繋ぐ心①

侍女達が、手早く上衣の留め具をかけていく。幅広の絹地の帯を締め、引き裾を整える。

身支度が終わり、静かに離れていくのを確認して、小部屋を出る。廊下の新鮮な空気に、ほっと息をつく。

(もう、本当に面倒なんだから……)

用を足しに行く度に、いつも思う。

女物の衣服は裾が長く、たっぷりと布地が取ってある。男のように、着たままではとてもできない。

特に、王女の着る物となれば、内着全体に刺繍が施されていたり、上衣の引き裾がより長大だったりと、非常に手が込んでいる。

見た目は可愛くて大好きだが、支度の時間が、必然的に長くなる。間に合うよう、気を遣わなければならないのが、嫌だった。

居室に続く細い廊下を、侍女達を伴って歩く。この窓のない薄暗い空間も、気味が悪くて苦手だった。走って抜けたい気持ちをこらえて、しとやかに歩みを進める。

しばらくして、ようやく明るい本通りに出る。

高く細長い窓から、燦々と、午後の日差しが降り注ぐ。春の麗らかな時間。

今日はもう講義がないから、本の続きが読める。弾んだ気持ちで、薄青い空を眺めていると、曲がり角から、一人の少年が現れた。こちらに向かってくる姿に、一気に心が冷える。

「これは殿下。御機嫌、麗わしゅうございます」

にこやかに、痩躯の少年が挨拶する。白々しさに寒気がする。偶然会ったふうだが、警護が離れるこの時を狙って、待ち伏せしていたにちがいない。

「……ユリウス、あなたも元気そうね」

丈の長い付け袖に、震える手を隠して、見えないように内着の袖を握る。声は何とか平静を保てたが、目を合わせるのがつらい。つい、早口に話してしまう。

「こんなところでどうしたのかしら? わたしに、何か用?」

焦りを悟ったのか、群青の瞳に、優越の喜色が浮かぶ。

「殿下とお話しいたしたく、お探し申し上げていたのですよ」

しかし、表面上は、極めて温厚な口ぶりだ。皆、この仮面に騙される。悪辣な本性を知らない侍女達は、特に警戒心をいだくことなく、後ろに控えている。

警護の騎士達の待つ自室に、早く戻りたい一心で、言葉を切り返す。

「……わたし、急いでるの。あとにして」

「どうか、そのように寂しいことを仰らないでください」

まるで、悲劇の主人公であるかのように嘆く。ねっとりと絡みつく声音が、気持ち悪い。恐怖に手の震えが止まらない。

(……もう、いや……)

心が挫けそうになる。それでも、ここで負けたら、また蹴られる。泣いて謝るまで、罵倒され続ける。

なんとか振るい立って口を開こうとし、はっとする。

群青の瞳が、強烈な苛立ちに燃えている。これ以上口答えしたら、ただでは置かないと、その色が語っていた。

目を逸らして俯く。視界が滲む。

「……わかったわ」

声だけは、平静を保って応じる。侍女達に悟られれば、それこそ何があるかわからない。

ユリウスが、満面の笑みを湛える。嬉しさに弾んだ声で言った。

「ああ、なんてお優しい御心でございましょう――誠に感謝申し上げます」

そして、控えている侍女達に、申し訳なさそうに頼んだ。

「殿下と……二人きりで、話したいんだ。わかってくれるね?」

王女と六貴族嫡子の、決して結ばれぬ切ない恋――ユリウスは常日頃、王女付きの侍女達に、そう演出していた。

宰相の嫡子が、まさか王女に暴力を振るっているとは露ほども思わず、侍女達が伺いを立ててくる。こうなったらもう、下がるよう、指示するしかなかった。

侍女達の背中を、虚ろな気持ちで見送る。

その姿が見えなくなると、強く手首を掴まれ、引かれるまま歩き出した。


「警護ご苦労。殿下の御様子は?」

アメリアの居室前の廊下。扉の傍らで、敬礼する部下の近衛騎士に尋ねる。

午後の定時の見回り。レガリス隊隊長を拝命してから、四ヵ月が経つ。初めての長としての職務にも、ようやく慣れてきたように思う。

は、と短く部下が答える。

「ただいま、侍女方と、遠方へ御出掛けされております」

遠方――つまり、用足しに行っているのだ。

経過時間を尋ねて、返答に妙な違和感を覚える。女は時間がかかるものだが、何かが引っかかった。

騎士見習いで習う時は、下の話が面白い年頃で、皆けらけら笑うものだ。

しかし、警護のつかない空白期間は、それだけで危険を伴う。かといって、男である騎士が、のこのこついていくわけにもいかない。時間を計って、様子を見に行くかを判断していた。

(まだ早いが……念のため、向かわせた方がいいか?)

