第4話 森の中(前編)

俺たちは何とか草原を走り抜け、森に逃げ込む事が出来た。

森の中は陽の光が地上まで射さないため、下草は少なく走りやすい。

ゴブリンたちは身を隠せる草が無い上、俺を手ごわい相手と感じたらしい。

予想通り、森に入ってまでは襲って来なかった。


(だが、マズイ事もある。アリスに翼ともはぐれてしまった)


せめてもの救いは、二人は生徒会長である近藤秀一と一緒に居る事だ。

アリスにぞっこん惚れている近藤秀一なら彼女を命がけで守るだろうし、翼は自分の身は自分で守れるはずだ。

クラスのみんなはゴブリンの襲撃を受け、それぞれが別方向へバラバラに逃げた。

この先、みんなが上手く生き残って出会えるだろうか?


(今までに比べると、最初の襲撃では犠牲者が少なかったと思うんだが……)


いま持っている装備は、教室で手にしたディバッグ、それとゴブリンから奪った槍一本と石斧が二つだ。


(心もとないが、これが今の俺の装備と言う訳か)


後ろから大きな音がした。

振り返ると根本玲子が派手に転倒している。

俺は足を止めた。

根本玲子の隣には野村美香が膝をついていた。

彼女もまた大きく肩を上下させている。

そして途中から合流して来た、小島晴美が荒い息の元で言った。


「そ、そろそろ、逃げ切れたんじゃ、ないの?」


俺は周囲を見渡した。

他に一緒にいる守村も、そして小島晴美と一緒に合流してきた志村も荒い息をしている。

既に草原からはだいぶ離れていた。


「そうだな。ゴブリンもここまでは追って来ないだろう。少し休もう」


俺自身も呼吸は限界に近かった。

何度ものループで知識や技術は身についても、体力まで上がっている訳じゃない。

守村が顔を上げた。


「アレ、やっぱりゴブリンなの?」


俺は無意識にそういう単語を使っている事に、守村に言われて気が付いた。


「そうだな。俺たちが想像しているゴブリンに近いと思うよ」


「と言う事は、ここは異世界っていう事?」


「その呼び方が正しいかどうかは不明だが……俺たちの世界ではない事は確かだ」


「バカな……異世界だって?」


志村が吐き捨てるように言った。


「そんなマンガやアニメじゃあるまいし。ここが異世界だなんてあってたまるかよ」


だが守村が反論する。


「だったらいま襲って来たヤツラは何? あの緑色で奇怪な連中は?」


「きっと変装か何かだろ。犯罪者の集団がマスクか何かを被っているとか。でなきゃサルの一種とか」


「アレは作り物のマスクなんかじゃなかった。それに地球上にあんなサルはいないよ」


陽キャの志村とオタク陰キャの守村が、自分の意見をぶつけ合っている。

そんな二人に俺は言った。


「アレが異世界のゴブリンだろうと、マスクを被った犯罪者集団だろうと、俺たちが狙われた事に変わりはない。そして河原崎先生とクラスメートの何人かが殺された事も、な」


「愛ちゃん先生……やっぱり死んだのか?」


志村が呆然としたように言う。

俺は黙って頷いた。

志村はクラスの中でも一番河原崎先生に好意を持っていた。

今日も朝の朝礼で、真っ先に先生にジョークを飛ばしていた。

彼の落胆は誰の目にも明らかだ。

そんな志村に寄り添うように小島晴美が近づいた。

彼女も陽キャグループの一員だ。

金髪に染めた髪に散りばめたように落ち葉がくっついている。


「志村、元気だしなよ……」


そして彼女は俺を見た。

まるで俺を非難するかのような目だ。


「あのゴブリンたちは、なんでアタシたちを襲って来たの?」


俺は首を左右に振った。


「さぁ、俺には分からないよ。ゴブリンは単に人間を敵視しているだけなのか。アイツラの縄張りに俺たちが突然現れたせいなのか。それとも……」


「それとも?」


「俺たちを喰うつもりだったのか」


小島晴美だけでなく、根本玲子も野村美香も身体をブルッと震わせた。


「冗談じゃねぇ」


そう言って志村が立ち上がった。


「だったら愛ちゃん先生をあのままアソコに放ってはおけない! おい、みんな、戻るぞ!」


