第115話 暮れ泥むころ

 暮れなずむころ、青みがかった紫色が空に広がって、世界はその色で満たされる。しだいに空の色は深い色になり、人の顔も見分けがつかなくなって、庭木も暗がりに沈んでゆく。でもまだ夜ではない。


 青みがかった紫色が群青色に変化してゆくそのころ、わたしは娘を迎えに行く。自転車に乗って。娘のはるかはまだ二年生だ。だから、習い事の送り迎えをしている。夜の前の、暮れ泥む時間、わたしは娘を迎えに行く。自転車をこいで。今日はそろばん教室のお迎えだ。二歳下の弟の蓮を自転車の後ろに乗せて、ぐんぐんこいでいく。 

 いつもの道、いつもの家々。冬になると、日暮れが早い。


「ねえ、ママ! きょうのばんごはん、なに?」

 後ろから蓮の声がする。

「きょうはからあげ! 帰ったらすぐに作るね!」

「やったあ!」

 蓮は声を上げて喜んだ。からあげ、ハンバーグ、オムライス。夕飯はいつも同じようなメニューだ。でも子どもたちが喜んで食べるからいいやと思っている。


 そろばん教室に着くと、わたしと同じようにお迎えに来ているママたちがいた。

「こんにちは」

「こんにちは、はるかママ! すぐに暗くなるわね」

「冬はね」

「寒いしね。……あ、終わったみたい」

「紗良ちゃん、来たわよ」

「はるかちゃんもいっしょよ」

 子どもたちがわらわらと出て来た。はるかがわたしを見つけ、顔を輝かせて駆け寄ってきた。


「お帰り! 今日はどうだった?」

「今日ね、点数がよくてほめられたの!」

「それはよかったね」

 はるかと話していると蓮が「もうかえろうよう。おれ、ハラヘッタ」と騒いだので、周りの人に挨拶をして帰る。はるかは自分の自転車にまたがった。

「ヘルメットちゃんとかっぶってね。ライト、点けてね」

「うん!」

 はるかを先に行かせて、わたしは後からはるかを追う。


 もう空は深い青色に変化していた。夜がすぐそこまで来ていた。

「からあげ! からあげ!」後ろで蓮が歌うように言う。蓮はからあげが本当に好きだ。

「漬け込んであるから、あと揚げるだけよ。ごはんもセットしてあるから、すぐだからね!」

「わーい!」

 わたしと同じようにお迎えに来たであろうママと幼子とすれ違う。夕方は全く忙しい。やることが山のようにあるのだ。


 自転車をこぐ。

 早めに点灯させたライトが前をゆく娘を照らす。娘は小さいピンク色の自転車を一生懸命こいでいる。ヘルメットからこぼれた長い髪が揺れた。

 そこの角を曲がったら、もう家だ。

「着いたよー! ママ、鍵開けて」

 はるかの声が聞える。

「はあーい」と返事をして、わたしも自転車を停める。

「ママ、ごはん、何?」

 はるかが言う。

「からあげだよ!」





  「暮れ泥むころ」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!

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