騎士叙任②

商務官従家メクラトル家の次男、エアネストが出所して一年。

武器を集めるために設立した金融商店が、ようやく軌道に乗り始め、新たな世界への第一歩を踏み出した。

初夏の陽光を反射して輝く、剣と防具。一年前、設立時の備品として、購入したものだ。よく手入れされて、新品同様の品質を保っている。

低い卓に置かれた揃えを眺めながら、エアネストが苦く言う。

「やはり……もう少し、流せませんか? たった一揃えでは、何年かかるか……」

執務机に広げた書類を整えて、ソファに座る青年を一瞥する。

若い者はせっかちでいけない。まるで、父親が我が子を諭すように、穏やかに話す。

「メクラトルの次男よ。たかだか設立一年の小さな金融商店が、大量の武器を購入したらどうなると思う? 来年には、エクエス家から〈贈り物〉がある。目立つ動きは避けたいのだ」

「わかっています! でも、俺はッ……!」

ぎりぎりと拳を握り締め、歯を食い縛る横顔。

ゆったりと椅子から立ち上がり、机の正面に据えた、一人掛けのソファに腰を下ろす。

「エクエスの女などいらない! 俺の……っ可愛い俺のひとをよくも!」

血走って、炯々と光る緑色の瞳。戦慄く肩に、そっと手を置く。

エアネストは、幼馴染みであるメクラトル家傍系の息女と恋仲にあった。婚約を済ませ、結婚式の準備もしていたという。

しかし、収監中に嫁いでいたのだ。それも、エクエス家近傍系の、二十歳も離れた男の後妻として。

再婚ゆえに式も挙げず、父親と歳がさして変わらぬ男の妻となる。事情を知る者からすれば、明らかに制裁が目的だとわかる。

優しく、憐れみをこめて囁く。

「愛するひとを奪われる苦しみはよくわかる。しかし、だからこそ、慎重に事を進めなければならない。武力を担うフォルティス家とエクエス家に刃を向ける以上、知恵で負けるわけにはいかないのだ」

おもむろに、緑色が滲んでいく。顔を覆った手から漏れる、呻き声。励ますように、労るように、肩に置いた手に力をこめる。

さかしいが、決して秀でてはいない若造。

愛するひとと大切な娘を奪った真夜の者達を――特に、あの鬼畜な忌まわしい男を殺す、という目的のためには、御しやすいただの駒でしかなかった。

激情にむせび泣く青年を、穏やかに慰めながら、執務机に置いた書類の内容を反芻する。

武器や防具の所有は、王都の警邏と地方の警備を担う軍、王宮の警備を受け持つ王宮騎士団、そして、王家の警護を務める近衛騎士団以外は許されていない。

平民の場合、フロス街の高級娼館やペクニア街の金融商店など、警備が特に必要な商人に限り、軍の各司令部に、購入許可を申請できる。

許可証は、過去の履歴と照合して、不審な点はないか、厳しく審査された上で発行される。それを提示して、武器商人から仕入れるのだ。

申請と異なる品種や数量での購入は、許されない。机の書類は、事業拡大に伴う人手の増加を理由に、購入を願い出る申請書だった。予備として、不自然でない程度に多く、数量を記入している。余剰を少しずつ横流しし、武力を整える算段だった。

(あと二年。決して逃すまい)

違法賭博で捕縛された、一般兵士達。

刑期を終えて待ち受けているのは、人々からの謗りと貧困だ。生活の面倒を見て懐柔し、暴動を引き起こすための兵力にする。そのためには、莫大な金が必要だ。

しかし、家財は、法定の税金で賄われている。日常から外れる支出をすれば、財務官に勘づかれる可能性があった。資金稼ぎという点でも、借金の利息などで、純粋に金だけを増やせる金融商店は、うってつけだった。

「必ずッ……必ず、奴らの面目を、完全に叩きのめしてやりましょう!」

泣き腫らした憐れな顔を労るように見つめて、明確に頷く。

暴動によって、王都に混乱を招き、軍の権威を完膚なきまでに失墜させる。

吹聴した計略をひたすらに信じて、復讐に燃える若者の愚かな姿。一方で、商務関係の知識が必要な今は、その稚拙さが助けとなっていた。金融商店の設立も、この青年の力がなければ、難航していたであろう。

しかし、真の目的を知れば、おののいて、及び腰になるにちがいない。

ノクサートラ家は、真夜の民の中でも、神から餞を得て寵愛を受けた一族だ。尊い親を持つ同じ子として、畏れる気持ちがわからないわけではない。

(だからこそ、我が娘が王女となった意味がある)

