縛めの言葉①

フォルティス家執務館の二階。夏の到来を感じる日差しが、等間隔に設けられた窓から、降り注いでいる。

少し着込みすぎたと暑さを覚えながら、直系嫡子の執務室を目指して歩く。

遠く正面には、王殿へと続く渡り廊下。木製の両開きの扉の片側が開き、巨躯が現れるのが見えて、はっと立ち止まる。

冷たい汗が、背中を伝う。浅くならないように呼吸に気を配って、平静を保つ。

近づいてきたところを見計らって、声をかけた。

「父上。今日はいい日和ですね」

いつもの決まった挨拶。他に話すべき内容がないのだから、仕方がない。何も返ってこないようにと、ひたすら願う。

二ヵ月前、大泣きして、エルドウィンと午後の鍛練に遅刻したことは、もう罰を受けた。だから、今日は何もないはずだ。

しかし、淡々とした重く低い声が、降ってきた。

「また、負けたそうだな。主家が従家に屈するとは。恥だと、あれほど言ったはずだ」

「……申し訳ありません」

苛烈な悔しさが、身の内をねぶる。ぎりぎりと、拳を握り締める。

評価試合の結果など、本当は興味なんてないくせに、どうして当然のように父親面するのか。怒りのままに思わず仰いで、目を見てしまった。

感情のない群青の双眸。足首に、重く冷たい枷を感じる。

帰省すればひれ伏して縛り、王宮では父親として押さえつけてくる。どんなに足掻いても、この枷を解くことはできない。冷たい怖れが、じわじわと心を締めつけていく。

目を逸らすこともできず、固まっていると、静かな声が告げた。

「慢心が負けを生む。よく励め」

そして、総帥の執務室へと消えていった。


扉を閉める音を合図に、理性のたがが外れた。

細い身体を後ろから抱き、柔らかな胸を掴む。もう一方の手を、内腿へと伸ばした。

「あ、いや! そんな急に……っ」

か細い悲鳴を上げ、逃れようと身をよじる。押さえようとしたが、面倒になって、力を緩める。途端、身を翻して距離を置いた。

ここから抜け出すなど不可能なのに、どうしてこんな無駄なことをするのか。腕を組み、大きく溜め息をついた。

「……なんだよ。何が不満なんだよ」

身を守るように縮こまる様。悪人だと責められているようで、苛立ちが募る。同時に、獲物を追い詰めるような高揚感が、ぞくぞくと背筋を這う。

「もっと、大切にしてほしいの……こんな、乱暴にされるのはいやよ……」

鼻で嗤う。触れられて、喘ぎながら溶けていくのは、どこの誰なのか。

「ちゃんと痛くないようにしてるだろ。それに、君だって達してるくせに」

一気に耳まで真っ赤に染まる顔。自分は清純だとでも、言いたいのだろうか。その瞬間、どんな表情をしているのか、見せてやりたいと、意地悪く思う。

「……もっと、たくさん触れてほしいの……最初の頃みたいに、たくさん口づけて……」

「そんなことをしたって、最終的に行きつくところは同じだろ。――馬鹿馬鹿しい。言いたいことはそれだけ?」

冷ややかに返す。

全くとんだ茶番だ。男にとって、何が一番の快楽かを、知らないはずがない。

手順を踏むのはあくまでも〈教え〉で、比べたことはないが、準備の整っている方が、具合がいいからだ。それ以上のことをする必要性は、微塵も感じなかった。

不意に、翠緑の瞳が燃えるように揺れる。甲高い声が、部屋に響いた。

「そんな言い方ひどいわっ……! ただ〈奥方〉として大切にされたいだけなのに、どうして優しくしてくれないの⁉」

「――ああもう、うるさいな!」

言葉をさらに継ぐ気配を察知して、怒声を浴びせて遮る。我慢の限界だった。

怯えて後ずさろうとしたところを、大股に歩いて追いつく。細い手首を、きつく掴んだ。

「痛いっ……いや!」

「こんなに可愛げがないなら、他の女の方がよかったな」

冷たく言い放つ。翠緑の瞳が瞠って、みるみる涙が滲んでいく。

何も言えずに押し黙る顔。好機と踏んで抱え上げ、寝台に放る。起き上がる隙を与えず、すかさず覆い被さる。

「……っいや……!」

腕を振り、脚を払って遮ろうとするところを、難なく押さえ込む。普段、鍛練した者同士で競うのだ。造作もない。

引き裾と内着をまくり上げ、脚を膝で押さえて、もう片方は肩に乗せて抱える。身を引こうともがく姿を、冷ややかに見下ろす。そして、下着の紐の両側をほどいて、投げ捨てた。

