支配の連鎖①
今日、愛するひととの大切な娘が、十四歳になった。来年の夏に成人し、冬至に立太子式が行われる。
密かに作成した装備の帳簿。わずかな余剰を横流し続けてから三年、なかなか見られる数になってきた。
ウィリアムは、出所した元兵士達をうまくまとめ、警備兵士長として、よくやってくれている。雇った一年後に、功績を認めて事情を話したが、さして驚かず、望んだ通りの死に場所が見つかってよかったと、淡々と語っただけだった。
利害が一致しただけの浅い関係。しかし、それが逆に、互いの信用に繋がっていた。
(立太子すれば、即位はもう目前だ。いよいよ〈太陽の剣〉が振るわれ、御夜の御意思が実現する。真昼の民の時代が来るのだ――)
純血の真昼の民の金色の髪は、創世神話から、太陽の光に喩えられる。
その、輝く陽光を象徴として名づけた、真昼のための組織。今は水面下で、様々な不満を持つ人々の受け皿となり、少しずつ賛同者を増やしている。
混乱が大きいほど、あの鬼畜で非情な男を斬る機会が高まる。統率された軍や精鋭揃いの騎士団に素人が対抗するには、質より量が重要だ。腹心は、わずかでいい。
主力部隊さえ突破して、目的を達成できれば、王都の民が恐慌を来して、軍の権威が失墜しようが、構うところではなかった。あとは、あの憐れな若造が、気の済むようにすればいい。
開け放たれて、薄絹の掛け布のそよぐ窓を振り見る。刻一刻と進む時を思って、薄く笑みを浮かべた。
*
巨大な獣が、獰猛に吠えている。今にも喰い千切られそうな、危うい気配。
逃げなければと駆け出そうとして、足元の金属音にはっとする。いつの間にか、重く冷たい枷が嵌められていた。
外そうとして、小さな女の子が、隣に佇んでいると気づく。碧色の瞳が、不安そうに揺れている。
――大丈夫。俺が、絶対に守るから。
抱き締めて、金褐色の髪を撫でる。
愛らしく、いとおしい笑顔。背後に、重く低く唸る声。助けて、と叫びそうになって、手で口を押さえる。
誰にも知られてはいけない。この枷も。巨大な獣が、何者であるかも。
涙で視界が滲んでいく。耐えきれず、心の中で悲鳴を上げる。
――嫌だッ……誰か、助けてっ……!
叫ぶ声で目が覚める。
年季の入った、濃茶の木目。荒い呼吸に喘ぎながら、手の甲で、涙を拭う。みじめな思いが、胸を食む。このまま布団にくるまって、ぼんやりしていたいと、弱った心が泣きじゃくる。
アメリアが立太子するまで、あと一年余り。誓いを立ててから時折見ていた悪夢の間隔が、狭くなってきている。もう時がないのだと、焦燥感と苦悶が、心を苛んだ。
なんとか気力を絞って、傍らの棚に置いた時計に、手を伸ばす。
起床にはまだ少し早いが、寝直すには遅かった。緩慢に身を起こすと、布団を寝台の端に畳んで、支度を始めた。
店に入ると、鮮やかな色彩が、目に飛び込んでくる。綿や絹、毛織と、様々な質感の生地が、所狭しと壁にかけられている。
精緻に刺繍されたもの。模様が丹念に織り込まれたもの。特殊な技法で染められたもの。
ただ眺めているだけで楽しい光景。いつ訪れても、心が弾む。
扉につけられた鈴の音を聴きつけて、奥から青年が現れる。両腕に抱えた布の束越しに、温和な声で挨拶する。
「いらっしゃいませ、コールマンさん。ご依頼いただいたお品の受け取りですね」
店の隅の、大きな木製の卓に束を置いて、ちょっと待っててください、と、また奥に引っ込む。
しばらくすると、油紙の包みを持ってきた。
「――お待たせしました。ご確認ください」
店の中央の小さな卓に置いて、紙を広げる。
絹地の、引き裾付きの上衣と幅広の帯。深い緑が、初秋の柔らかな光に、艶やかな色を放つ。絹糸で、精緻な刺繍が施された帯は、鮮烈な色彩が目に楽しい。
想像以上の出来映えに、感嘆の声を上げる。
「――まあ、なんて素敵なの!」
「ご満足いただけたようで、何よりです」
柔和な笑顔。黄みの差した浅緑の瞳が、昼下がりの淡い光に煌めく。微笑んで礼を言うと、にっこりと、笑みが深くなった。
「それから、こちらは店からです」