はらはらと涙を流して謝罪する、美しいひとの声が、心に去来する。

あなたという主人がありながら、と伏して赦しを乞う儚い姿。どうして責めることなどできよう。抱き締めて、二度と手元から離すまいと、誓ったというのに。

主家は非情だった。屋敷に隠せたにもかかわらず、あっという間に掌を返した。

先の宰相の葬儀を終えた翌日、家系登録を変更して、籍をカンチェラリウス家に戻したから、会わせることはできない、と告げられた。そしてそのまま、あの鬼畜な男に嫁がせた。

愛するひとが、夜ごと穢らわしく苛まれているのだと思うだけで、気が狂いそうだった。その上、無事に生まれた娘すら、あの男は我が物としたのだ。

会うことの決して叶わない状況で、漏れ聞こえてくる、いとしいひとの日々。心を病んで、痩せ細り、ただぼんやりと外を眺めて、時を過ごしているという。そして、大切な娘は、主家の嫡子から暴力を受けて、むごく傷つけられている。

こんな残酷なことを、争いを厭い、静謐を好む神が許すとは、思えなかった。

(世界を支えているのは、真昼の民だ。真夜の王を廃し、我が娘が真昼の王として即位することこそ、御夜の御意思――)

真昼の民による新しい世界を、神は望んでいる。神が夜を支配し、真昼の民が昼を統べる世界を。

恩寵の証の片割れが失われ、ノクサートラ家には狂った者しか残らなかったのは、すでに神の寵愛が離れたしるしなのだ。

(ああ、アメリア。父を見ていてくれ。必ずや、御夜の御意思を実現させてみせようぞ)

エアネストの辞した部屋で一人、愛する美しいひとと大切な娘の三人で過ごす時を、思い描く。

窓枠に切り取られた初夏の青空が、高く濃く広がっていた。


ざわめきが反響して、あらゆる方向に広がっていく。湯気の舞う中、男達が思い思いにくつろいでいる。

身体を洗う者。湯浴室に腰かけて、汗を流す者。湯に浸かって、仲間と談笑する者。

様々な年代の騎士や従騎士がいる中で、熟練者の完成した屈強な体躯を、羨望の眼差しで観察する。

隙のない所作。無駄ひとつない筋肉のつき。頑強な骨格。昨年の冬に成人したとはいえ、まだどこか、少年の貧弱さが抜けない自分と比べると、早くああなれないかと、どうしても焦りが募る。

体格が大人になったところで、直面している問題が解決するわけではない。わかっていても、完璧な強さを、切実に求めてしまう。特に、今日は本当にこたえた。

昼下がり、アメリアがまた警護をまいて、どこかに消えてしまった。その時は、執務館で、ブラッツに隊長の職務について指導を受けていて、編成の難しさに頭を抱えていた。

騒ぎを知ったのは、アドルフが勢い余って知らせに来たからだ。

従騎士が独断で行動するなど言語道断だと、厳しく叱るブラッツを目の当たりにして、嫡子の務めを放り出して探したいとは、とても言えなかった。

結局、王殿に向かえたのは、自ら居室に戻ってきたあとだった。

たくさんの涙の跡が残る、円かな頬。力なく歩み寄ってきたか細い身体を、痛恨の思いで抱き締めた。

(どうしたら、もっと強くなれるんだろう……あの子を、守れるんだろう……)

いつまでも無力で何もできない自分。

苛立ちが、熾火となって、身の内をねぶっていく。何かにぶつけて吐き出さなければ、叫んでしまいそうな激情が、心を支配する。

不意に、すらりと伸びやかな艶めく肢体が、胸に過った。

先輩騎士に声をかけられて、挨拶を交わす。入れ替わるように浴槽から上がると、頭に乗せていた手ぬぐいで、さっと身体を拭いて、大浴場を出た。


ほのかな灯りに照らされた部屋に、嬌声が響く。太腿を掴んで固定し、力任せに打ちつける。

許しを乞う、悲鳴のような喘ぎ。柔らかな胸が、面白いほど揺れている。艶やかな美しい顔が、動きに合わせて歪んでぶれる。綺麗で精巧な工芸品を、ほしいままに破壊するような背徳感。圧倒的な支配。強い陶酔に溺れた。

全てを吐き出した解放感が、全身を満たしていく。荒く呼吸しながら見下ろすと、空ろな翠緑の瞳と目が合う。

約束した通り、どんなに乱暴に扱っても、トリーナは泣かなくなった。代わりに目で、表情で、訴えてくるようになった。

そんなことをしたところで、何かが変わるわけでもないのに、空しい期待をするのだ。幼い初恋が、肌を合わせるごとに、生々しい情念となって、絡みつくように恋慕われるのは、正直重かった。