露になった、そこを見つめる。鮮烈な昂りが、強い痺れを伴って、背筋を駆け上る。

「そんな……! いやよ、こんなのいや!」

嫌悪に震える声。翠緑から涙が溢れ、とめどなく耳へと落ちていく。せっかく大人しくなったのに、と苛立ちが募る。

女の腹は、漆黒の神が雫を垂らして、命を生み出す神聖な場所だ。同意のない行為は、それを穢す大罪だった。明らかに拒絶したこの状況で、事を進めるわけにはいかない。

早く発散したいという焦燥感の中、ふと妙案が閃く。冷たく、淡々と告げる。

「泣くな、拒絶するな――フロスの〈教え〉だろ」

――どんなにつらくても涙を見せるな。どんなことがあっても受け入れろ。

フロス街の高級娼婦達に叩き込まれる〈教え〉。本来は、運命を受け入れ、務めを果たせ、という趣旨だが、この際どうでもよかった。

違うと言わんばかりの目。酷い仕打ちだと非難する色。反論する気配を感じて、すぐに奥の手を放つ。

「なんだよ、その目。〈離縁〉したって、いいんだぞ」

ぐっと、紅色の薄い唇が引き結ばれる。予想通りの反応。いまだに恋慕う心で、会いたいと切実に願うなんて。

しかし、利用すれば、完全に優位に立てる。

〈離縁〉は、子息側からしか申し入れられないし、よほどのことがない限り、承認される。そして、別の〈奥方〉と縁が繋がれば、もう二度と、顔を合わせることはないのだ。

哀れなほどに、美しい顔が青ざめていく。こみ上げる涙をせき止めるように、白く細い喉が動いた。

指先が、柔らかく雫を拭っていく。震える儚い声が、必死に乞う。

「ごめんなさい……もう二度と、泣いたりしないから……あなたのすることは、どんなことも受け入れるから――〈離縁〉するなんて言わないでっ……」

短く溜め息をつき、抱えていた脚を下ろす。

無抵抗に開いたままの下肢。中指を、たっぷりと舐める。

「約束を破ったら、本当に申し入れるからな」

冷酷に告げて、指の腹を押し当てた。細い身体が跳ね、声が漏れる。面白いほど敏感な反応に、薄く笑みが広がる。拒絶の言葉を吐かないよう、必死に喘ぐ様は、酷く煽情的でたまらなかった。

そろそろかと思ったところで、弾けたように、高く長く声が上がる。細い身体が、絶え間なく跳ねる。勝ち誇った気分で、咲いた花を眺めた。

「達すると濡れるんだな。なんだ、最初からこうすれば早かったのに」

指の腹で全体を弄び、羞恥に歪んだ美しい顔を堪能する。

それから、細い腰を高々と持ち上げた。丹念に味わいながら、翠緑の瞳を見つめる。

辱しめに涙を浮かべた、美しいふたつの目。そこに映る光景を思うと、身の内で、激しく炎が猛り狂った。

綺麗な女が抗いようもなく濡れていく様は、まさに魅惑的な劇薬だ。いたぶるように、弱いところを余すことなく責め立てた。

散々に嬲られて、気力も失せたのだろう。待ち遠しかった瞬間が訪れた時には、もはやされるがままになっていた。

人差し指と中指に滴る雫を舐め取りながら、下衣の紐を解いて、下着ごと押し下げる。膝裏を掴み、じっくりと眺める。強烈な高揚感が、全身を満たす。

不意に、名を呼ばれて視線を上げる。また興を削がれるのかと、うんざりする。

しかし、囁かれた言葉は、酷く心を煽るものだった。卑猥な表現。自ら上衣の留め具を外して、隙間に手を入れ、胸に触れる媚態。壊れて落ちた、美しい顔。

――その瞬間、あるべき何かが崩れた。

あらゆる全てが嗜虐に染まっていく。喉から低く、嗤う声が漏れる。

「望み通り、たっぷりくれてやるよ」

狙いを定めて一気に貫く。加減なく、ひたすらに打ちつける。許しを乞う悲鳴に酔って狂い、凶暴な獣と化して、その細い身体を喰い荒らした。


「……トリーナ? なあ、トリーナ?」

強い不安に駆られながら、呼びかける。

結局、一度だけでは満足できず、服を剥いで、再び責め苛んだ。

激しい快楽が全身を貫くと同時に、白い背中が大きく反り、高い悲鳴が空気を切り裂いた。そして、ぴたりと動かなくなってしまった。

試しに身を離しても、何の反応もない。いつもなら、顕著な動きがあるのに。

掴んでいた腰をそっと下ろし、仰向けにする。力なく投げ出される、伸びやかな四肢。翠緑の瞳は閉じられ、長い睫毛が際立って見えた。

口元に、耳を近づける。ゆっくりとした呼吸音が聞こえ、吐息が微かに当たった。

「……気絶したのか――」

安堵して、溜め息をつく。重篤な急病でなくてよかった。ほっとすると、沸々と非情な欲が、頭をもたげてくる。

(もう一回くらい、やりたかったな……)