先刻、王妃付きの騎士達を見回った時の記憶。頭の中で、ざらつく何か。

少し逡巡していると、侍女達が戻ってくるのが、目の端をかすめた。頭を巡らせて見遣ると、アメリアの姿がない。

「――君達、殿下は?」

怪訝に問うと、年若い侍女達が、顔を見合わせて微笑む。

「宰相の次代様と、お話しされていらっしゃいます。次代様が、お二人きりになりたいと、仰ったものですから」

本当にお慕いしているのね、と、くすくす笑う。瞬間、頭の中で記憶が閃いた。

壁に背を預けて佇む人影。遠く透かし見て、ユリウスだと気づき、父親の宰相でも待っているのだろうと、そのままにしたのだ。

出仕日に必ず何か起こるわけではないし、自分は対抗できない天敵だ。下手に刺激しない方が無難だと判断した。それが今、仇となった。

(――やられたッ!)

歯噛みすると同時に駆け出す。背後で、部下が戸惑って呼ぶ声がしたが、無視する。

間に合えと、祈るような気持ちで、長い廊下を走り続けた。


どれくらい歩いただろうか。人気のない薄暗い通りで、ようやく立ち止まる。

片側が中庭に面した、回廊の片隅。麗らかな春の陽光が、石組みの壁に、濃い影をつくっていた。

自分より背の高いユリウスの早足についていけず、引かれ続けた腕が痛い。

「僕に口答えするなんて、まだ躾が足りないのか?」

侮蔑に満ちた声が降ってくる。びくりと、身体が跳ねる。石畳の模様が、涙で滲んでいく。

「顔を上げろ」

恐る恐る従う。群青の――父と同じ色の、眼。

「お前は誰か、教えただろ。言ってみろ」

「……わ、わたしは――」

長い年月をかけて、何度も聞かされ、言わされてきた言葉。心を、砕く言葉。

「……陛下の……」

父の声が響く。まだ、小さな子供だった頃。

いつものように、膝に抱えて、頭を撫でてくれた。幸せそうに微笑む声が話す。

――アメリアは、本当に綺麗な漆黒の髪をしているなあ。瞳も、兄上と同じ紺青だ。さすがは私の子。王家にふさわしい嫡子だ。

母は、すでに病んでいた。しかし、その原因をまだ知らなかった。不思議に思って、そのままを口にしてしまった。

――おとうさま? わたしのかみ、漆黒じゃないわ。おめめも、緑と青がまざってて、碧色っていうの。このまえ、アリーセがおしえてくれたのよ。

途端、父が立ち上がって放り出された。

驚いて見上げると、筆舌しがたい形相に出会う。狂乱に猛った怒号が降ってきた。

――違う! 我が娘は、あんなっ!

「陛下の、娘では……っありま、せん……」

あんな卑しい真昼の男の娘などではない――ッ!

「……下賎な――真昼の……娘、です……」

息が苦しい。目の前が明滅して暗い。全身が、がたがた震えて止まらない。

「なんだ、ちゃんと言えるじゃないか。わかってるなら、最初から従えよ」

群青の瞳が、激しい喜悦に歪む。嘲って嗤う声。

心が砂となって、さらさらと流れていく。

「――そうだ」

名案を思いついたように弾んだ声。腰から胸まで、這うような視線を感じる。これまで感じたことのない本能的な寒気が、背筋を駆けていく。

「この前、娼館に行ったんだ」

知らない単語に、言いようのない不安が募る。

逃げ出したいのに、息ができない。身体が、動かない。

「あれは、本当に最高だな。女は腰を掴まれたら、何もできなくなる」

けたけたと、昂った喜悦が、群青の瞳に灯る。

と、容赦なく肩を突かれて、倒れ込んだ。

(――けられる……!)

咄嗟に身を縮める。

しかし、足は飛んでこなかった。怪訝に思って仰ぐ。瞬間、腹にのしかかってきた。肩を床に押しつけて、正面を向かされる。

「お前も――下賎の女にふさわしく、身体の中を抉ってやろうか? 穿って、注いでやろうか?」

言葉の意味が、わからない。どういうことかと必死に考えていると、骨張った手が、胸倉を掴む。そして、腕を一気に横に引いた。容赦なく裂け、小さな留め具が弾け飛んでいく。

(ひどい……!)

