」
「え? いないの?」
「……私は聞いたことないです」
フェムは驚くように目を見開いて聞き返してきた。あまりに普通に魔物と話しているから何か知ってることがあるのかと思ったけど、やっぱりこの人はこの人だ。
「…………」
すると突然、フェムの青い目の瞳孔が何か吸い込まれるようにじっと一点を見つめて黙り込んでしまう。
「どうしたの?」
「……ねぇ、もうすぐ死ぬよ?」
突然、そう告げるフェムの気迫に思わず声を失う。
「……知っているさ。君にも見えるんだね。生物の、命の灯火ともいえるものが」
「
フェムと木の魔物の言ってることは要領を得ないけど、フェムと魔法を使用した時の、センサの命が尽きる時のことが脳裏に過ぎった。
「……最後に、彼女に会いたかった……」
そんな悲しげな呟き声を木の魔物が発した。その発言の真意が気になって、そう思ってしまえる程にこの魔物からは敵意を何も感じないから、私は横のフェムに尋ねる。
「あと、どれくらいなの?」
私がそう聞くとフェムは私の顔をじっと見て、私の手を突然掴み出す。
「ちょっと、──」
私が抵抗しようとした瞬間、辺りへの感覚が研ぎ澄まされた。周りからいくつもの気配を感じられて、私の全身を覆う気配は何とも言えない全能感を与えてくる。
私の真横からは途方もない気配の圧力を感じて、私は思わず身震いをしてしまう。だけど、その気配は私を覆う気配と同じものだと感じるから、怖いとは感じない。
(……
フェムと魔法を使った時の感覚と同じだ。きっとフェムが私に
私は目の前の木の魔物を見る。その魔物が持っているだろう、
それは少し息を吹き掛けたら消えてしまいそうな命の火だった。
すると、ゆっくりとフェムが木の魔物へと歩み寄る。
「どうするの? さっきの夢のお礼に、わたしから幸せな夢を見せてあげてもいいけど?」
そう提案するフェムの声は怒りを含むように低く、その目は大きく見開いて木の魔物を見据える。
(……この人、やっぱり私のことになると)
いくつもの火の玉を引き連れながら木の魔物を睨み付けるフェムは、魔法を使うことに躊躇いを見せていた先程の面影を感じられなかった。
「待って!」
「ルル、危ないから来ないで」
「あの子との約束って何?」
私は静止を呼び掛けるフェムを無視して、木の魔物に問い掛ける。
「……君は優しい子だね」
「そんなんじゃないよ」
「ルル?」
フェムが私に心配するような視線を向ける。その目を真正面に受けて、私は危なっかしい彼女に向けて言う。
「貴方が今言ったでしょ。夢のお礼をするって」
「わたしは……、ううん。そうだね」
フェムが言った言葉はそう意味じゃないのは私も分かっている。でも私がそう言うと、フェムはどこか嬉しそうに頬を綻ばせて、私に並ぶように一歩下がってきた。
「変わった子たちだね。それでは最後に、少し私の話を聞いてもらおうかな」
木の魔物の低く暖かみのある低音が言葉の粒を流動的に紡ぎ出す。木の魔物の微かな
(……これ)
全身に触れる木の魔物の
「大丈夫だよ、ルル」
横から気遣うような声と共にまた私の手を掴もうとしてくるから、その手を振り払う。
「いいです。怖がってないから」
「わたしの
そう言い訳するように残念がるフェムを無視して、視界に広がる光景に目を向ける。
微かな輝きを持つ光の粒が舞う。大樹から溢れ出る粒子が夜空の星のように目を
(やっぱり、同じだ)
子守唄のような穏やかな歌声が鼓膜を寝かしつけるように揺さぶる。視界に広がる光景は幻想的で、目を瞑ることを忘れさせる。
「綺麗だね、ルル」
「……そうかな」
私の声は心の声とは違う感情を表す。だってこの幻想的な光景は、命が散る景色だと思うから。
センサの時と同じだ。でもそれよりも前に同じ光景を見た。フェムがこのような景色の中で踊っている姿を。
薄れいく意識の中、私は考える。
もし……これが、この光景が、命が散る景色だとしたなら、あの時誰が──
*****
木々の隙間を
その女の子の歌声はどこか
だからある日、私の身体に腰掛けた君を、悲しそうに
「どうしたんだい?」
「え?」
私に声なんてあるはずがなかったのに、この瞬間、奇跡が起きたんだ。
