幕間 話す旅路①

42話 微睡みの歌

〜*〜*〜*〜*〜*


 少し開けてた窓からの澄んだ空気が顔をでて、自然と目が覚める。軽く伸びをしてベットから腰を上げると、自分の身体の調子が良いことがよく分かった。


(久しぶりだな……、ちゃんと眠れた)


 朝の涼しげな空気が気持ち良い。窓から差し込む日光を全身に浴びながら、呆然と街を眺めていると、背後から声が掛かる。


「……おはよ、ルル」


「……うん」


 少し気怠けだるそうなフェムの声に軽く頷くだけで答える。その後続く声はなく、私は少しずつ活気を取り戻し始める街を見下ろす。

 背後の気配があまりに静かで少し気になるけれど、目が合ってしまった時に話すこともないから視線は動かせなかった。


(何だろう……、これ)


 きっと、私たちの関係性は少しずつ変化していっていて、それは私がフェムに望んだことだ。

 でも正直、私はまだ彼女を完全に許せている訳でもない。心がまだ、フェムとの向き合い方を分からずにいる。


 手持ち無沙汰で何か話す言葉を探した所で一つ思いつく。


「……最後にご飯、一緒にどうかって。ファイルさんが」


 私の声に背後のフェムが動いた気配がした。窓際に立っている私の少し離れた位置にフェムが来て、同じように外の様子を眺める。


「うん、行きたい」


 大きな青い目が朝日を反射してキラキラと輝いて見える。その横顔に吸い込まれるように視線を奪われて、綺麗な顔がこちらに向いて表情を咲かせるようにほころぶのだから、私は思わず前を向いた。


「今日はいい天気だね、ルル」


 朝日が燦々さんさんと輝き私たちを照らす。その眩しさに思わず目を細めながら、私は答える。


「……うん。食事が終わったら、直ぐに出発しましょう」


 私はここで立ち止まってはいられない。早く、みんなの所に戻りたいから。



〜☆〜☆〜☆〜☆〜☆


 わたしはルルと一緒にファイルとカーヤと食事を囲んでいる。目の前に並ぶ色とりどりなご飯に目移りしながら、わたしの横ではルルがカーヤと楽しそうに話している。


 わたしの正面のファイルとふと目が合うと、楽しそうに笑ってこちらを見ていた。


「ずっと思ってたんだけど、その偽絆ぎはんの結び、本物かい?」


 突然の質問に口に入れた物を吹き出しかけて、なんとかゆっくりと喉に流し込めた。


「え、……っと」


 どう答えるか口ごもりつつ、視線を真横のルルに送る。


「本物ですけど、偽物です」


 ルルはそう何でもないように答える。ルルの正面のカーヤはどういうこと、と言いたそうに首をかしげた。

 ファイルも怪訝けげんそうにわたしを見るから、わたしはつい言い訳するみたいに話し始めてしまう。


「ファイル、嘘ついてた訳じゃなくて……」


「いや、疑っておいて言うことではないけど、本物だとは思ってたよ。ただ、祭りの国の正式な祭司以外の結びは重罪だと聞いているからさ。その歳の子たちは珍しかったから、ついね。何でも、逸れ者の祭司が一人どこかにいるらしいよ」