十三歳の誕生日祝いに、侍女達が一針一針、丁寧に刺繍してくれた、お気に入りの上衣。こんなに破れてしまったら、もう着られない。

「どうしてっ? どうしてこんなことするの……⁉」

混乱の中で、必死に問う。

しかし、ユリウスは答えない。乱れた衣を見つめ、眼を爛々と輝かせている。荒く昂った激しい呼吸。のしかかられた腹に、熱く硬い何かが当たる。

何が起こっているのか。これから何をされるのか――言いようのない恐怖が、心を襲う。本能が、逃げろと強く警告する。苛烈な混乱の中、遠く、優しく諭す声が響く。

――もし、誰かに服を脱げと言われても、決して応じないでください。

あの初春の日、大切なぬいぐるみとの交換条件を、承諾した時のこと。

――私の申し上げたことの意味が理解できるまで、絶対に応じてはいけません。

真摯に見つめる、紺青の瞳。吸い込まれそうに綺麗な、真冬の夜空の色。

(わからない……! わからない! どうしたらいいのっ⁉)

ユリウスの頭が、胸に近づいてくる。ひとつに束ねた長い髪が、垂れ落ちる。

その漆黒。同じ色の、風に揺れる短い髪。

(いやっ! ――フェリックス……!)

遠くで、走りくる足音がした。


気がついた時にはもう、蹴り上げていた。

少年の、痩せた身体が吹き飛ぶ。背を丸めて、激しく咳き込む。その様子を、アメリアが影になる位置に立って見下ろす。

「お前、よくも――」

怒りで声が戦慄く。

鍛えていない痩躯の少年だ。本気で腹に一撃を加えれば、内臓を壊すことなど、造作もない。しかし、引き千切れそうな理性で、ようやく耐える。

と、背後で身じろぐ音がする。

振り返ると、アメリアが起き上がって、茫然としていた。

酷く裂かれた上衣。留め紐の緩んだ内着から覗く肌着。目的を察して、ぞっとする。

すかさずマントの留め具を外し、広げてから正面に跪く。そして、そっと肩にかけて留めた。

「……フェリックス――」

涙に濡れた碧色の瞳が、茫然と見上げる。跪いた姿勢のまま、こうべを垂れる。

「殿下。遅くなりまして、誠に申し訳ございません」

アメリアが、口を開こうとする気配。しかし、言葉が紡がれる前に、声変わりしたばかりの、不安定な調子の声が喚く。

「フェリックス! お前、わかってるのかっ⁉ 僕に、暴力を振るったんだぞ!」

「……だから何だ」

緩慢に立ち上がる。怒りの炎が、ゆらゆらと身の内で揺らめく。腹を押さえて座り込む痩躯を、再び見下ろす。

「お前の所業に比べれば、些細なことだ。なんなら、もう一発味わうか。今度はその――」

力なく開いた脚の間。片脚を引いて、構えを取る。

「お前の、大事な所に」

腹から低く、重々しい声を出す。筋肉の薄い喉から、ひっと、短い悲鳴が上がる。

臍を噛んで口に手を当てるが、もう遅い。あえて鼻で嗤ってやる。方角を顎で示し、睥睨する。

「――行け。もし、このことを悪し様に言いふらしたら、今度こそ、必ず蹴り潰してやる」

何かを言い返そうと、呻きながら立ち上がる。しかし、結局何も言わずに去っていった。

丸まった背中を厳しく睨んでから、アメリアの元へ戻って跪く。すると、きつく睨み上げる瞳に出会う。

「……どうして、今まで助けてくれなかったの?」

棘のある声音に、はっとする。次の瞬間、少女の甲高い叫びが、空を切り裂いた。

「ねえどうして⁉ 誠心誠意お守りするって、離れないって、約束したじゃないっ! ずっと――ずっと信じてたのに!」

鋭い痛みが心を刺し、言葉を失くす。

未熟な従騎士の身で誓いを立て、実力がないのに、気持ちだけで約束した、軽率さと無責任さ。その結果が今だ。

深々と、こうべを垂れる。心から、謝罪の言葉を述べた。

「誠に申し訳ございません。全て、私の不徳のいたすところでございます」

息を呑む声。震える、低く暗い声。

「……結局――全部、本心じゃなかったのね」

そして、弾けたように声が上がる。

「当然よね! だれもわたしのことなんて、本気で守りたいなんて思わない! わたしが真昼の娘だから! 穢れた下賎な娘だから! ユリウスの、言う通り――」

「ふざけるなッ!」

強い怒りが全身を貫く。理性が弾け飛び、一心不乱にまくし立てる。

「俺がどんな思いで、この六年を過ごしてきたと思っているんだ! 今まで、何も思っていなかったとでも⁉ どれだけ心配して、探したと思っている! それなのに、あんな下衆の言うことを信じるのかッ!」