隣の小包が開かれ、中から襟巻きが現れる。
見たことがないほど、軽やかで柔らかな質感。思わず、じっと眺めてしまう。
「東の山岳地帯でしか採れない、貴重な獣の毛を使った織物でつくりました。ささやかですが、お誕生日のお祝いです」
産地と獣の名を尋ねて驚く。噂で耳にしたことはあったが、まさか本当に実在したとは。
ほんわりと空気を纏った、上品な色合い。
後学のためにも、触ってみたくてうずうずするが、わずかな手垢でも、質を損なうことがある。しかも、祝いの品だとしても、あまりに高価だ。
浅緑の瞳を窺いながら、そっと尋ねる。
「そんな貴重なものなのに……いいんですか?」
「実は――店で扱おうと思って、見本を取り寄せたんですが……どうにも採算が合わなくてですね。布地のまま放っておくのも、もったいないですから」
言いながら、淡く苦笑する。それでも戸惑っていると、柔らかい笑みが、優しく語る。
「価値のわかる方に、持っていただくのが一番です。どうぞ、受け取ってください」
厚意に、温かな気持ちが胸に広がる。諦めず、学んできてよかったと、心から思った。
そっと取り上げて、押し頂く。予想以上の柔らかさ。空気のように軽い質感ながら、ほかほかと、暖かさが伝わってくる。
貧血になりやすく、冷えに悩まされている身には、本当に有難い品だった。
「ありがとうございます。大切にします」
穏やかな、優しい笑顔が応える。
一度包みに戻して、注文した品と一緒にまとめてもらう。いつになく幸せな気持ちで、代金を支払った。
一番館の居住区に繋がる裏口。同行して運んでもらった包みを受け取って、礼を言う。
挨拶して、中に入ろうとしたところを呼び止められて、振り返る。
「あの、もしよかったら、夕方に食事でもいかがでしょう。いいお店を見つけたので……」
ためらいの滲む言葉。
妻を早くに亡くしたこの青年が、自分に好意を
逡巡するものの、少しだけ心が動いた。務めなく、ただ楽しく話す時間が欲しかった。
微笑んで答える。
「ええ、もちろんです。どちらで、お待ちすればいいでしょう?」
浅緑の瞳が、純粋な喜びに煌めく。黄みの差した優しい色。弾んだ声で、場所と時間が告げられる。
人目は多くないものの開けた場所と、日が落ちる前の早めの時間。細やかな心配りが見えて、温かな気持ちになる。
食事自体は咎められることではないが、あくまで自分は、主家の子息の〈奥方〉だ。ある程度の慎みは必要である。そして、勤務が始まる前に食事が済む、時間設定。マニュルムの商人ならではの気遣いだった。
改めて挨拶を交わして別れると、楽しみな気持ちで、館に入った。
夜の戸張が下りる頃。入浴してさっぱりした肌に、新しい下着をつける。絹の表地に、美しい刺繍が施された、上等な品。
肩紐をかけ、前の金具を留めていく。最後に、かがんで胸を手で寄せれば、谷に陰影が生まれる。
身を起こして鏡で確認する度に、せめてもう少し豊かだったらと、思ってしまう。
近傍系や遠傍系の嫡子も受け持つようになってから、男の好みというのは、千差万別だと知った。
自分のように、ほっそりとした女がいい、という〈主人〉もいる。ただ、おそらく物足りなく思っていると、感じる時もあった。
皆、節度ある〈主人〉だから、態度には出さないものの、触れ方で、ある程度好みはわかる。
そして、フェリックスは、豊かな方が好きなのだ。それでも、体型を気にすれば、そのままでいいと、言ってくれる。優しく囁く、低い声。恋しさが、沸々と湧いてくる。
(今夜、来てくれるかしら……)
床につく丈の長い内着を、頭から被る。通常は、脛丈の肌着の上に重ねるが、務めの衣に、実用性は必要ない。長袖の上衣を重ねて、飾り帯の金具を留める。大きく開いた胸元は、〈仮初めの奥方〉ならではの型だった。
鏡に映る、真新しい上衣。肌を、より白く際立たせる、深い緑。後方に向かって広がる引き裾が、細い腰を、優美に見せている。
普段は、これほど刺繍の入った豪奢な衣は着られない。裾も、これほど長くは取らない。
襟ぐりが極端に深いところ以外は、六貴族の息女と同等の質。美しい衣装を纏える喜びは、務めのつらさを、いくぶん慰めた。
踊るように回ってみる。長い裾が、ふわりと軽やかに舞って、緩やかに落ちる。美しい様に、胸が弾んだ。
紺青の瞳が心に浮かぶ。衣服には無頓着だから、言わないと気づかない。それでも、よく似合っているな、と微笑む顔が好きだった。
窓辺に寄り、下弦の月を仰ぐ。
指先で、右目、左目、唇、胸と触れる。最後に、淡く手を合わせて祈った。神を讃える
(どうか、今夜会えますように。心を波立たせるようなことが、起きていませんように)
静かに輝く月を見て、贅沢を言ったかもしれないと、少し不安になる。
それでも、神は自分を生み出してくれた尊い親だ。きっと慈しんでくれる。きっと、優しく穏やかな時を連れてきてくれるはず。
少年の時期が過ぎて、力任せに、ということはなくなったが、冷酷な時の責め苦は、やはりつらいものだった。
恥辱を煽られて、心を追い込まれる。求めを察して行動すれば、ふしだらな自分の姿に、嫌悪が募った。
巧妙な、静かな暴力。少年らしい鬱屈よりも、暗く陰惨な愉しみで、嬲られるのだ。
明確な原因はわからないものの、優しい心を歪ませる何かがあるのだと、感じていた。その苦痛を吐き出す捌け口。穏やかな時との落差は、傷の根深さを、強く意識させた。
(私が受け止めることで、少しでも癒えるなら……)
心に、ひびの入る音がする。
本当は、行為なんてしたくないのに。身体はどうして、あれほどに反応するのか。
扉に手をかける。今夜は、誰が来るのだろう。会いたいという思いと、言いようのない恐怖が、ない交ぜになる。
深く呼吸すると、意を決して部屋を出た。
控え室で、仲のいい同輩と談笑していると、名を呼ばれた。
小窓から、そっと覗いて、色めき立つ。直系嫡子のための部屋に続く、前室に入って待つ。
ややして扉が開き、その端正な顔を見た途端、思わず後ずさった。
逃れようもなく、手首をきつく掴まれる。そして、引きずられるようにして、部屋へと入った。
「あの男は誰だ」
扉を閉めて開口一番、静かな、しかし低く轟く声が降ってくる。何のことかわからず、困惑していると、言葉が重ねられる。
「先週の夕方、茶色の髪の男といただろう」
記憶をたどる。
先週といえば、衣装店の息子と食事をした。確かに、あの界隈は、食堂や酒場が密集しているが、主家の子息が利用するような高級料理店はないはず――。
そこまで思い至って、はっとする。もし、職務明けの酒宴だったら。大人数で、気軽に楽しむような会だったら。
さーっと、血の気が引いていく。思わず顔をそむける。しかし、顎を掴まれて、上向かせられる。
怒りに燃え立つ紺青の瞳。恐ろしさに、息が詰まった。
「どういう関係なんだ」
「よく行く衣装店の店主の息子さんよ。誕生日のお祝いにって、食事に誘ってくれたの」
どうにか平静な調子で答える。動揺すれば、疑いが深まる。
訝しむように、瞳が眇まった。
「……それだけか?」
紺青を、真っ直ぐ見つめて頷く。
もし、この詰問が、自分を恋慕っての嫉妬だったら、どんなにいいか。そんな空しい期待を砕くように、問いが発せられる。
「君は、俺の〈何〉だ」
手首を掴む武骨な手に、力がこめられる。痛いと、声を上げそうになって、息を飲み込む。そして、ゆっくりと、言葉を出した。
「私は、あなたの〈奥方〉――あなたは、一番の大切な〈主人〉……」
「それなら証明しろ」
冷酷な声。するりと手が離れる。
何をすべきか悟って、おもむろに膝をつく。膝上丈の上衣をたくし上げて、ベルトに挟む。そして、下衣の紐に手を伸ばして、ほどいていった。
白い手が、根元をやわく握り、美しい顔が、漆黒の茂みに近づいていく。その光景を眺めて、暗い高揚感に、薄く笑みがこぼれる。
トリーナは、男を咥えるのを嫌っていた。主家の息女は、もちろんこんな行為はしない。〈主人〉と〈奥方〉という建前では、説明できない技。
身の上を自覚するのが嫌なのだろう。月が満ちて、〈奉仕〉を行う時以外は、決して進んでやらなかった。だからある意味、平時にさせること自体が、罰だった。
長い金茶色の髪を一束掴み、手遊びに
「そんな顔をするわりに、本当に美味しそうに咥えるよな」
息を呑む声。美しい顔が辱しめに歪む。それでも、手も口も止めない。むしろ、嫌悪を示していたことを否定するかのように、屹立したそれに頬ずりし、熱心に舐めて含んだ。
細い腰が浮いて、妖しく揺らめいている。喉で、低く嗤う。
「そろそろ、欲しいんじゃないのか」
咥えたまま、翠緑の瞳が見上げる。その、深い谷底の虚ろさ。
口を離すと、唾液が糸を引いて垂れていく。そして、深い緑の上衣に、ひとつ、しみをつくった。
はっとした表情。それから、留め具に手をかけようとする。すかさず、強い口調で命じる。
「だめだ。もう、準備はできているだろう」
何かを言おうとして、紅色の薄い唇が震える。
衣服に関心がなくてもわかるほどに、上等な品。真新しい、おそらく奮発して仕立てたであろうそれを着たまま、受け入れる。
さすがにやりすぎだ、という声が閃く。
しかし、心が砕けて落ちていく美しい顔を見た瞬間、塵となって掻き消えた。
涙を飲み込んで、震える白い喉。おもむろに、寝台の方を向いて、自ら引き裾と内着をまくり上げた。下着の紐が解かれて下ろされる。
鮮烈な紅色を眺めながら、ベルトを外して、上衣を脱ぐ。長袖の丈の短い内着はそのままに、下衣と下着から、足を引き抜いた。
細い腰を掴んで、擦りつけながら低く囁く。
「咥えただけで、こんなになるなんてな。――ほら、よく聴くといい。君が欲しがっている音だ」
わざとよく鳴るように、腰を動かす。粘り気のある水音が、静寂に響く。
ほんの微かに――いや、という涙声が聞こえたあと、濡れて喘ぐ声が溢れ出した。
細い身体が強く跳ね、淡く痙攣する。それから、ふっと糸が切れたように弛緩して、目の前の寝台に倒れ伏した。
余韻に浸る、艶やかな喘ぎ。涙をこらえるためだと、知っていた。しかし、容赦なく宛がう。自分の身が、美しい肢体を侵食していく眺めを堪能する。
あっさり入ったことを揶揄すれば、淫靡な囁きが返ってくる。振り返って、翠緑の瞳が潤んでねだる。
その奥底の、砕け散った心。あえて敏感な箇所を、じっくりと責める。
本心とは裏腹に、乱れて落ちていく媚態。暗い昂りの中で、絶頂へと追い詰める時を愉んだ。
熱い溜め息をつきながら、ゆっくりと身を離す。
糸を引く、混ざり合った体液。濡れそぼった紅色に垂れ落ちる光景に、この女は自分のものだと、深い実感が湧く。
数えきれないほど、穿ち注いできたのだ。他の男になど、渡すものか。
細く伸びやかな身体を抱え上げ、寝台に、仰向けに横たえる。平靴を取り、短靴とともに放る。内着と肌着を脱いで、再び押し入った。
上気した頬に残る、涙の跡。一瞬、拒絶するように息を詰める、白い喉。
約束を守るふりをしながら、それでもこらえきれずに嫌悪する姿に、暗い愉悦が湧き上がる。先端まで入ったところを、一気に貫いた。
「――っいやあ!」
細い肢体がのけ反り、悲鳴が白い喉を裂く。
冷たく見下ろすと、はっとして口を塞いだ。怯えた美しい顔。翠緑の瞳が、涙で滲む。
「ち、違うの! 少し驚いただけっ……嫌なんて、思っていないわ……!」
「……言ったはずだ。約束を守れないなら、〈離縁〉すると」
冷酷に告げる。細い身体が、小刻みに震え出す。
「お願い……本当に違うのよ……あなたが一番だもの……信じて、お願いっ……」
美しい瞳に涙を溜め、こぼさないよう飲み込む。
嫌がる心で受け止めながら、哀願する様。薄く、暗い笑みが広がる。澱んだ悦楽が、ぞくぞくと背筋を這った。喉から低く、嗤い声が漏れる。
「信じてほしいなら、行動で示さないとな」
息を詰める声。翠緑の瞳が一瞬逸れ、じっと見つめてくる。冷淡な色で返す。
白い手が、上衣の留め具を外し、内着の紐をほどいて開いていく。下着を解けば、柔らかな胸が露になった。自ら触れて弄う。
そして、足を寝台につけると、おもむろに腰を動かし始めた。
「あなたので、たくさん満たして――フェリックス。あなたのが、欲しいの……」
淫らに喘ぎながら、妖しく揺らめく媚態を堪能する。
その、虚ろな美しい顔。砕けて壊れた心。艶やかな声が、紅色の唇からこぼれる。
「お願い、ちょうだい……あなたの熱いの……たくさん、注いで――」
胸を弄う白い手を取り、掌に口づける。その手を頬に宛がい、包み込むように、手を重ねる。翠緑の瞳を真っ直ぐ見つめて、優しい声音で囁いた。
「……約束、守れるな?」
「あなたは、私の大切な一番の〈主人〉――あなたを、私に刻みつけて……ずっと、あなたのものだと印をつけて……」
熱く震える吐息。淫らに潤む、翠緑の瞳。
しかし、奥底には、苛烈な恐怖で怯える色が揺れていた。圧倒的な支配を認めて、暗い愉悦に打ち震える。
寝台に手をつき、柔らかに微笑む。
「そうだ。君は、俺のものだ。――忘れるなよ」
指を絡めて、片手を繋ぐ。まるで褒美を与えるかのように、抱き締めて、優しく触れた。
淡い期待を誘われて、甘く濡れていく翠緑の瞳。次第に熟れて、快楽が増していく。
頃合いを感じると、手を離して、身を起こした。膝裏を押さえて下肢を開き、緩慢に引き抜く。
事態を察して、一気に恐怖に染まる美しい顔。寸前で止めて、奥まで一気に貫いた。
「――ッ!」
声にならない悲鳴が、薄闇を切り裂く。弱い箇所を狙いながら、容赦なく穿つ。
喘ぎとも呻きともつかない声。翠緑の瞳が、苛烈な恐怖と苦痛に濡れる。耐えようと握り締めた枕が、おかしな形に歪む。美しい女を犯す高揚感に溺れていく。
奥を抉るように、激しく打ちつけた。許しを乞う叫びが、部屋中にこだまする。
一際強く穿つと同時に、これまでにないほど、きつく締め上げる感覚が襲う。激甚な痺れが全身を突き上げ、意識が弾ける。
強烈な解放感。肩で息をしながら、弛緩して溶けた、細く伸びやかな媚態を眺める。
艶やかで淫靡な陶酔と、乱暴に荒らされたのに達したことへの絶望。相反する感情を宿した、美しい顔。胸と下肢だけを晒して乱れた、上等な衣。
酷く煽情的で、背徳感を覚える光景に、暗い笑みがこぼれる。いたぶるように、身は離さずに抱き締めて、甘く囁く。
「……トリーナ……」
背中に細い腕が回されて、しがみつく感触。憐れなほど、小刻みに震えている。涙を飲み込む声。
紅色の薄い唇を、優しくついばんで見つめる。翠緑の瞳に灯る、恋慕う色。空しく淡い期待。柔らかく微笑んで、応えてやる。安堵した笑顔。おもむろに、うとうとと微睡み出す。
その、穏やかに潤む瞳。
途端、激烈な怒りが引いていき、理性が、胸を抉りながら戻ってくる。強い後悔に、息が詰まった。
ゆっくりと身を離すと、びくりと身体が跳ねて、はっと目が見開かれる。
おののいて、震える声が告げる。
「あ……ごめんなさい……私――」
「……もう、十分だよ。着替えないと」
寝台の傍らの低い棚。その上に置かれた、灯りのつまみをひねる。油がゆっくりと染み出し、視界が少し明瞭になる。
案の定、蒼白な顔がそこにあった。鋭い罪悪感が、胸を突き刺す。
目を逸らして、引き出しから、ちり紙を数枚取る。多めに渡し、残りで自らを拭いて、屑籠に放った。
下着を拾い上げて履き、低い卓の上に用意された寝巻きを着る。もう一方の、女物の下着と寝巻きを持って、寝台に座った。
起き上がれるか、問おうとして見遣った先。丸めたちり紙を手にしたまま、茫然とする姿があった。
――強いられて、犯されたあとの、その姿。
罪から目をそむけるように、ちり紙を取って捨てる。下着を履かせて、ゆっくりと抱え上げた。
「……眩暈は?」
「大丈夫よ……少し、ふらふらするだけ……」
か細く、頼りなげな声。つらそうに寄る眉根。
頭を揺らさないように気をつけながら、上衣と内着を脱がして、胸覆いも取る。寝巻きを被せて横たえ、柔らかく抱き寄せる。布団をかけると、額に口づけた。
「……おやすみ」
「おやすみなさい――……」
安堵した微笑みとともに、すぐに静かな寝息が聞こえ始める。
その美しく儚げな顔を見つめながら、胸の内で、己の罪を懺悔した。
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