 そのファイルの話にわたしとルルは思わず目を見合わせてしまう。脳裏にはナラのことがぎる。


「あはは! 何も聞かなかったことにするよ。話は見えないけど、君たちが納得してるようなら別にいいさ」


「私はっ……、いえ、すみません」


 楽しそうに笑うファイルに、何か文句がありそうなルルだったけど、すぐに身体を引っ込めた。

 心配そうな目をするカーヤに、ルルは優しそうに目を細めて話し掛ける。


「ごめんね、何でもないよ」


 そう言って、再び楽しそうに話し始めるルルとカーヤを横目に、わたしはファイルに尋ねる。


「ファイル、この結びの解き方とか知らない?」


「解き方? さぁね。それこそ、君たちに施した祭司に尋ねたらどうだい?」


 ファイルはそう答えるも、ナラは何か知ってる様子はなかった。わたしが嫌がったら勝手に解かれると言ってたけど、その真意は分からない。


 魔法で解けれるってことだと思うけど、その想像とか全然出来る気がしないし、勝手に解かれるってどういうことだろ……。


 勝手に発動する魔法と考えて、頭の中に赤い血が飛び交い、思わず頭を振って脳裏の想像をき消した。


「君たちのことを深掘りする気はないが、お似合いだと思うけどね」


「うん! かっこいい!」


 ファイルの言葉に、カーヤも同意するように顔を綻ばせた。


「……ありがとう」


 そう褒められると悪い気はしなくて、少し照れながら感謝の言葉を溢す。すると視界の端に不機嫌そうな表情のルルが見えた。


「……意味、分かってるの?」


「まぁ、その歳と同性同士の偽絆の結びは滅多に見ないけど、私たちは応援してるよ」


「……そういうのではないです」


 横でルルが小声で反論の意を唱えた。ちらっとわたしと目が合うと、わたしの横腹を軽く突いて言う。


「……否定して」


「どこまで言っていいの?」


 わたしがそうルルに尋ねると、難しい顔をしたルルが軽くため息を吐いた。


「……もう、何も言わないでください」


「仲良し!」


 そんなわたしたちを見てか、カーヤが嬉しそうにそう声を弾ませた。


 諦めたように顔を伏せてしまったルルに、わたしはなんだかおかしく思えて笑ってしまう。


 そうして楽しい食事の時間も終わり、旅支度をしてから宿を出る。ファイルたちはまだ少しここに留まるみたいで、わたしたちのお見送りをしに来てくれた。


「ファイルさん、お世話になりました。宿もありがとうございます」


「いや、それはこちらこそ。娘の面倒を見てくれて、とても助かったよ」


 頭を下げて礼を述べるルルにファイルはにこやかに握手を求めた。お互いに顔を見合わせて穏やかに握手をする二人。


「フェム。娘を助けてくれて、改めて礼を言うよ、本当にありがとう」


 今度はそう言ってわたしに手を差し出す。その大きな手をわたしはしっかりと握りしめながら言う。


「……わたしも、ありがとう」


 この大きな手とその暖かさをわたしはきっと忘れない、と思っていると、ふとファイルの身体に隠れるようにカーヤの姿が見えた。

 まるで最初に出会った時のようだけど、カーヤの顔は悲しそうに今にも泣き出してしまいそうだった。


「ほら、カーヤも。二人にちゃんとお別れの挨拶しないと」


 ファイルはそう言って、小さなカーヤの身体を優しく前に送り出した。でもカーヤは首を横に振って答える。


「あははは。すまないね、こんなに誰かに懐いたのは初めてだよ」


 ファイルはそう笑いながらもどこか気難しそうに目を細めた。

 わたしもどうしたらと迷っていると、ルルが一歩カーヤの元に歩み寄った。カーヤと目線を合わせるようにしゃがみ込むと、ルルは優しい声でカーヤに話し掛ける。


「カーヤちゃん。また、一緒に遊ぼう。だから、約束しよ?」


 ルルはそう言った後、小指をピンと立たせて、カーヤの正面に見せる。


「……なに?」


「約束の……儀式みたいなものだよ。昔ね、本で読んだの」


 カーヤはルルに見よう見真似で小指を立てて、お互いの指をまじ合わせる。それが小さな可愛らしい握手に見えて、わたしは微笑ましく見ていると、カーヤがわたしの方へ振り向く。


