第113話 壺
おばあちゃんが死んだ。
おばあちゃんちに行って、おばあちゃんにお別れをしようと思ったら、布団に寝かせられているおばあちゃんの顔に壺がかぶせられていた。口と鼻をすっぽり覆うようにして。
「あれ、何?」
「ああ、あれはね、お母さんの魂を集めているんだよ」と幸枝さんが教えてくれた。
幸枝さんはおばあちゃんの娘で、わたしのお母さんの妹だった。
「これは、高梨家に伝わる死者の送り方なんだよ。死んだ人の魂を壺に集めて、集め終わって壺に蓋をしてからお別れをするの」
幸枝さんはそう言って、おばあちゃんの頭をそっと撫で、それから壺に触れた。その眼差しがとても優しくて、わたしまで優しい気持ちになった。幸枝さんはおばあちゃんが大好きなんだ、と思った。
幸枝さんは結婚せず、ずっとおばあちゃんと、つまり自分の母親と二人で暮らしていた。おじいちゃんは随分前に亡くなっていた。おじいちゃんのとき、こんなふうに壺がかぶせられていたかどうかは覚えていない。でも、なんとなく、どこかにおじいちゃんの魂を集めた壺があるような気がした。
死者の顔に壺をかぶせてその魂を集めてから、あの世に送る。なんて不思議な、心あたたまるしきたりなんだろう?
おばあちゃんちは、昔ながらの古いお屋敷でとても広くて、どこかにたくさん、魂が入った壺があるような気がした。「ここにいるよ」という優しい声が聞える気がした。
「死んだ人に会う方法があるのよ」と幸枝さんがわたしに耳打ちしたのは、帰る直前だった。
幸枝さんはお通夜の仕出し弁当を食べて、お酒も飲んで少し酔っぱらっていたから、そんなことをわたしに言ったのかもしれない。或いは、自分がそれを試そうと決めていたから、言ったのかもしれない。いずれにせよ、わたしは、おばあちゃんの顔にかぶせられた壺の映像とともに、そのときの幸枝さんの台詞をとても印象深く、心の中に大事にしまったのだった。
あれから二十年以上経って、わたしはあのときの幸枝さんと同じくらいの年齢になった。そしてわたしはいま、壺の蓋を開けようとしている。
朔月の午前零時、星明かりの下、壺をそっと地面に置く。壺がもし、かたことと揺れたら、魂が壺から出てもいいよという
わたしは祈るような泣きたいような気持で、朔月の星明かりの下、午前零時に壺をそっと庭の地面に置いた。そしてじっと壺を見た。茶色の、胴がまるく膨らんだその壺は、置いてしばらくすると、かたことと揺れた。わたしは涙を堪えて、じっとその揺れを見た。
揺れてる壺の蓋に手を触れる。手が震えて、上に置いてあるだけの蓋をうまく掴むことが出来なかった。そしてなかなか開けることが出来なかった。――でも開けられた。
おかあさん。
わたしは蓋を手にしたまま、両手を合わせた。涙が、後から後からこぼれた。
おかあさん、会いたかった。どうしても話をしたくて。急にいなくなってしまって、わたし、世界が閉ざされてしまったような気持ちになってしまったの。おかあさん。
おかあさんがわたしを抱き締める。生きていたときのように、あたたかくやわらかだった。幸枝さんも壺の蓋を開けたのだろうか。――きっと開けたに違いない。
壺の蓋を開けて死んだ人に会えるのは、一回だけ。幸枝さんはどんな話をしたのだろうか。
「壺」 了
*ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。
1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。
毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!
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