第89話 天狼
彼は天狼の目であたしを捉えた。
逃れられない。その瞳はあたしを射抜く。
大勢いる中で、あたしは彼だけが見えていた。
新学期、高校最後の学年のクラス。あたしは期待とほんの少しの不安を抱きながら、クラスの扉を開けた。がらりと、扉は思わぬ音を立てた。
でも、誰もこちらを見ない。みな、それぞれの友だちと話すのに夢中だ。――そうよね。あたしも英美を探した。
すると、目が合ったのだ。律と。
律とは同じクラスになったことは一度もなかった。中学校も違う。
だけど、存在は知っていた。律は、特別勉強が出来るわけでもないし特別運動神経が優れているわけでもない、だけど、何事もそつなくやり、なんとなくいつも目立つ位置にいるような生徒だった。
律は、鋭くまっすぐにあたしの目を見た。
あたしは動けなくなった。
その、いっしゅん、世界から音が消え失せ時間も止まり、まるであたしと彼しか、そこに存在しないかのようだった。
ふいに律はあたしから視線を外し、窓の外を見た。あたしはようやく動くことが出来るようになった。
「美紗、おはよう!」
「英美」
あたしは英美といっしょにクラスに入った。背中にまた、あの視線を感じた。天狼の、目。夜空に光り輝く、強い光の目。
「美紗、席どこ?」
英美に言われて、黒板に貼ってある座席表で席を確認すると、なんと律の隣の席だった。
「……あそこみたい」
あたしは指をさした。そしてそのとき、また律の目があたしを捉えた。
*
「あのとき、むっちゃ怖かったよお」
「そう?」
「うん!」
あたしは初詣の帰り道、律と並んで歩きながらそう言った。
「……きれいだなって思って見ていたんだよ」
律は天狼の目で言う。強い、まっすぐな視線。律のこの目線が好きだ。
あたしは律から目をそらさずに、その黒い瞳をじっと見つめた。怖い、というのとは本当は違う。ただ、どきどきして目が逸らせなかった。そうして、まるで、世界に律と二人でいるかのように思ったのだ。
「おれ、あのとき、美紗しか目に入らなかったんだよ」
「……あたしも」
二人で笑い合いながら身体を寄せる。吐く息がかかるほど、近くにいた。
気づけばあたしたちはつきあっていた。――とても自然に。
あたしは律の隣を歩く。今日も明日もあさっても。
「ずっといっしょだよ」強い光がそう言った。
「天狼」 了
*ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。
1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。
毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます