御言葉ですが

硝水

第1話

 ぼくたちの母親は忘れっぽい。だからぼくたち双子には、同じ名前がついている。

「ミコト、ご飯できたから降りておいで」

「「はぁい」」

 隣の部屋から似たような声があがる。同時に向かい合ったドアを開けて、鏡みたいなお互いの顔を見る。並んで階段を降りて、小さな丸テーブルについた。母がキッチンから、大きな鍋をゆっくりゆっくり、すり足で持ってくる。テーブル中央に据えたコルクの鍋敷きにそれを置くと、ふぅと息を吐いて蓋をとる。もうもうと湯気が立って、その下から現れたのはあふれんばかりのホワイトシチュー。ぼくたちの大好物だ。毎年誕生日が近づくと冷蔵庫に、十二月十三日はぼくたちの誕生日です、と書いたメモを貼って、シチューの材料を少しずつ買い足していく。母がぼくたちの好物を覚えているとは思えないが、集まった材料を見たらホワイトシチューが作れそう、ということには見当がつくみたいだ。

 いただきますを唱えて、あつあつのシチューを口に運ぶ。柔らかな口あたりの木製スプーンから、まろやかな香りをまとったじゃがいもが舌の上に転がり落ちた。じっくり加熱されたそれはほろほろと音なく崩れる。皿の中をくるくるかき混ぜて冷ましながら、人参を探し、こっそりミコトの皿に人参を置いて、ミコトからはブロッコリーを受け取る。ぼくたちはもちろん、顔はそっくりでも趣味嗜好はすこし違うのだ。母は自分のつくった料理の出来に満足しているようで、目を細めながら次々とスプーンを往復させている。ぼくたちはふと目を見合わせて、そっと立ち上がりキッチンへ向かった。

「やっぱり」

「シチューしかない筈がないもん」

 台所には所狭しと盛り付け済みのサラダやバゲット、使ったままの調理器具とまとめ置かれた生ゴミが並べられていて、それからケーキが出しっぱなしになっていた。ケーキを冷蔵庫に収め、生ゴミをとりあえず新聞紙で包んでゴミ袋に放り込む。手分けしてサラダとバゲットを持ち、ダイニングに戻る。それを見た母がしまったと言わんばかりに目を丸くする。

「また出し忘れちゃってた、ごめんね」

「いいんだよ、気づいたから」

「食べ終わる前でよかった」

 こういうことはよくある。ぼくたちも慣れているし、母もきっと謝り慣れている。それも忘れているだろうけど。

「「「ごちそうさま」」」

 食器を片付けたあとすぐに風呂の用意をしようとする母を制す。さっき冷蔵庫に入れちゃったから、気づいてないみたいだ。

「ママ、ケーキがあるよ」

「そうだった! ごめんね、誕生日だったね」

 鍋敷きをどかしてケーキを置く。まっしろな城。つんとそびえる苺の天辺には丸くクリームが絞ってあって、サンタ帽を彷彿とさせる。クリスマスはまだなんだけど。

「はっぴばーすでーとぅーゆー……」

「待って待って、ロウソクがまだ」

「ミコト、ライターどこ?」

「玄関にあると思う」

「何本だっけ」

 母は特に変数の記憶が不得手だ。今年が何年、とか今日は何曜日とか。ぼくたちが何歳になるのかも当然わからないみたいで。

「二十二本だよ」

「あなたたち、二十二歳になるの!」

「嘘。十六歳です」

 大きくなったわね、などとしみじみ言い出しそうなので遮っておいた。母は女手ひとつでぼくたちをここまで育ててくれた。父親は何処にいるのか、幼心に訊いてみたことがある。父はぼくたちが生まれる前に亡くなったそうで、父もぼくたちと同じ名前だった。なんで亡くなったのかは、忘れたの一点張りだった。

