支配の連鎖②

落ち葉が、冷たく乾いた風に吹き飛ばされる頃。新しい侍女が、挨拶にやってきた。

本に栞を挟んで卓に置き、侍女頭に紹介されて、優美に礼をする少女を仰ぐ。頼りなげな、か細い声が挨拶する。

「お初に御目にかかります、殿下。コンシリウム家次代当主が家人、テレジア・クラーラ・コンシリウムでございます。未熟者ではございますが、御心安くお過ごしいただけますよう、心よりお仕え申し上げます」

「よろしく頼むわね、テレジア」

微笑んで答える。

先月下賜されたばかりだというから、歳はひとつしか違わないのだ。王女付きの侍女の多くは歳が離れていたから、自然と心が弾む。主従である以上、友人とはいかないまでも、同じ年頃の話し相手ができるのは、素直に嬉しかった。

「ねえ、せっかく従姉妹で歳も近いんだもの。たくさん、お話できたらうれしいわ」

「誠に光栄な御言葉。有難く存じます」

顔を上げて、薄く微笑む、藍色の瞳。その硝子玉のような様に、はっとする。

母と同じ――人として、あるべき何かが壊れた景色。そこに、ただ冷たい侮蔑だけが宿っている。

〈暁の家人〉とはいえ、血筋は、王妹を母に持つ王族なのだ。〈暁の家人〉の娘で、本来なら、従家の下女になるべき自分を王女と仰いで仕えるなど、業腹だろう。弾んでいた気持ちが、さらさらと消え失せていく。

そっと、藍色から視線を外す。眉間に視点を置いて、笑顔は保ったまま言葉を紡ぐ。

「せっかくだから、あなたの話が聴きたいわ。――ねえ、いいでしょう?」

侍女頭を振り見て尋ねる。わずかでしたら、との返答。テレジアに対面を勧める。優美な所作で、ソファに腰を下ろした。

肉つきの薄い、陶製の人形のような、可憐であえやかな姿。小さな顔が、そっと微笑む。

「何をお話しいたしましょう?」

「そうね――趣味は? わたし、刺繍が好きなの」

ほんの微かに、テレジアの細い眉が寄る。

本来、刺繍のような手仕事は、王女のすることではない。不快に思うだろうとはわかっていたものの、読書は分野が幅広いから、取っかかりとして最適とはいえない。きっかけさえ掴めば、あとは広げるだけだ。

蔑みの気持ちを持つのはどうしようもない。ただせめて、人となりを知って、日々をうまく過ごしたかった。

考えるように、ゆっくりと小首を傾げてから、可憐な顔に、困った色の笑みが広がる。

「……申し訳ございません。刺繍は、あまり……」

意外な返答に瞬く。

刺繍は、六貴族の息女の嗜みだ。〈暁の家人〉なら、日々の仕事の合間にやるものである。理由を尋ねようとして、ふと、不安に駆られる。

カンチェラリウス家は、中背の痩躯が多い。それを加味しても、テレジアは、違和感を覚えるほど細かった。時折まばたきをしなければ、精巧な人形だと勘違いしてしまうだろう。

