第75話 スーツケース

 俺はうまくやっているつもりだったけど、そうでもなかったらしい。


 恋人の一人で、俺の収入源だった香苗は、泣き叫びながら俺の首を絞めてきた。マジ? ちょっと息出来ないんだけど。冗談だよね、香苗? ちゃんとクリスマスの翌日に一緒に食事したしセックスもしたのに、どうして首を絞めるんだ?


「あたしの他に誰かいるなんて、もう耐えられない」

 いやいやいや。最初に彼女いるって言ったよね? 二番目でいいの、とか言って来たのはそっちなのに。

「あたしの他につきあっている女がいて、しかも奥さんも子どももいるなんて!」

 あー、結婚していることは言ってなかったかなあ。でもまあよくある話だろ、不倫なんて。てゆうか、こいつ泣き顔ブスだなあ。身体もいまいちだったし。でもお金くれたから、そこが香苗のいいところだったんだよね。

「死んで死んで死んで!」

 ヤバイ、もう死ぬ、俺。死ぬ前に見るのが、香苗の不細工な顔だなんてサイアクだなあ。


 *


 俺は死んでしまったらしい。


 俺は香苗のアパートで首を絞められて息絶えた。香苗は、俺の首をぎゅうぎゅう絞めて、俺が動かなくなると、また泣き叫んで俺を抱き締めた。うわー、キモいな。

 その後香苗は、妙にしゃきんとした顔になり、大きなスーツケースを出してきた。それから、俺の服をあさって、財布を抜き取った。俺は財布に免許証やマイナンバーカードも入れている。香苗は財布から身元が分かるものを全て抜き取った。それから、チャッカマンを持って来て、それらを焼いた。そして俺の指を焼いた。嫌な匂いが部屋中に広がった。指紋はそうしてなくなった。さらに、金槌で歯を砕き、顔もチャッカマンで焼いた。うわあ、もうこれで俺って分からないんじゃね? その後、スーツケースの中に、俺を折りたたむようにして入れた。お、ぴったりだ! 俺の死体の横に、俺の靴も入れられた。


 俺は、部屋の隅の高いところからその一部始終を見ていた。

 香苗はおとなしい女だと思っていたけれど、全然違って見えた。自分が知っている女とはまるで別人に見えた。


「……あーあ、またやっちゃった」また? どういうことだ?

「ダメな男が好きっていうのも、ヤバイなあ」え?

「……ダメな男であればあるほど、つい好きになっちゃうんだよね。こいつ、不倫の恋人が三人もいたんだよね。最高だよね! あたしからお金を持って行くときの、あの顔! うわあ、ダメ過ぎる! っていつも思って、気持ちよくなっちゃって。でものめり込み過ぎて、つい首絞めちゃった。……もう少し我慢出来ると思ったんだけどなあ。……さてと」


 俺は海に捨てられた。重しを入れられたスーツケースは海の奥に深く深く沈んで行った。

 死体を前にした香苗の行動は実に手慣れていて、俺が初めてでないことは確実だった。沈んでいくスーツケースを見ていたら、隣に俺と同じような表情をしている、身体が透けた男がいた。「あなたも?」と彼は言った。俺は頷いた。この男もクズだったんだろうか。


 スーツケースはもう見えなくなった。いったいいくつのスーツケースが沈んでいるんだろうか?

 ――透けた身体の男が他にも見えた。





  「スーツケース」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!

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