「……フェムお姉ちゃんも」


「うん」


 そうして、わたしもカーヤと小指を握り合い約束をする。また、一緒に遊ぼうって。

 すると、突然カーヤが笑い始めるから、ルルとファイルと顔を見合わせた。


「なんか……、変なのっ!」


「あはは、そうだね」


 わたしたちと両手の小指で握手しているカーヤがそう言って笑う。わたしもルルもファイルも釣られるように笑い合う。

 わたしは隣で優しげに微笑むルルの顔を、声を上げて笑っているルルの表情を、悟られないようにじっと見つめる。


 良かった、って心から思う。その顔はわたしに向けたものじゃないけど、心も身体も満たされた気分になる。


 そうして和やかな雰囲気で、わたしたちはファイルとカーヤに見送られながらこの街を後にする。


 街を背に平原を歩きながら、横のルルがふと呟く。


「……約束、どんどん増えてくな」


 どこか物思いにふけるような複雑な表情のルルに、わたしは言う。


「行こう、ルル」


 この旅を早く終わらせることが、きっとルルが求めているものだから。

 わたしたちは進む。



〜*〜*〜*〜*〜*


「……ガーシャルか」


「知ってる? ルル」


 目的地へと足を進めながら、改めて次の目的地になるガーシャルという国について話し合う。


「なんて事ない小さな国だよ。隣国の影響もあって、小さいながら人の行き交いは多いし、栄えてる所」


「隣国の影響って?」


 そのフェムの疑問に、胸が大きく騒つく。あの国について、話すようなことなんて何もない。話したくもない。

 その騒めきに呼応するように頭痛を伴う記憶が脳裏に過ぎる。赤い色の悪夢が。


「……別に、話すようなことはないです」


「……そっか。とにかく、そこにあのくさびがあるって話だよ」


 私の反応にフェムはきっと疑問を思いつつも、話を変えた。

 深掘りして来ないことに少し感謝は感じつつも、知らない単語が唐突に出てきて首を傾げる。


「楔って何?」


「教えてくれた子がそう言ってたの」


 フェムはなんて事ないようにそう話す。


 フェムに次の目的地を教えてくれたという不思議な子。正直、怪しさしか感じない。何でフェムはそんな他人の話を信じられるのだろう、呆れてものも言えなくなる。


「その不思議な子、貴方のことを知ってる様子だったんでしょ。信じていいの?」


「……うん。正直、ちょっと不気味な子だったけど、それしか情報がないし」


「……まぁ、私的にはルルードゥナの兵士とかが待ち伏せしてても構いませんけど。その時はちゃんと説明してくださいね、女王様」


「……うん」


 そう答えるフェムの顔があまり納得がいってないようだったから、私はフェムの腕を引っ張るようにつねる。


「……痛い」


「それは良かったです」


 例えこの先にルルードゥナの兵士たちがいたとしても、フェムは軽く蹴散らしてしまうだろう。私を最優先にしている人だけど、それ以上に旅への執着が強い。この人の何もない部屋に先に居たのは、ぽつんと置かれた絵本の物語だから。

    

 結局、この旅を終えるには進み続けるしかない。フェムが自分を知って、この旅に納得するという遠回りに思える道程が、何よりの近道なのだから。



 そうして進み続けていると、浩々こうこうと広がっていた視界の先に大きな森が見えた。


「あの森を抜ければガーシャルが見えます」


「結構、大きそうな森だね」


「半日も掛かりません。迷わなければ」


 私はそう言って森へと入っていく。鬱蒼うっそうとした森だけど、太陽の位置さえ見てれば方向を見失うこともない。


「……それ、なんか迷いそう」


 後ろからそんな声が聞こえて、きっと背後へ睨み返すと、フェムは気まずそうに視線を逸らした。


「……冗談だよ?」


 そんな取り繕う言葉を無視して、歩を進める。私はコールとマゼルと旅をしてきたから、この程度の森で迷うことなんてない。


「直進すればいいだけ。迷う要素なんてありません」


 私の記憶というか知識では、この森の規模はそこまでではなかったはずだ。ただ普段の人の行き交いはないのか、整備されたような道もなく、生い茂る草花を切り開いて進むしかないようだった。


(配置的にここを商隊が通っても不思議じゃないけど、迂回してる……?)