可憐であえやかな人形。心を病んだ母に似た、硝子玉の瞳。真昼の民に最も差別的で、〈暁の家人〉を一族の恥と厭う家。

「憐れだと、お思いにならないでください」

強い口調に、はっとする。

あくまでも微笑んだ顔。しかし、藍色の瞳には、怒りの炎が揺らめいていた。

「私には、ずっと次代様がいてくださいました。家の事を終わらせると、必ず誉めてくれる――優しい兄です」

兄、という言葉を口にした途端、急激に表情が変わる。

崇めるような、恍惚とした色。清純で、可憐な顔に浮かぶ微笑み。穏やかならぬ何かを感じて、無意識に身体を引いて、上衣の裾を握る。

「一日中働いても、誰にも顧みられない端女はしための私を、兄は可愛がってくださいました。毎夜、隣にいてくださって――どんなに心強く、幸せだったことでしょう……」

脚を擦り合わせて、座り直す姿。話の内容に頷きかけて、はたと固まる。

毎夜とはどういうことか。服を脱げ、と嗤う声が、頭に響く。声変わり前の甲高い声。気づいてはいけない違和感の正体に、心がざわめく。

「……ユリウスは、優しいものね。長妹のあなたなら、なおさら可愛くてしょうがないでしょう」

何とか絞り出す。少し声が震えた気がするが、とにかく早く会話を終わらせたかった。

「ええ、本当に兄は優しくて。兄から頂く愛が、私の心の支えでございますの」

清純な顔に、幸福に満ちた微笑みが広がる。白い頬が紅潮し、野原に咲く可憐な花そのものだった。

「頼れる家族がいるなんて、幸せなことね。……うらやましいわ」

「はい……」

喜びに潤む、表情のない藍色の硝子玉。人として大切なものを壊されたその様を、ただ声もなく見つめる。

長いような、わずかな間。隅に控えていた侍女頭が歩み寄り、そろそろと、時を告げる。

挨拶をして腰を上げるテレジアに応じて、後ろ姿を見送る。居室を辞す扉の音に安堵して、溜め息をついた。

気づかないうちに、きつく身を縮めていたらしく、首と肩のあたりが痛い。そっと、頭を左右それぞれに傾けてほぐす。

本当は、腕をぐるぐる回したかったが、もう子供ではないのだ。居室であろうと、はしたない真似はしないと決めていた。

ちらりと、対面のソファの少し後方に控えるアドルフを見遣る。視線を感じて、すぐに困った顔になる。

「殿下。御気持ちはわかりますが、確証を得られたところで、何の得にもなりません」

若緑の瞳が、微かに不快の色を灯す。質問しようとした内容を反芻して、心から謝る。

「そうね……ごめんなさい。あなたにも妹君にも、失礼だったわ」

「御気になさらなくてよろしいんですよ、殿下。これは、子供の頃の可愛い話をしたくないだけですから」

斜め後ろから声が降ってきて、振り仰ぐ。

彫りの深い顔に浮かぶ、人の悪い笑み。アドルフの慌てた声が飛ぶ。

「え、ちょっと、それどういうことですか、団長⁉」

「アドルフ。殿下の御前だぞ」

ぴしりと厳しい語気に、ぐっと詰まる。もどかしそうな面立ち。

笑ってはいけないと思いながらも、つい吹き出して乗ってしまう。

「ねえ、どんな話なの?」

「嵐の夜――心配して、夫婦で子供達の部屋を見回っていると、アドルフもルチナもいなくて、慌ててエルドウィンの部屋に行ったら、三人仲よく寝ていたとか。なんでも、雷が苦手なアドルフが、ルチナの部屋に行って、手を繋いで励まし合いながら、エルドウィンに泣きついたそうですよ」

本当に可愛くて、微笑ましい話に顔が綻ぶ。ヘンリクスが、にやりと笑み、再び口を開こうとする。が、

「団長。本当にお願いですから、それだけにしてください。そもそも、どうしてそんな大昔の話を知ってるんですか」

と、アドルフが遮る。

ほんのりと朱に染まった、秀麗な顔。もう少しいろいろ聴きたかったが、気恥ずかしいのはよくわかったから、おとなしく成り行きを見守る。

「酒が入ると、家族の話しかしないからな。ずっと、惚気と親馬鹿だぞ。この前なんか、アドルフが叙任するから前祝いだ、とか言って、上機嫌で一番高い酒を開けていたしな」

物腰は柔らかながら、淡々と職務をこなすブラッツ。主従の線引きをきっちりして、立ち入らない潔癖な印象が強いから、意外な一面に瞬く。

「……父が……そんなことを……」

アドルフの声が、ぽつりと落ちる。悲しさとも苦しさともつかない、複雑な表情。若緑の瞳が、ほんのわずかに滲んで揺れる。

戸惑っていると、柔らかな低い声が語る。

「殿下。家族にも、いろいろございます。たとえ、どんなに間違っていたとしても、本人達には正しい、ということもある。他者の介入が、幸せとは限りません」

「ヘンリクス……でも――」

言いようのない不安が、心を覆う。

兄妹の間で何が起きているのか、考えたくもないが、あれほどユリウスに心酔しているのだ。何かよくないことを運んできそうで、怖かった。

彫りの深い顔が、意を汲んで、しっかりと頷く。流れるように傍らに跪き、薄青の双眸が、強い光を宿す。

「我々がいるからには、御懸念は杞憂に終わると、お約束いたします。フェリックス同様、あの日の誓いを、忘れたことはございません」

するりと、跪く衣擦れの音。振り見れば、アドルフが対面のソファの傍らで、こうべを垂れていた。

「私も、来月には叙任する身。決意を新たに、お仕え申し上げる所存でございます」

強く、しかし温かな声。守られているのだという安心感が、全身を満たす。穏やかな気持ちで微笑む。

「ありがとう、二人とも。わたしは幸せね」

彫りの深い顔と秀麗な顔に、温かな笑みが広がる。薄青の瞳と若緑の瞳。

紺青の、深く優しい色が、心に浮かぶ。ぽつりと、言葉がこぼれた。

「……早く、会いたい……」

「もう日が暮れます。夕食を召し上がって、お寝みになられたら、すぐですよ」

低い声が返ってきて、はっとする。いつの間にか、心が漏れ出ていたらしい。火照っていく顔を繕うように、少し膨れっ面で答える。

「……もう、そこまで拾わなくていいわ」

人の悪い笑みを残して、ヘンリクスが立ち上がる。アドルフも元の配置に戻ると、楽しげな笑顔を浮かべた。

気恥ずかしさを誤魔化すように、本に手を伸ばして、続きを読み始めた。


扉が開き、侍女服の少女が現れる。

尊大な様でソファに座る、次代当主の前に立つと、何のためらいもなく、服を脱いでいく。そして、一糸纏わぬ裸体で膝をついて、ぬかづいた。

「ご無沙汰しており、誠に申し訳ございません。次代様におかれましては、ご機嫌麗しゅうございますこと、心よりお慶び申し上げます」

「久しぶりだね、テレジア。初出仕は、どうだったかな?」

次代当主が、優しく声をかける。少女の怒りに震える声が、板張りの床に、くぐもって響く。

「……屈辱以外の、何物でもございませんでした。あんなっ……あんな下女風情と、親しく言葉を交わすなど――」

はたと気づいたかのように、声が途切れる。畏れて身を縮め、それでも打ち震えながら、涙声が訴える。

「私は家の恥。卑賎の身でございますことは、重々承知しております。しかしながら、カンチェラリウス家の息女としての誇りを失ったわけではございません。それなのにっ……」

「わかってるよ。お前は、子供の頃から、きちんと弁えのある子だからね」

とんとんと、短靴の爪先が床を叩く。少女が応じて、顔を上げる。小さな顔の中で、涙に濡れた藍色の瞳が、際立って輝く。次代当主が苦笑しながら、優しく告げる。

「来年には、立太子式が行われてしまうというのに、父上は何もなさらない。僕としても、腹立たしくて仕方ないよ。せめてお前が――主人の元で、幸せになってくれればね」

問いかけるように、群青が藍色を見つめる。途端、大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。

「……ご主人様は、私を愛してはくださいませんでした……」

あえやかな顔が悲しみに歪み、力なく崩れて、再び額づく。しゃくり上げながら、悲泣の声が語る。

「お前がいると家が壊れる、と仰って……それで出仕を――私は、ずっと一人きりで……」

「それは寂しかったね。父親のことがあるから、つらく当たってしまうんだろう。わかってあげるんだよ」

優しい声が諭し、短靴が床を叩く。

心の引き裂かれた、憐れな顔。次代当主が、柔らかに微笑んで告げた。

「二週間、我慢したご褒美をあげなくてはね。可愛い妹の初出仕だ。お祝いも、たくさんしてあげよう」

そして、ソファの背もたれの隙間に隠しておいたものを、床に転がした。

返しの彫られた、太く長い木の棒。少女の目の色が喜色に染まり、許しを求めるように、群青の瞳を見つめる。次代当主の淡白な顔に、優しく歪んだ笑みが宿る。

「ご褒美とお祝い――だからね、テレジア」

「ああ、お兄様……」

妹が、恍惚とした表情で、兄の脚に擦り寄る。そして、喜びに打ち震えた声で囁いた。

「ご覧になってくださいまし――私の……愛の場所を……」

背を向けて、膝を立てたまま額づく。

突き出された小さな尻を撫でながら、群青の瞳が、舐めるように眺める。

「こんなにして……可哀想に。一人じゃ、物足りなかったね」

「愛をうずめていただけない夜が続いて……気が狂いそうでした……もう、寂しくて……」

握った棒を小さな舌で舐める、あえやかで可憐な顔。平らかな腰が、焦れるように揺らめく。

「今日、お兄様にお会いできると思ったら、私……」

藍色の瞳が涙に濡れ、震えた吐息の中で、告白する。

「お兄様の愛で……テレジアを埋めてくださいまし。たっぷりと、愛で満たしてくださいまし……」

「もちろんだよ、可愛いテレジア。よく我慢した弁えのある子には、たくさん愛をあげないとね」

尻を撫でる兄の手が中心に向かい、指が妹の形をなぞる。粘る水音とともに、嬌声が高く上がり、肉つきの薄い肢体が痙攣する。

唾液にまみれた棒を夢中でしゃぶる、恍惚とした表情。子供の頃に、至高の愛だと教え込まれた刺激に身悶えながら、歓喜の声を上げる。

「ああ、お兄様っ……お慕いしております! 卑賎な私を愛してくださるのは、お兄様だけ――ああっ、お兄様あっ!」

「そうだよ、テレジア。こんなに可愛くていい子を、僕は見捨てたりしないからね」

とめどなく垂れ落ちる、透明な液。指ですくって妹を虐めながら、兄が優しく語りかける。

喜悦を灯した群青の瞳。そこに映るのは、歪んだ幸福に狂い泣く玩具だった。

祝いだと口をつけてすすれば、感謝に涙し、褒美だと許せば、歓喜して、腰を振って擦りつける。普段の、自らを慰める姿を鑑賞されることすら喜び、触れてほしいと、必死に機嫌を取る。そういう遊び道具だった。

夕闇に沈む部屋の中、ただただ狂った嬌声が響く。

遊びは、玩具が壊れても、兄が飽きるまで続いた。


年の暮れの凍える黄昏時、執務室の扉を、静かに叩く音が聞こえた。はい、と返事をすると、馴染んだ柔らかな声が、名を告げる。

機密を含む書類を片付けてから、扉を引き開ける。ふくよかな姿が、優雅に佇んでいた。

「アリーセ。呼び立てて悪かったね」

「ご主人様のお呼びでしたら、喜んでお伺いしますわ」

にこにこと、円かな面立ちが微笑む。ここは冷えるからと中に促して、ソファを勧める。

事前に、小型の移動式暖炉で沸かしておいた湯で茶を淹れて、茶器に注ぐ。立ち上る花の、優しく甘い香り。受け皿を卓に滑らせて渡すと、

「恐れ入ります」

と礼をして、口をつけた。

ふくよかな白い頬に、赤みが差す。ほっと息をつく様子に、安堵する。

侍女の控え室には暖炉がない。代わりに、アメリアの居室の暖炉から、銅の管を引いて、その熱で部屋を暖めている。

しかし、熱源が居室用の暖炉のため、その効果は、何もないよりはまし、といった程度だ。特に、女人は冷えやすいから、真冬の寒さはこたえる。

わざわざ王殿から、フォルティス家の館にある従家当主の執務室に呼びつけたのは、これから話す内容もあるが、この献身的な家人に、せめていっときでも暖まってほしかったからだった。

鼻に抜ける香りを味わい、口を湿して尋ねる。

「それで、様子はどうだい?」

アリーセのふくよかな顔が、困ったような微苦笑を浮かべる。ためらうように、言葉を切りつつ答えた。

「殿下の御前では、特に目立った言動はありませんが――遠方に行ったきり、なかなか戻ってこないことが、度々……」

途端、さっと円かな頬に、赤みが差す。口元に柔らかな手を当てて、小さな声で語る。

「先日、様子を見に行きましたら、扉の向こうから……その、閨事の声が……出てくるよう叱って、扉を叩いたのですが――」

「……相手は?」

静かに、首が振られる。羞恥に、丸い藍色の瞳が潤む。

「一人……でした……」

いよいよもって驚く。

男は、集団生活に障りの出ないよう、騎士見習いとして入舎する時に教えるが、女にも、自ら触る習慣があるとは。

唖然としつつ、実情を知らないので、目顔でそっと説明を促す。もう、日はほとんど暮れている。話す分には、支障のない時間だ。

「……普通は――もちろん、一人寝の時にするものです。務めに支障をきたすほどとなると、尋常ではありません」

もっともだと苦笑する。驚いて、特別に考えてしまったが、当たり前のことである。

「それで、先日ご共有いただいた事項から、宰相の次代様が関わっているのではと思い、務め終わりに、あとをつけてみたのです。そうしたら、執務室から――」

「声が、同じように……?」

円かな顔が頷く。

挙動が不審だからと監視を頼んだが、最も忌むべき事態が起きていた。

血を直に分けた近親同士の交わりは、家庭を淫行により荒らすとして、固く禁じられている。

あくまでも閨事は、神より子を授かるための行為だ。同じ尊い親を持つ子として、あまねくえることこそ孝行であり、快楽の産物を増やすなど、神に悖る大罪である。

大きな溜め息が、ふくよかな唇から落ちる。普段は明るい面立ちが、憂いて曇っていた。

「この前、産務師にかかった時に尋ねてみたのですが、色狂いというものがあるそうです。街娼に多く見られる病で、なりふり構わず求めてしまう、ということでした」

「酒狂いや賭事狂いと、同じ病か」

六貴族と従家の子弟が主体の騎士団には、稀にしか見られない。しかし、平民が多くを占める軍では、度々問題になる。

もともと、家を継げない長男以外の男子や、貧しい者達の働き口としての側面があるから、雑多な層が集まって、そもそもが荒れやすい。

それを、厳しい訓練をもって統率していくわけだが、耐えられない者が一定数いる。そのこぼれ落ちた者達を、商人が狙って、甘い蜜を吸うのだ。

メクラトル家の嫡子のように、違法な賭場で、大金を巻き上げる大事件はそうそうないものの、法の網目をかいくぐった悪質な事案は、決して少なくなかった。

そして、一度病にかかると、回復は困難だ。捕縛された一般兵士を担当する医務師によれば、心の病に対処できる根本的な方法は、まだ研究途上だという。

そんな病に――しかも、色狂いとは。

あのユリウスのことだ。策を弄して、都合よく従うようにしているにちがいない。コンシリウム家の嫡子も、厄介な家人を出仕させてくれたものである。

しかし、頭を抱えていても仕方ない。気を取り直して告げる。

「ありがとう、アリーセ。引き続き頼む」

「承知しました」

優雅に礼をする姿。壁に備えつけの灯りに、藍色の瞳が、柔らかに輝く。

気遣うように、そっと尋ねた。

「身体の方は、大丈夫かい?」

「気持ちが落ち着かない日はありますが、薬草の種類を変えたおかげでしょうか――ここのところは、だいぶよくなりました」

張り詰めていた表情が緩み、円かな顔に、温かみが広がる。その様に、ほっと安堵する。

半年ほど前から、月の巡りの調子が思わしくないと、産務師にかかり始めて以来、ずっとつらそうにしていた。出仕を休むよう勧めたものの、殿下にお仕えしている方が、気が晴れますから、と務めを続けてきたのだ。

侍女頭として生き生きと働く姿は、心を温かくするものだったが、時折どうしても出仕できないほど、体調が優れないところを見るにつけ、心配で仕方なかった。

手を伸ばして、円かな頬に触れる。ふんわりとした、柔らかな感触。微笑んで告げる。

「あまり、無理をしてはいけないよ」

ふくよかな手が重なる。くすぐったそうな、少女のように恥じらう、藍色の瞳。

「ありがとうございます。でも、もう歳ですから」

「だからこそだよ、アリーセ。これから、子供達の結婚や子育てが待っているんだ。君がいなくては、楽しみも半減する。私のためにも、大事にしてくれ」

円かな面立ちが、柔らかく微笑む。歳月を重ねた温かく美しい顔を、いとおしく見つめた。

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