第9話 最終話

それから東京に帰ることなく、実家にしばらく休みに入った。東京の先生から授業の代わりのプリントが送られてきた。それを解いているが、全く解く気なんて出ず、ずっと頭がぼんやりする。


俺の本当の夢は、桜日と後でもずっと一緒にいたかった。退院したら、きっと離れ離れになってしまうから。その口実が欲しかっただけなのかもしれない。


 家にいても集中できないので、気晴らしに外に出ることにした。民家にある小さな桜が満開に咲き誇っている。


もう、桜が満開の季節になってしまった。桜日を置いて。俺の頭の中は桜日ばかりが溢れていた。少し歩くと、桜日と十年間一緒に闘病生活を送った病院が見えてきた。


そういえば、桜日の病室は片付けられているのか。桜日が亡くなってしまってから、ずっとバタバタしていたし。少し様子を見に行くことにした。


受付を済ませ、二階へ上がる。桜日の病室はシンとしていて、誰もいなかった。


「あ、春人くん!」


声をかけられ後ろを向くと看護師の河北さんだった。


「桜日ちゃんの病室、もうそろそろ片付けたいんだけど、誰も病室に来なくてね…。きっとショックで来れないと思うんだけど…。もし良かったらベッドの隣にある棚とかまとめて置いてくれないかしら?」


「ああ、いいですよ。やっておきますね」


「ありがとう。お願いね」


そう微笑んで河北さんは真っ直ぐ歩き始めた。目が少し光って見えたのは、上の電気の反射なのか、涙をためていたのか。


僕は静かに病室に入った。


いつも桜日の大きな声が響いていた病室。まるで空っぽになってしまったみたいだ。


埃が舞いそうなので、窓を開けた。


窓のすぐ前に満開の桜が見える。この季節は二人でお花見していたなぁ。


ベッドの隣にある棚に近づき、中に入ってあった本を取り出す。


「ほとんど漫画じゃん…」


ふと、笑みがこぼれる。そういえば、俺と桜日が仲良くなったきっかけは漫画だったな。


ジャンルはほとんど少年漫画。棚に入っているのも、少年漫画ばかりだった。十年も経っているのに、何も変わっていないな。


漫画の横にはスケッチブックが三冊入っていた。桜日は絵を描くのも好きだった。スケッチブックも取り出す。少し気になってペラペラとスケッチブックをめくる。


一冊目は小学校低学年に描いたものだろうか。クレヨンでぐじゃぐじゃと描かれている。


二冊目は鉛筆で濃く縁取られた絵に色鉛筆で描かれていた絵がたくさん描かれていた。中に男の子と髪の長い女の子が描かれていたので、もしかしたら俺たちのことだろうか。


三冊目は最近のものだろうか。光の反射まで、綺麗に描かれている。中は桜の花だったり、小さな花がたくさん描かれていた。桜日らしいなと思い、笑みがこぼれる。絵を描いている姿は見たことあるが、その絵を見せてくれたのは今までで一度もなかった。なんか申し訳ない気持ちと感動が心の中で混ざり合う。


スケッチブックを閉じようとした時、灰色でかかれたものがチラリと見えた。最後から二ページ目を見ると薄い灰色でかかれたものがあった。


これは、文字だ。顔を近づけ書かれている事を読む。


《春人へ


 今までありがとう。十年間、春人と一緒に病気と闘えて良 かったよ。黙っててごめんね。もう私はいないけど、春人は私の分までしっかり生きて。


もう、私のことは思い出さなくていいから。きっと、春人の心を締め付けるから。あんなやついたな〜で構わないから。


 夢に向かって頑張れよ!絶対お医者さんになるんだぞ!》


間違った文字は消しゴムで消さず、鉛筆で線で消したいたので、下書きだったのだろうか。桜日は俺に手紙を書いてくれるつもりだったんだな。スケッチブックを持つ手が震える。


思わずスケッチブックを落としてしまい、その拍子でページがめくられてしまった。


真っ白なスケッチブックを拾い、もう一度見ると、また何かが書かれていた。




《春人のこと、十年前からずっと好きだったよ。直接言えなくてごめん》



涙腺を崩壊させるには十分だった。自分の頰を伝って手首に涙が落ちてくる。


「俺も好きだったよ。十年前、君に出会った時から」


そう顔が涙でぐちゃぐちゃになりながら言った。


「俺が桜日のこと好きじゃないと思ってたのか…?」


鈍感な彼女に笑みがこぼれる。


これは素直になれなかった彼女が最後に勇気を持って書いたものだろう。さっき書かれていた文字より濃く書かれ、文字が震えていたので、ほんの少し前に書いたのだろ。もう、自分は手紙を書けないと悟ったのだろうか。


自分も桜日に好意を抱いていることを直接言ったら、桜日は何言ってんのと笑うだろうと思っていたから、俺はずっと好きという言葉を飲み込んでしまっていた。


「また俺を驚かそうとしてるの?」


そこに桜日がいる気がしてそう問いかける。


「驚いたよ。俺の負けだ」


もちろん返事はなく、桜が風で揺れる音が病室に響いた。


「桜日のこと、絶対忘れないから。医者になって、桜日みたいな子を助けるから。…だから

これからも、ずっと俺の隣にいてくれ…」


そううつむきながら言った。桜日に届いているのだろうか。



 開けた窓から暖かい春風が入ってきて、俺を包み込んでいく。


その時、ふわっと甘い春の香りがした。


「桜の香り…?」


十年間、ずっと桜日が言っていた桜の香りだった。

やっと気づけた。桜の香りも。桜日の想いも。



今日は桜日の名前の通り、桜が綺麗な日。君は桜の下で微笑んで桜の香りを楽しんでいるのだろうか。



桜日が大好きだった桜の香りは、俺と桜日の永遠に実らない恋のように甘く病室の中で溶けていった。


桜の香りは、桜日が俺に告げるさよならの香りなのかもしれない。         



《完》

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さよならの香り 美浜 らん @Mihama_Lan

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