 何やら底知れぬ違和感が胸をくすぶるけれど、一番可能性のある危険な魔物の存在についての心配は、フェムの存在でそこまで危惧きぐしていない。


「魔物はいそうですか?」


「うん。気配はいっぱいあるよ」


 フェムの言葉にやっぱりこの森が使われてなさそうなのは魔物か、と少し安堵する。魔物がいて安心するのもおかしな話だけど、と内心自分自身に思いつつ。


魔嫌香まけんかかないから、お願いします」


「任せて!」


 自信満々に頷いて答えたフェムを横目に再び歩き始めた所で、ふと一抹の不安が頭を過ぎった。


 あの洞窟での惨殺ざんさつの件を経て怖いと泣いたフェムの姿を思いだして。


「……本当に大丈夫ですか?」


「ん? 大丈夫だよ、任せて!」


 そう言って胸を張るフェムを私はじっと見つめる。


「もし今、魔物が襲ってきたら?」


「魔法で吹っ飛ばすよ」


「じゃあ、あの火の玉を出してみて」


 私の問い掛けに一瞬、顔色が変わったのを私は見逃さなかった。それに、左腕の結びがじわじわと染み入るような痛みを発する。


「……うん」


 そうして私とフェムの間に出現した握り拳程度の火の玉は、ぐらぐらと不規則に揺れていた。形もどこか不恰好な丸みで、今にも形を崩してしまいそうだった。


「……分かりやすい。ここで少し休みましょう。魔嫌香を焚くので、それをそこに着火させてください」


 私はそう話して、近くの乾いた木の枝を集めて置く。


「だ、大丈夫だよ! ルルのことはわたしがちゃんと守るよ」


「また、私に怒られたいの? 偽絆の結びで隠し事なんてしたって無駄なの、もうお互いに分かったでしょ?」


「でも……、魔法を使うのが怖くても、ルルを助けるためならわたしは……」


「分かってます。貴方がそういう人なのはいい加減に分かりました。でも、自分のことはどうなんですか?」


 フェムが私を守るためなら何でもしてしまえるのは理解している。私の状況次第では、また魔法で人を殺してしまうだろうと。

 だからこの人の言ってることを疑ってはいない。


 でもフェムは優しい。奴隷の私を助けてあげようと余計なことをしたように、ここまで沢山の人を助けてきたように、この人はちゃんと人を気遣える優しさを持っている。

 だからこそ、きっと私以外のことで魔法を使うことに今は躊躇ためらいを持ってしまっていると思っている。


「貴方が死んだら、私の潔白を誰が証明してくれるの? だから、私の為に自分も大事にして」


「……うん、ありがと、ル──」


 その時、どこかから歌が聞こえた。


 低い音程で温もりのある優しい声と音色が耳の奥に入り、心の奥を穏やかに揺さぶるようで。


「歌? 誰か歌ってるのかな?」


 私はその不思議な歌声を自然と聞き入ってしまっていて、直ぐには気付けなかった。


 一体、こんな魔物の住む森の中で歌を歌う人なんているのだろうか、という当たり前な疑問を直ぐに抱けなかった。


「こんな森で誰が……」


 フェムの呑気な疑問に苦言を呈そうと声を出した時、視界の中でフェムが倒れた。


「……え? どうし──」


 視界が不自然に揺れる。まぶたが異様に重く感じて、意識が遠のくのだけがしっかりと感じられる。


 それなのに、あの不思議な歌だけがはっきらりと脳を揺らす。私の知らない言語のようだけど、一音一音をはっきりと捉えられて、私はやっと違和感に気付いた。


(これ、ただの歌じゃ──)



〜*〜*〜*〜*〜*


「おい! 見ろよ、あれ! あの木の実は食べれそうだろ?」


「コール、よく見ろ。あれはハッカの実だ。食えば数日は口の中が終わるぞ」


 二人の話に私はコールの視線の先を見上げる。そこには大きな木に少し青みのある丸い木の実が実っていた。

 マゼルの言う通り、あれはまだ成熟しきっていないハッカの実だ。


「本当だね。似てるの多いし、気をつけないと」


「いや、二人とも。ハッカは身がもっと青いだろ。あれは青っぽいけど青じゃない。分かるか?」


 手を広げて力説するコール。視界の端でどこか呆れた顔をするマゼルと目が合った。


「……はぁ。ルル、どう思う?」


 こういう面倒臭い時は、マゼルはよく私に振ってくる。


「……確かに、よく見たらハッカの実じゃないかも」


「おい、ルル」


 視界の端でマゼルが何を言ってるんだ、と目を見開いて私を見るので、少し笑いを堪えるのが大変だ。


「そうだろ! やっぱ、ルルは分かってるな!」


 機嫌を取り戻したコールが軽快に木を登って実を取る。一つどうだ、という提案は丁重に断り、少しかじった所で止めようと眺めていると、お腹が空いていたのか矢継ぎ早に食べきってしまう。