呼吸が苦しくて喘ぐ。

泣き出して、震える声。はっと我に返って、顔を上げる。

「――ごめんなさい……」

ぽろぽろと、大粒の涙が、碧色の瞳からこぼれ落ちる。しゃくり上げながら、それでも切れ切れに言葉を紡いでいく。

「本当は、わかってるの……あなたが、ヘンリクスと協力して、できるだけ傍にいてくれようしてるって。誓いを、守ろうとしてくれてるって――でもっ……でも……」

たまらない気持ちで見つめる。

離れず甘えていたい本心と、状況を的確に把握して気遣う怜悧さ。狭間で揺れ動く苦しさを思うと、切なく哀しかった。

ふっと、碧色の瞳から、光が消える。

色のない、平板な表情。か細く、少女のものとは思えないほど、沈んだ暗い声が落ちる。

「……わたしなんて……生まれて、こなければ……よかった……」

「――!」

息が詰まる。次の瞬間には腕を伸ばして、抱き締めていた。

「そんなこと、言わないでください」

苦しくて、視界が滲む。心が千切れそうに痛い。

「私は、あなただから守ると誓いました。あなただからこそ、日々の職務に励むことができたのです――あなたと過ごす時間は、私のかけがえのない宝物です」

抱き締める腕に、力をこめる。か細く、小さな身体。虚無に消え入りそうな心を繋ぎ留めたくて、必死に訴える。

「ですから、どうか――どうか、生まれてこなければよかったなんて……そんなこと、言わないでください」

固まっていた身体が、緩やかに弛緩する。

震えながら、か細い腕が、背中に回されるのを感じる。ぎゅっと、服を掴む感覚。

そして、弾けたように、高く長く、声が青空を突き抜けていった。全てを洗い流すように、アメリアは声を上げて泣いた。

体温の戻ったその声を聴きながら、ただ一心に、抱き締めた。


「――殿下! 隊長!」

アメリアを伴って、居室に戻る道すがら、慌てた様子で、部下が駆け寄ってくる。

そういえば、見回りを放り出してしまったな、と、今さらのように思う。

荒く呼吸して、うなだれながら、一気に喋る。

「ああもう、本当に探したんですよ――団長は、騒ぎにならないように静かに探せ、とか無茶言うし」

「すまない、アドルフ。心配かけたな」

しれっと文句を付け加える言い方に、思わず笑ってしまう。最初に会ったのが、この明るく冗談好きな少年でよかったと思う。

顔を上げると、騎士服のマントを羽織ったアメリアを見て、はたと止まる。

「あれ? それ、隊長の……?」

「――ああ、服を破かれてな」

「うっわ、きも……」

きょとんとするアメリアに、しまったと、口を押さえる。気持ちはよくわかるので、指摘しないでおく。

そして、表情を改め、指示を出した。

「ともかく、殿下にお召し替えいただかなくては。侍女に引き継ぎ次第、隊議室に向かうから、みんなに無事を伝えてくれ」

は、と短く答えて、アドルフが敬礼する。

駆け去る姿を見届けてから、アメリアを促して、居室へと向かった。


到着して中に入ると、侍女頭を始め、侍女達が一斉に集まってきた。口々に、安堵の声を上げる。

アメリアは、心配の色を浮かべる面々を見回して、心底申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい。上衣が破れてしまったの。せっかく、あなた達がお祝いにくれたのに」