「はい、十六本」

「火つけるよ」

「危ないからお母さんがやります」

「ぼくのこと何歳だと思ってるの」

「……えーと、何歳だっけ」

 ケーキに刺さったロウソクをいちにと数え始める。

「十六歳」

 五本ずつ交代でつけてから、最後の一本は三人でちまこいライターを握りしめて点火した。ハッピーバースデーを歌って、四等分に切り分ける。これは母の癖らしかった。いつも最後のひと切れを取り合って喧嘩になる。ケーキは長いこと暖房に当たっていたせいでちょっと溶けていた。

 残ったケーキを冷蔵庫にしまった母が、思い出したようにというか実際そこで思い出したのだろう、手を打つ。誕生日を書いたメモの片隅に、欲しいものを書いておいたのだ。

「プレゼントがあるの!」

 母はパタパタとスリッパを鳴らしながら自室に駆け込み、同じ大きさの箱をふたつ抱えて戻ってきた。それぞれをぼくたちの目の前に置く。ぼくは隣の箱に何が入っているか知っていたし、ミコトもぼくの箱の中身はわかっていた。ぼくたちは事前に話し合って同じものをお願いするように、数年前から取り決めていたのだった。

「開けてもいい?」

「もちろん」

 しゅるしゅるとリボンを解き、ぱりぱりと包みを破く。いつだったか、プレゼントの取り違えがあった。包装紙の端には判別がつくように中身が書いてあった。母はぼくたちが、どっちがどっちを頼んだのかを忘れたのだ。母は忘れっぽいが、その分他人の感情の起伏にめざといひとだった。今みたいにラッピングを剥ぎ取った瞬間に、ミコトが戸惑ったのを見て彼女は、自分がまた何かを間違えたことに気づいた。ぼくたちは趣味嗜好は違うけど、母を悲しませたくないのは同じだった。

「「ママ、ありがとう」」

 ぼくたちは同じ服を着て、お揃いのゲーム機を胸に抱えながら微笑んだ。







「おはよう」

 朝食を摂りに行く前に母の部屋の前で立ち止まり、扉をノックする。中からはもにゃもにゃと唸る声がしばらく聞こえていて、バサッといったあとドスンと、それからバラバラ続けて色々落ちる音が聞こえる。しばらくして目が半分しか開いてない母が出てきた。

「おはよう」

 朝ごはんにしよう、と声をかけて食卓へ向かう。廊下を歩いている間に何かを思い出したらしい母が、あっと大きく声をあげる。

「尊、お誕生日おめでとう」

 ありがとう、と返す。今年は覚えてたんだね、は喉の奥に仕舞い込んだ。

「おはよう」

 すでに食卓についている人影に声をかける。昨日のうちに置いておいた人形は何も返さない。朝の冷たい光に照らされた、後頭部の裏側は空虚に微笑んだまま動かない。

「それは何?」

 母は当然のように怪訝な顔をして尋ねてくる。

「命だよ」

「ミコト……あなたの弟の?」

「そう」

「違うわ、命はこんなんじゃない」

 吐き捨てるように言う。

「ふぅん。じゃあどんなだったか、言ってみて」

 命は去年、誕生日を迎えたあと死んでしまった。彼はなんだか急に母のことが嫌いになったようで、数年前に家を出ていた。こちらからの連絡は無視するくせに、時々電話を寄越しては金の無心。そんなことが続いてぼくも痺れを切らし、不自由なく暮らしたいならはやく家に戻ればいいと言った。戻ってくると思っていた。チャイムの音で玄関扉を開けると、立っていたのは命ではなく警察官だった。

「言えない。わからないけど違うの」

 母のもの忘れは年々酷くなり、寝ていることが多くなった。命の人形は、ぼくそっくりになるようにつくった。

「ねえ、ぼく三十四歳になったよ」

「大きくなったわね」

「ほんとにね」

 今日から、ぼくたちはほんとうに、全く別のいきものになるのだ。

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