第108話 動き始めた瞬間

 その日、木村刑事たちは被疑者を追ってスーパー銭湯に張り込みに来ていた。

 メンバーは、ベテランの木村豊刑事と木村刑事の相棒の若さに溢れる佐藤健司刑事、そして被疑者に女性がいたことから女湯に入れる、女性の大黒芽衣刑事であった。

 捜査しているスーパー銭湯はとても大きな施設で入浴施設の他に漫画を読むスペース、レストラン、売店と充実していて、さらにFREE WiFiもあり一日のんびり過ごせる場所であった。今日は何かのアニメとコラボ企画が行われており、そこここにかわいい女の子のイラストがあった。


 佐藤は「いやあ、いいですねえ。僕、ここ好きです」とのんきに言った。彼は堂々とアニメのグッズを購入していた。木村が厳しい視線を送ると「いや、ほら、推し活ですから! 自然な行動ですよ」とにこやかに答えた。木村は、佐藤の行動は実に自然だとは思ったが、何か釈然としないものが心の中に残った。

 女刑事である大黒は湯上りのつるりとした顔で、木村と佐藤の前に現れ、佐藤をどぎまぎさせていた。大黒は佐藤よりもさらに若い、刑事になりたての年齢だった。しかも本人はあまり認識していないようだったが、美人だった。佐藤が顔を赤くするのも無理はないと木村は思った。


 そんな佐藤の気持ちにまったく気づくことなく、意欲に満ちた大黒は言った。

「あ! いま被疑者が動きましたっ」

「どこに行った?」

 木村は刑事の厳しい声で言った。

 この被疑者カップルはターゲットに近づき言葉巧みにお金を巻き上げる、結婚詐欺を働いていた。被害総額がかなり大きいうえ、最近では殺人にも手を染めていて、悪質極まりない二人だった。

「レストラン内のカップル席に座りました」と佐藤。このレストランはカップル向けに、見晴らしのいい場所に二人並んで座れるカップル専用席があった。


「……あそこだ。この席で見張ろう」と木村が言い、三人はボックス席に座った。風呂上がりのなんとも言えないい香りが大黒からふわっと漂い、佐藤は顔を赤くさせ木村は視線を大黒から逸らせた。

「食事を注文しているようです。我々も注文しましょう!」何も気づいていない大黒は真剣な調子で言った。佐藤はメニューを見て「あ! 僕の推しのメニューがある!」とはしゃいでいた。「遊びに来ているんじゃないぞ」と木村が言ったが、佐藤は既にタッチパネルで注文を済ませていた。木村はまた溜め息をついた。


「あっ」と大黒が言った。「なんだ?」と木村。「手、繋いでるっ!」

「あっ」と今度は佐藤が言った。「なんだ?」「キスしてるっ。……ちくしょーーーー!」

 佐藤の悔しそうな声に、大黒も木村も二人を凝視した。

 二人は幸せそうに二度目のキスをしていた。 

 木村は決意を固めた声で言った。「……絶対、逮捕してやる……!」

 若い大黒と佐藤も独身だったが、木村も独身だった。そして三人とも、仕事が忙しく、恋人と呼べる存在すらなかった。


 三人は気持ちを一つにした。被疑者逮捕に向けて、動き始めた瞬間である。





  「動き始めた瞬間」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!


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