傍らに胡座をかいて、その美しい顔を見下ろす。

静かに呼吸する面立ちは、どこかあどけなく可愛い印象が強かった。幼い頃の、好きだった女の子の姿が重なる。

男子連中の憧れの的だったトリーナ。

そんな女の子が、自分のことが好きで、両思いだと知った時は、世界中の幸せを搔き集めた気分だった。あれほど好きだったのに、今は全く心が動かない。ただ、綺麗な女をほしいままにできる愉しみだけが、通う動機だった。

実際、女になったトリーナは、艶めいて美しかったし、先達の娼婦から手ほどきを受けた身体は、敏感で、よく締まって気持ち良かった。

惜しむらくは、全体的にほっそりしているところだが、細い身体で健気に受け止める姿は、それはそれで、昂りを覚える光景だった。

涙の跡が幾筋も残る、白い頬に触れる。

苛立っていたとはいえ、酷いことを言った。あんな卑猥な言動をさせるほど、深く傷つけた。きっともう、トリーナは泣くことも拒絶することもないだろう。

謝りたいと思うと同時に、これで面倒なく抱けるという悦びが、胸に広がった。毎回あんな喧嘩をして、忍耐を強いられるのは御免だった。身勝手な思考が、心を支配する。

(トリーナは俺の〈奥方〉なんだ。だから、俺の好きにしていい……)

不意に欠伸あくびが出る。思いきり、伸びをする。

明日は休日だ。朝の行為は神に悖るが、相手が先に寝てしまったのだから仕方ない。起きたら、ゆっくりじっくり味わおうと決めて、眠気に従うことにした。


目覚めると、フェリックスの姿がなかった。驚いて飛び起きようとし、視界がぐらりと傾いで、また寝台に戻る。

眩暈が治まるのを待っていると、声がかかった。

「トリーナ? どうした?」

「貧血で、めまいがして……少し待ってて……」

帰ったわけではないのだという安堵の中、うとうとと微睡む。昨夜、気力も体力も振り絞ったせいか、眠気が強い。意識が滑り落ちていく。

しかし、肩を叩かれて、はっとする。

「寝るなよ。 昨日、先に寝たの覚えてないの?」

記憶をたどる。

背面から散々責め立てられたあとがない。まさか、気を失ったのだろうか。あれほど必死に意識を繋いでいたのに。

さーっと、血の気が引いていく。紺青の瞳を、真っ直ぐに見つめて告げた。

「ごめんなさい……私、その……」

もう限界で、と続けようとしてやめる。言い訳は、神経を逆撫でするだけだ。しかも、〈主人〉の満足しないうちに眠ってしまうなんて、言語道断である。

ひとつ、長い溜め息。漆黒の短い髪を、乱雑に搔く。そして、手を差し出した。

「まあいいよ。俺も、あのあとすぐに寝たし。朝を頼んだから食べよう」

ゆっくり起き上がって、寝巻きを着ていることに気づく。

狂乱のあとの、細やかな優しさ。淡い期待が、胸を緩やかに高鳴らせる。

手を取った途端、抱き上げられる。

労るような柔らかな所作。応えるように、首に手を回すと、おはようの声とともに、口づけが落とされた。挨拶を返して、優しく微笑み合う。幸せな気持ちが、心を満たす。恋慕う心が、沸々と湧いてくる。