「……あっ」


 次の瞬間、コールは大きく地面に転がって大きく口を開ける。


「かっっらぁ!! ハッカじゃんかっ!!」


 その様子は可哀想だけど、思わず笑ってしまう。


「あははっ!」


「ったく、お前は……。ルル、早く水を渡してやれ」


 マゼルの指示通り、苦しみもがくコールに水を手渡す。


「はい、コール。口の中、大丈夫?」


「お前……、わかっててぇ……」


「似てるの多いから、間違えたよ。ね、マゼル?」


「そうだな」


「おい、お前らぁ!」


 楽しそうに笑う。何でだろう、この瞬間がとても懐かしく思えて、胸が苦しくなる。


 何で、こんなに苦しいんだろう。

 目頭が熱くなって、何かが溢れそうになってくる。



「楽しそうだね」



 不意の背後からの声に振り向く。


 そこには小さな子供がいた。

 髪は短髪の灰色でぼさぼさで手入れがなってない。服もぼろぼろで、見すぼらしい。


「うん。……楽しかったよ」


 その子を私は知っている。一目見て、直ぐにこれは夢だと私に理解させてくれた。


 視界に火の幕が広がって私を囲んでいく。もうコールとマゼルの姿はどこにもなくて、私はいつものようにしゃがみ込み目を瞑る。



『せっかくだしお前のそのり固まった考えを変えてこいよ』


『女王様に謁見えっけん出来るのだろう。終わったら何か聞かせてくれ』


 コールとマゼルの声が聞こえて、思わず顔を見上げて探してしまう。でも、視界には一面赤色の揺らめく壁しかなくて。


『……君に、頼んでもいいかな? この花たちを、いつかこの目で見るという、私の生きる希望だったものを』


 アナセン様の声も聞こえて、私は思わず立ち上がる。

 もうこれは夢だと分かっているのに、首を必死に回してアナセン様を探す。話したいことも謝りたいこともたくさんあるから。三人の姿を、ないはずの姿を探して……。


『……ありますか?』


 目の前に灰色の髪の女の子が現れる。ガーナの冒険記を大事そうに抱えて、私じゃないみたいな表情を私に見せる。その表情はまるで……。


『……紫陽花あじさい。いつか、見てみたいって……。ずっと思ってた』


 私が夢を語る。その姿に思わず吐き気を催す。頭がそれを否定するみたいに、気持ちが悪いと心底思う。


「やめて! 夢なんて見ないって! 私はっ!!!」


 目の前に立つ自分を消し去るように手で振り払う。するとそれは子供の姿に変わって、私を見上げてくる。


『ねぇ。もう、分かってるよね。私たちの生まれた国、マリーツィアが近いよ』


 振り払おうとした手が止まる。行き場のない激情をぐっと握り締める。


「分かってる……。知ってるよ」


 その子と目線を合わせるようにしゃがみ込む。でも、視線を合わせることなんて出来なくて、下を向く。

 いつも通り目を閉じて、耳を両手で塞いで、私は言う。振り絞るように、必死に声を上げる。


「"夢"なんて、見せないでよ」



 目が覚める。鬱蒼とした木々が視界に広がっていて、目の前に大きな大樹が見えた。


「おや、目が覚めてしまったかの」


 どこかから聞こえてきた低い声に、その声の主を見渡して探す。けど、人の気配なんてこんな森にあるはずもなくて。


「目の前ですよ、お嬢ちゃん」


 目の前に立つ大樹が揺れる。大きな風も吹いた訳でもなく、まるで意志を持って動いたように思えて。


「……魔物?」


 大樹の表面が大きく横に裂ける。まるで口のように開閉する裂け目は、確かに私の耳に声という音を届けてくる。


「もう、夢はいいのかい?」

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