第119話 たき火

 本物の火を見たのは久しぶりだった。


 小さな畑で、白髪の老人がたき火に木片をくべていた。

 僕は立ち止まって、その様子を見ていた。本物の火を見たのは、久しぶりだと思った。

 小さい頃はたき火をしたことがあった気がする。大きなドラム缶の中に木片を入れて。それから、燃やしたいものを入れて。パチパチと火がはぜる音がした。炎はふいに大きくなったり揺れたりして、ガスの青い炎とは違ってきれいなオレンジ色の炎で、その揺らぎを見ているのがとても好きだった。


 そうだ。

 あのとき、僕はこっそりテスト用紙を火にくべたんだ。あまりに悪い点数で、親に見せることが出来なくて。それから、出していなかったお便りも炎の中に入れた。炎の中に入れると、一瞬で黒くなってくにゃっとなって消えた。優しい炎が僕の嘘も駄目な部分もみんな包み込んでくれるような気がした。

 炎を見ていると心の中のもやもやまで消えていくような気がしたことを、思い出した。


 火のはぜる音が聞こえた。

 静かな空気の中、老人はそっと炎に木片をくべる。パチパチパチ。微かな炎の音。

 老人は、今度は何か紙を炎に入れた。それは手紙に見えた。封筒に入ったままの手紙。老人は手紙を次々に炎の中に入れた。


 あの中には何が書いてあるのだろうか。

 老人の想い出は火にくべられ黒く小さくなり、煙となって上へと昇って行った。まるで、想いを乗せた文字がそのまま天へと昇って行くようだと思った。いったいどんな内容が描かれているんだろう?

 僕は老人が炎で浄化した想い出を想像しながら、その場から立ち去った。うっかりずっと見ていそうだった。


 たくさんの手紙の束。

 亡き奥さんとのやりとりの手紙とか? 或いは、過去の恋人との手紙とか? 会えない時間の悲しみを綴ったものかもしれない。日常を書き綴った手紙かもしれない。ずっと大切にとっておいて、どうして燃やすことにしたんだろう?


 もしかして、親からの手紙かもしれない。あの老人の親はどんな手紙を書いたのだろうか。身体を気遣う手紙だったのかもしれない。どんなふうに暮らしているか尋ねる手紙だったのかもしれない。親はずっと前に亡くなっていて、自分がそのときの親と同じくらいの年になって、ようやく手紙を処分する気持ちになったのかもしれない。


 友だちとの手紙かもしれない。あの老人の世代には、スマホなんてなかったはずだ。友だちとのやりとりも手紙で行われただろう。若いころの悩み事が、あの中には書いてあるのかもしれない。或いは密やかな恋心が書かれているのかもしれない。


 いずれにせよ、過去の想い出だ。

 それは優しい思いのこもった手書きの文字で書かれているのだろう。そしてまるで、幼いころ、寒い冬の日に縁側で祖父といっしょに手を当てた古いストーブを思い出させるような、それでいて微かに胸を締め付けるような、その感情がじんわりと身体中に広がるような、そんな手紙に違いない。きっと。





  「たき火」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!

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