寝台からの短い距離を運んでもらって、ソファにそっと下ろされる。

低い卓には、食べ終わった皿と手つかず皿が置かれていた。肉々しい皿は、見ているだけで胸やけがする。朝から、よくこんなに食べられるものだ。

もう一方の、野菜とほぐした魚をパンで挟んだ軽食を手に取る。薄切り肉が挟んであるのは、フェリックスの分だ。

少しずつかじっていると、隣から視線を感じる。何とも言えない表情に、小首を傾げる。

「もっと、ちゃんと食べた方がいいよ。そんなだから、貧血になったりするんだろ」

「たくさん食べると、気持ち悪くなるから……」

言葉が尻すぼみになっていく。

先輩達に、散々言われてきた。肉つきのいい方が、男は喜ぶと。

しかし、どうしても多くは食べられない。無理をすると、それはそれで具合が悪くなるのだ。

父親は、フォルティス家の子息だから、背はよく伸びたものの、あまり女らしい体つきにならなかったのは、気に病むところだった。

「フェリックスは……もっと豊かな方が好き……?」

うーん、と考えて唸る声。視線が、腰から胸、顔と来て、ひたと目が合う。薄絹の窓掛けを透かして差し込む朝日に、紺青の瞳が煌めいている。

「まあ、それはね。でも、トリーナはそのままでいいと思う。一点がよくても、全体が悪かったら意味ないし」

ふと、何かを思い出すような色。悔しそうに、瞳が歪む。不思議に思って、小首を傾げていると、苦々しく言葉が吐き出された。

「……この前、試合で父上に言われたんだ。あと少しだと思ったのに」

腿に置かれた拳が、ぎゅっと握り締められる。口を引き結んだ横顔。

きっと、他の誰にも言わない胸の内。温かな気持ちで、そっと手に触れる。

「大丈夫よ。フェリックスなら、きっと勝てるようになるわ」

「……トリーナ……」

優しく囁く低い声。大きな手が、頬を包み込む。ゆっくりと近づく顔。柔らかに、口づけを交わした。

身体が軽やかに浮く。布団の柔らかさ。口の中までたっぷりと味わわれて、息をつく。紺青の瞳と、見つめ合う。

いとおしむような優しい色。幸せな思いが、心を満たす。いとしく、微笑みが広がった。

額にひとつ、口づけが落とされる。それから首筋に下ると、寝巻きの胸元の紐がほどかれる、微かな音がした。

それからは、本当に甘く艶やかな時間だった。手が優しく身体をなぞり、舌と唇で、じっくりと味わわれた。

昨夜とは、別人のような態度。

切なくかすれる低い声を耳元で聴きながら、現実を直視する。

都合のいい捌け口。立ててくれる従順な存在。恋慕う心を利用されているとわかっていても、こうして優しくされれば、幸せのうちに受け入れる自分がいるのだ。

満足した顔で、名を呼ぶ声。恥じらいながら、まだ繋がっていたいの、と囁く。

紺青の瞳が見開かれ、おもむろに微笑みが広がる。優しく柔らかな色。心が砕けて、さらさらと落ちる音がした。

ふと、抱えられて体勢が反転する。熱を帯びた肌。逞しい腕の重み。髪に、優しい口づけが落ちる。

広い胸に収まって、空ろな眠りに落ちた。


「まさか、繋がったまま眠るなんてな」

あえてからかう口調で言う。散乱した服を、拾い上げて着る。

もうすっかり日が高い。明日は早番だから、そろそろ戻って、備えなければならなかった。

「……だって、気持ち良かったの……」

羞恥に赤く染まる、白い頬。おもむろに、すらりと伸びやかな脚が上がり、膝を抱える。

広がった足先。紅色の、露な花。まるで、見せつけるかのような――。

「たくさん、奥まで――あなたので、満たされて……」

潤む翠緑の瞳。色情の漂う淫らな視線。その、深い谷底。閃く光景に息を呑む。己の犯した罪の重さが、胸に迫る。思わず、目をそむけた。

「……また来るよ。近いうちに、必ず」

そっと、細い身体を抱き締める。

嘘をついた。非番も休日も、鍛錬や講義が詰まっているから、当分無理だ。保身のために、偽りを約束するなんて、恥ずべきことなのに。心の壊れた様を――己の罪状を、直視したくなかった。

「嬉しい……待ってるわ……」

純粋な、可愛らしい声。ただ会いたいだけなのだと、改めて痛感する。艶やかな髪に、優しく口づける。

おもむろに身を離すと、微笑みを交わして、部屋を出た。


馬車に揺られながら、窓の景色をぼんやりと眺める。

平和な日常。昼を食べに、学舎から帰るのだろう。子供達が、きゃらきゃらと笑って、駆けていく。

昔はあんなふうに、ただ楽しく日々を重ねていたのに、今は壊れて、暗い深みに落ちる夜を過ごしている。

今ならまだ間に合う。わかっているのに、認めたくない自分がいた。

圧倒的な暴力と支配。鬱屈を、ほしいままに吐き出せる、隷属した存在。しかもそれが、美しい女なのだ。細く儚い容貌からは想像もつかないほど、淫らに乱れる様は、理性を打ち砕くには十分だった。

このままいけば、きっと、もっと淫靡で卑猥な光景が見られる――考えただけで、背筋がぞくぞくした。理性が砂塵となって、搔き消えていく。

(そうだ……あれは、俺の〈奥方〉なんだから。俺の、ものなんだから……)

染み込ませるように、繰り返し唱える。暗い欲望に、心を閉ざした。

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