第67話 ポスト
その古いポストには言い伝えがあった。
真夜中の零時ちょうど、満月の光がポストに落ちたとき、手紙を投函すると、その手紙は亡くなった人に届けられると。
小さい頃、あたしは亡くなったおばあちゃんに手紙を出しに行った。お母さんといっしょに。古いポストの言い伝えを教えてくれたのは、お母さんだった。
夜の街をお母さんと一緒に歩くのは、奇妙な興奮をあたしに与えた。
お母さんはどこか真剣な目をしていた。そうして、あたしの手をきつく握っていた。お母さんがどんな手紙を書いたのか、あたしは知らない。ただ、ポストに手紙を入れたあと、随分長く手を合わせ、目を閉じていたのをはっきりと覚えている。あたしが書いた内容は他愛もないものだった。「おばあちゃん、今までありがとう! 遠くからあたしたちを見守っていてね」とか、そんなようなものだ。
手を合わせて目を閉じているお母さん。
そのきれいな横顔は、自分の母親ではないようだった。
星が美しく瞬いている夜だった。大きな満月。光は群青色の空に滲んで、滴が落ちてきそうだった。お母さんと手をつないで歩く。吐く息が白くて、でも帰り道はなぜだかあたたかい気持ちでいっぱいだった。
*
恋人が急な事故で帰らぬ人となったのは、年の暮れだった。
あたしたちは一緒にクリスマスを過ごす予定だった。4号のクリスマスケーキ。サンタの砂糖菓子が乗った、甘いホールケーキ。生クリームが好きなんだとあの人は笑って言った。このお店の生クリームが好きなんだって。おいしいシャンパンを用意していた。結局作らなかったチキンの煮込み――二人で料理をするはずだった。
年が明けたら、お互いの家族にお互いを紹介する予定だった。……でも、叶わなかった。
あの人は、あたしの知らない親族に囲まれ、そして遠くへ行った。お焼香をして手を合わせて……それだけしか出来なかった。あたしには涙を流す権利はないように思えた。あの親族の中に入って行けなかった。
クリスマスケーキは食べないまま、崩れていった。どうしよう。何もする気が起きない。
年末年始のお休みに入ったのだから、余計に何もする気が起きない。朝も起きなくていい。ずっとベッドの中で過ごしている。今日が何日かも分からない。朝なのか夜なのかも分からない。ごはんも要らない。ときどき起きて水を飲む。トイレも行く。またベッドに潜る。
隼人……。
いないことが、よく分からなかった。目が覚めたら、隣にいて「変な夢を見たんだね」とか言ってくれるような気がしていた。
ベッドの中からカーテンを触って、外を見た。満月だった。大きな、ゆるゆるとした満月。美しく光って。
――突然、幼い日、母といっしょにポストに手紙を出しに行ったことを思い出した。
あたしは、ベッドから出て、紙を取り出した。便箋は見当たらなかった。でも、白い封筒はある。あたしは夢中で文字を書いた。涙が落ちた。文字が涙で滲んだ。月の光が夜の色に滲んだみたいに。隼人、会いたい。会いたくて堪らない。
好きだった。今でも愛している。ずっと、ずっと――
「ポスト」 了
*ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。
1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。
毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!
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