「お気遣い痛み入ります。御身がご無事で、何よりでございます」

侍女頭が、代表して答える。

やり取りを横目で見ながら、年次の高い侍女に、着替えと髪結いを頼んで、アメリアを引き継ぐ。

促されて、寝室へと向かう後ろ姿。扉が閉まるのを見届けて、侍女頭に告げた。

「では、私は報告に。マントは、あとで取りに来ます」

「承知いたしました」

侍女頭が、静かに答えて礼をする。物言いたげな表情を察して、付け加える。

「隊議で状況を整理したら、お伝えします。私の一存では、話すべき事項を判断しかねますので」

「――ええ、確かに左様でございますね。ありがとうございます。お待ちしております」

少し安堵した笑み。頷くと、寝室の扉に向かって礼をして、部屋を出た。


隊議室の扉の前。従騎士の少年の姿があった。

「アドルフ!」

「ああ、隊長! 全員揃ってます。さあ、中へ」

扉が引き開けられると、数多の顔が、こちらを向く。

レガリス隊王女付きの面々。長方形の卓の中央正面には団長、両隣に近衛騎士達が年次順に座り、従騎士達が壁沿いに整列している。

アドルフとともに中に入り、決められた位置につくと、団長が口を開いた。

「殿下は御無事なんだな?」

「――はい。幸い、御怪我もありませんでした」

一同、大きく安堵の息をつく。団長が、肩口に目を遣って尋ねた。

「お前、マントはどうした」

「服を破かれていましたので、お貸ししました」

衝撃にどよめく。静かに、と団長が窘め、続きを促す。

「私が発見した時――ユリウスは、殿下に馬乗りになっていました。思わず、その……蹴り飛ばしてしまいました」

口をつぐんで窺う。

団長は、何も言わない。ひとまず最後まで聴く、という意思を察して、言葉を継ぐ。

「ただ、吹き飛ぶように、脛で腹をやりました。酷く咳き込んでいましたが、喚いて歩く元気はあったので、骨や内臓に損傷はないと思います」

今度こそ、口を引き結んで黙る。厳しい叱責を覚悟した。薄青の双眸からは、感情が読み取れない。

身を縮めて待っていると、名を呼ばれた。緊張して、はい、とだけ答える。そして、

「よくやったぞ。褒めてやる」

にやり、と会心の笑み。思わず、つられて笑いそうになる。が、一瞬で厳格な表情に戻ったのを見て、よりきつく姿勢を正す。

「だが、お前は部下に何も告げず、隊長の職務を放棄して、隊を混乱に陥れた。その責は重い。――よって隊規に沿い、明日から一週間の謹慎を命じ、二月分の報酬受領権を剥奪する」

「……承知しました」

一切の異論はなかった。素直に受け入れる。

部下達の、納得いかないという表情。アドルフが、悔しそうに顔をしかめている。

その思いは、いたく胸に迫ったが、規律の乱れは、結局は警護対象を危険に晒すことに繋がる。それでも、やむを得ない場合という例外を適用して、最も軽い処分なのだから、むしろ感謝すべきことだった。

長く深い溜め息。どかりと背もたれに身を預けて、ヘンリクスが苦々しく呟く。

「全く……まだ、成人の始まりにも立っていない子供を――狂っているのか」

その言葉に、皆おぞましいものを見たような顔になる。

精通や初潮を迎えるまでは、子孫を残す能力のない、完全な子供だ。それを、乱暴しようとしたのである。全く狂気の沙汰だった。

――どうしてユリウスは、わたしが服を脱ぐことにこだわるのかしらね……。

居室に戻る道すがら、アメリアが呟いたことを思い出す。

初潮を迎え、成人の始まりに立って、初めて知ることだ。まさか教えるわけにもいかず、そのうちわかりますから、としか、答えられなかった。

真実を知った時、アメリアは酷く傷つくだろう。たまらない気持ちで、その行く末を思う。

「――フェリックス」

名を呼ばれて、はっとする。薄青の双眸が、厳しい色を宿している。

「加減するくらいなら、最初からやるな。吹き飛んだ先で、もし打ち所が悪かったらどうするつもりだ。謹慎期間中、しっかり反省しろ」

「はい……申し訳ありません……」

頭を下げ、心から謝罪する。

確かに、ユリウスの所業は許しがたい。しかし、宰相の子息なのだ。当然ながら、受け身の取り方を知らないし、家系的に痩躯の者が多く、頑健ではない。下手をすれば、死に至りかねなかった。

しかも、許してもらえたとはいえ、アメリアを怒鳴りつけてしまった。

仕えるべき主君に――暴力を振るわれて泣く少女に対して、取る態度ではない。精神の鍛練が、全く足りていないというものである。

「幸い、会議の多い時間帯だったから、この一件を知るのは、レガリス隊の騎士と王女付きの侍女だけだ。侍女頭には、拉致したのはユリウスであること、そして、これまでの行いを共有し、二人きりにしないよう要請する。あとは――殿下がどれだけ強く、相対せるかだ」

最後の言葉に、悔しさが滲む。憤懣やる方ないといった表情。

侍女頭を含め、侍女は皆、〈暁の家人〉である。できることといえば、アメリアが挫けないよう支え、あの悪辣な少年から、逃れる可能性を高めることぐらいだ。

団長が、騎士達を見渡す。そして、強い口調で言った。

「いいか、奴は昨年十五歳になって、女の味を知った。もともと好色な性質たちだ。これからは、そちらを狙ってくるだろう。――御母上と、絶対に同じ目に遭わせるな!」

「――は!」

気迫に満ちた返答。皆、一糸乱れず、敬礼した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る