第109話 ブランコ

 公園のブランコを見ていたら、昔を思い出した。


 *


 母親に怒られて、家から出されて鍵をかけられた。家には入れないし行くあてもないから、公園に行った。そして、他の子と混じって遊んだ。鬼ごっこに入れてもらったり、砂場でお城を作ったりして楽しく遊んだ。

 でも、みんな帰って行った。帰宅時間を知らせる夕方のメロディが鳴ると、「もう帰るね!」と言って帰っていった。或いは、母親が迎えにくる場合もあった。いっしょに砂場で遊んでいたのに、母親が名前を呼ぶとぱっと顔を輝かせて、走り去って行ったのだ。


 わたしはそうして、公園に取り残された。一人だけ。

 公園はどんどん暗闇を増して行った。わたしはブランコに乗った。順番待ちもなく、すぐに乗れるブランコ。座るところが冷たかった。

 犬の散歩をしているおばさんと目が合った。わたしはブランコで遊んでいるだけ。ぎぃ、ぎぃー。公園の外の道を高校生のお兄さんたちが歩いて行く。わたしを見る。わたしはブランコで遊んでいるだけ。ぎぃー、ぎぃーーー。


 座ったまま、思い切りブランコをこぐ。

 明るい星が見えた。くっきりと。三日月の月も輝いていた。わたしは家に帰れないんじゃない。帰らないだけ。ブランコが好きだから。ぎぃーーーー、ぎぃーーーーーー。


 あのあと、どうやって家に帰ったのか覚えていない。ただ、夜が深くなっても公園にいたことは確かだ。そして、そういうことはその後何度もあった。そのたびにわたしはブランコに乗った。高校生になってバイト出来るようになるまで。

 大人になって、わたしは家を出た。

 そうして、夜にブランコに乗っていたことなど、忘れた。そのときのどうしようもないさみしい気持ちさえ、忘れたふりをして生きていった。


 *


 その女の子は、夜の公園でブランコに乗っていた。一人で。

 その姿を見ていたら、わたしの中に、突然さみしさが蘇って来た。みんなが家に帰っていく中、一人ブランコに乗っていたときのどうしようもない気持ち。夜になっていく薄暗い空に、コウモリが飛んで行く。カラスも飛んで行く。コウモリやカラスでさえ、帰る家があるというのに。薄暗い空に黒く飛ぶものは同化して見えなくなっていく。帰りたい。わたしも帰りたい。

 夜の公園にブランコをこぐ音が聞こえる。


 ぎぃーーー、ぎぃーーーー。ぎぃーーーー。ぎぃーーーーー。

 その音は泣き声に聞こえた。さみしい帰りたいさみしい帰りたい。


 わたしは意を決してその子に声をかけた。

「ねえ、あなた、どうしたの?」

 ブランコの音が止んで、その子はわたしを見た。

「……家へ帰れないの」

「そう」

「……おなか、空いた……」

「パン食べる?」

 わたしは持っていたパンをその子に差し出した。その子はおずおずと手を伸ばすと、パンを受け取り、ビニール袋を開けて貪るように食べ、あっという間に食べ終わってしまった。

「もう一つ、食べる?」

 女の子は頷くと、もう一つ食べた。


 わたしは女の子の隣のブランコに腰を下ろした。少しだけ、ブランコを揺らす。ぎぃと小さな音がした。

 夜空には三日月と北極星が輝いていた。あの日と同じように。





  「ブランコ」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!

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