だが志村の言葉に反応するヤツはいなかった。

普段は同じグループである小島晴美さえも沈黙している。

そんな志村に俺は声をかけた。


「志村、今さらアソコに戻るなんて無駄だし、死ぬだけだぞ」


「無駄って何だよ! 先生やクラスメートの死体を取り戻すのが無駄だって言うのか!」


「あのゴブリンたちを見ただろ? ヤツラは草原に入れば、またきっと襲って来る」


「だから慎重に音を立てずに行けばいいだろ。今度はコッチも敵がいる事を分かって行くんだ。そんなに簡単にやられはしない」


(コイツ、そこまで河原崎先生に本気だったのか)


俺は内心で驚きながら志村を見た。

志村は完全に冷静さを失っていた。

だが他の四人に草原へ戻る気がないのは明白だ。

俺の心がスーっと冷めていくのが感じられる。

何度も繰り返されるループで、俺はある一定の所で仲間を切り捨てられる非情さを身に着けていた。

いや、身に着けていたと言うより、必然的に身に着けざるを得なかったと言うべきだろう。


「志村、オマエが河原崎先生を取り戻しに行くと言うのなら、俺は止めない。だが他の連中は戻る気はないだろう。俺自身もそうだ。行くなら志村、オマエ一人で行く事になるな。武器を持ったゴブリンの群れの中に、たった一人で」


俺がそう告げると、志村は目を見開いた。

その口が何かを言おうと開かれる。

だが志村の口から言葉が発される事はなかった。

やがて彼は肩を落として俯く。

その肩が震えていた。

小島晴美が志村にそっと寄り添った。


「志村、愛ちゃん先生の事は諦めなよ。今さら戻ったって先生が生き返る訳じゃないし……そのために志村が危険になる事は、先生だって喜ばないよ」


小島晴美の言葉を、志村は黙って聞いていた。

やがてすすり泣く声が聞こえる。

だが俺はさらに無情に言い放った。


「感傷に浸っている所を悪いんだが、呼吸が整ったんなら先に進みたい。早く野営できる場所を見つけたいんだ。他の連中も探さないとならない。まだ危険は沢山あると思うからな」


俺はそう言うと守村に目で「行こう」と合図をした。

俺と守村が歩き出すと、根本玲子と野村美香も歩き出した。

それに志村と小島晴美が続く。


(そう言えばあの二人、普段から特に仲が良かったな。付き合っている訳じゃなさそうだから、小島が一方的に志村に好意を寄せているだけか?)


ふとそんな事を思った。



森の中は緩やかな登りになっていた。

陽が高い。おそらく正午前後だろう。

みんなの疲労度もだいぶ高くなっていた。

ここまで一時間に一回、五分程度の休憩は入れているが、それでも文明国日本に住んでいる俺たちが、いきなり未開の山の中を歩く事は厳しい。

俺たちは草原から左手にある森に逃げ込んだ。

この森に続く小高い丘を越えれば、街に繋がる街道に出られるはずだ。


(せめて水がある場所を見つけられれば)


ディバッグには転移前に、購買で買って来たペットボトルの水が数本入っている。

だがそれを早々にここで使いたくはない。


突然、目の前が開ける。

そこは一面、木々がなぎ倒されていた。

まるで嵐にでもあったかのようだ。


(嫌な所に出てしまった)


俺は内心そう思った。


「開けた場所に出たね」


すぐ横にいた守村がそう話しかけて来た。


「そうだな……」


「何を考えているの?」


俺はどう説明するべきか迷った。


(こういう森の中で突然開けた場所は危険だ)


本当はそう言いたかった。

だが今の時点で、俺がこの世界に何度も転移している事を話すべきか?

その場合は俺が転移するごとに、クラスメートはほぼ全滅している事を話さないとならない。

その場合、彼らがどんなパニックを引き起こすか……。


(そう軽々しく、転移の事は話す訳にはいかないな)


「いや、開けた所には空から襲って来る魔物がいないかなって、そう考えただけだよ」


そう言って俺は開けた倒木地帯に足を踏み出した。


「行こう、いや、行くしかないから」

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