それからは毎日のように彼女は私の所へ来るようになった。
「ここは魔物がいて危ないよ」
「いいもん。木の魔物さんが守ってくれるでしょ?」
「……私は、魔物なのかい?」
「え、違うの? でも、木の魔物さんは良い魔物さんだよ」
「そうかい。じゃあ私は、良い魔物だ」
毎日、彼女と話して歌を聞く。最初は悲しそうな歌声も段々と活気に満ちてきて、私は嬉しくなったんだ。
「君は何でいつも、こんな森の中に来るんだい?」
「わたしね、一人ぼっちだったから、会いたくなったんだ。お母さんに」
少女は語った。家族を魔物の襲撃で失って一人になった少女は、母親に会う事を望んでこの森を
生前によく聞いた歌を歌いながら、家族と同じような結末を望んでいたと。
「もう、いいのかい?」
「うん。もう、寂しくはないから」
そう言って笑みを向ける彼女の表情をずっと見守り続けたいと私は思った。
だけどある日、すっかりと大きくなった彼女は私に告げた。
「ねぇ、木の魔物さん。私ね、ここを離れることになったの」
「……そうかい。また、会えるかな?」
「……うん。私ね、夢が出来たの」
「ゆめ?」
「夢はね、人が生きる原動力みたいなもの。生きる理由がなかった私を、前に進めてくれたの」
彼女はそう言って決意の込めた表情を私に見せる。もうすっかりとあどけなさの消えた彼女を止める理由が私にはなかった。
「だから私、頑張るね」
行かないでほしいと思った。でも、彼女と違ってどこかに進むすべがない私は、彼女を見送ることしか出来ない。
「……寂しいな」
そんな自分の声がふと聞こえた。自分の声だと直ぐに気づけなくて、私を見る彼女の表情で私が言ったのだと気付けた。
「……もう一つ、夢があるの。凄くなった私の歌声、一番に魔物さんに聴かせに来るから……、だから──」
「私も今、夢というのが出来たよ」
初めて出会った時のような寂しげな君を見たくなくて、私は自分の気持ちに嘘をつく。
「君とまた、穏やかな一時を。それが、私の夢だよ」
「うん……、うん、うん! 私も!」
その涙に濡れた彼女の優しい笑顔を、私は今でも鮮明に覚えている。
「魔物さん、また会うまで良い魔物さんでいてね。約束だよっ!」
それが私が見た彼女の最後の笑顔だった。今でも私はここで待ち続けている。また、彼女がここへ訪れて来ることを、ずっと。
〜*〜*〜*〜*〜*
目が覚めると、まだ夢の中のような幻想的な光景が広がっていた。
光の粒子を木の葉のように身につけ振り落とすように光り輝く大樹。その表面を裂ける穴の端が吊り上がる。まるで微かに笑うように、木の魔物は言う。
「もう、何百年前のことだったかな。今でも彼女はどこかで元気でいるだろうか」
「何百年前? じゃあもう──」
「元気でいるよ。もし、旅のどこかで見かけたら、貴方のことを話すよ」
私は木の魔物にそう告げる。そう嘘を告げた。
「……そうかい、ありがとう」
私は木の魔物へと歩み寄る。まだ微かに周囲に感じる木の魔物の
「あの子に会いたいなら、強く願って。きっと、"夢"は叶うから」
「ルル」
ふと声に横を振り向くとフェムが私と同じように大樹に手を添えていた。
「うん」
私はフェムの手を取って、大樹に寄り添うように額をつける。
フェムから私に流れてくる大きな気配を全身に覆い尽くしながら、私は魔法を使う。その為の想像は、この木の魔物が見せてくれたから。
(分かるよ、私もそうだから。あの穏やかな一時を、例え夢幻だったとしても、見せてくれてありがとう)
私は穏やかな夢を想像する。あの少女と大樹が寄り添い合う絵を鮮明に頭の中に描いて、そこに溢れる感情の色は私の中にあるから。
「……あぁ、あの子だ。久しぶりだね。あぁ、あの子の歌をまた……──」
どこからか歌が聞こえる。女性の穏やかな歌声が光の幻想に溶けて行く。
「ルル、聞こえる?」
「うん。綺麗な声だね」
「うん、でも……、悲しいよ」
あの子の歌声がいつまでも
「……ねぇ、私は、早くみんなの所に戻りたい」
「……うん」
「そのことを、忘れないでください」
「うん、分かったよ」
〜五章 陽炎の魂 へ〜
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