内心うんざりしながら、問いかける。

「……なんだよ。言いたいことがあるんだろ」

か細い声が、何事かを囁く。聞こえなくて、寝台に手をつき、顔を近づける。

繋がった場所がわずかに動いて、細い肢体が跳ねる。締め上げる刺激に、早く事を収めて動きたい衝動に駆られる。

「私は……あなたの〈奥方〉なのよ……」

翠緑の瞳に、涙が浮かぶ。こらえて震える声。

〈仮初めの奥方〉は、決して粗雑に扱うな――という〈教え〉。

普段からできないことは、いざという時にはもちろんできない。しかし、覚えてしまえば、通う必要などないのだ。〈教え〉は真実でありながら、同時に建前でもあった。それなのに、まだくだらないごっこ遊びに付き合えというのか。

面倒だと思う気持ちが、顔に出ていたのだろう。トリーナの表情が、みるみる非難がましい色を帯びる。

こぼさず溜めた涙が鬱陶しい。いっそ泣いて責めてくれた方が、よほど気が楽だ。しかし、一方的に都合のいい約束を翻すなど、今さらできなかった。

「そんな顔するなよ」

大きく溜め息をついて、身を離す。

寝台から下りて、低い卓に置かれた水差しから、グラスに注ぐ。一気に飲み干したところで、後ろから抱きつかれた。

「……ごめんなさい。ねえ、このまま眠るのはいやよ……」

細く白い手が、腹をなまめかしく這っていく。擦り上げる刺激に、吐息が震える。うまく収まったと、奇妙な達成感が湧く。

行為を望んでいないのに求める。優しくされたいと願いながら、暴力に耐える。生意気な態度を取れば、〈離縁〉を怖れる心を利用して、ほしいままに貪る。堂々巡りしたこの二年と半年余りで、すっかり操る術を覚えてしまった。

頃合いを見計らって、指示を出す。

「壁に手をついて。振り向くなよ」

何か言いたげな呼吸が、くぐもって聞こえる。

〈正しく〉寝台でしてやるつもりなどなかったし、顔色を窺うのも面倒だった。

黙って待っていると、近くの壁に白い手がつかれる。再び水を注いで飲みながら、その露な花を堪能する。そして、グラスを卓に置くと、身をかがめて囁いた。

「また興醒めなことを言ったら、やめるからな」

返事を聞く前に、一気に押し込む。高く長く上がる悲鳴。まるで罰を与えるように、容赦なく、その細い身体を抉った。


その夜はもう、フェリックスは、向き合って抱いてはくれなかった。飛びかける意識を必死に繋いで、ただひたすらに受け止めた。

明けた朝、狂乱が嘘のように、優しく抱き締めて帰っていく背中を見送って、館内の居住区にある自室に戻った。

扉を閉めた途端、張り詰めていた糸が切れたように、へたり込んで泣いた。

約束を交わしてからは、優しく穏やかな時が多くなった。その反動か、冷たく暴力的な時は、つい耐えきれず非難して、よけいに怒りを煽ってしまうほど、つらく責め苛まれた。

それでも、〈離縁〉を申し入れられたらと、怖れておののくのだ。

せっかく生きて再会できたのに、会えなくなるのは嫌だった。そして、先輩か後輩か――他の〈奥方〉と縁が繋がるのは、もっと嫌だった。せめて結婚するまでは、自分だけの人でいてほしかった。

もう幼い頃のように、思ってくれてはいないと知っているのに、あの紺青の瞳を目の当たりにすると、心が動いてしまう。肌を合わせる度に深く刻まれていく存在が、決して忘れさせてくれない。優しく名を呼ぶ声が、温かい微笑みが、淡い期待をいだかせるのだ。

つらくて苦しいのに、会えない日々が続くと、恋しくてたまらなかった。

泣きながら、壁を伝って寝台に向かう。たくさん朝寝をしないと、受け持つ誰かに今夜来られたら、身体がもたない。

人手が足りず、他の地区からマニュルムに異動してきた同輩が、過酷でつらいと、話していたことを思い出す。

職務柄鍛えている分、体力も精力も旺盛で、他の地区の男達の比ではないらしい。

疲労困憊にならずに済むなら助かると感激したものの、貧弱な身体だと聞いて、それはつまらないと残念に思った。

何とかたどり着いて、倒れ込む。背を丸めて平靴を脱ぐと、寝台の上を転がって、身を乗り出した。床に置いて揃える。それから羽織を脱ぎ、簡単に畳んで、枕元に置いた。しわにならないよう、衣服掛けに吊るしたかったが、もう起き上がる体力はなかった。

夏の薄手の布団にくるまると、眠気が急激にやってくる。落ちていく意識の中で、次はいつ会えるのだろうと、紺青の瞳を思った。

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