第66話 初恋

 ふいに懐かしい名前を見つけた。


 でも、もちろん当人じゃない。だけど、あまりに懐かしくて愛しいその名前。

 あれからもう十年以上経った。

 過去だ。

 あなたとのことは、もうすっかり過去のこと。

 それでも、わたしは覚えている。一番大好きなあなた。


 初めてつきあった相手じゃない。だけど、あなたは人生で一番好きなひと。

 何もかもが好きだった。きっと、ずっと忘れない。

 あんなにも、こころ全部で愛したのはあなただけ。

 あんなにも、ずっといっしょにいたいと思ったのはあなただけ。

 何もかもが、初めてだと思える感情。


 だから、あなたがわたしの初恋。


 あなたと別れて、あまりに悲しくて、あなたとの想い出の物は全部捨てた。写真も手紙もメールも贈り物も、指輪も含めて、全部。

 だけど、気持ちは捨てられない。

 こころの奥の底にずっとある。

 悲しみはいつしか愛しさに変わり、わたしをあたたかくさせる。


 初めてことばを交わした日。

 初めていっしょにごはんを食べた日。

 初めてあなたの助手席に乗った日。

 初めて手を繋いだ日。

 初めてキスをした日。

 全部、覚えている。とても大切に。初めて夜を過ごした日も。

 夜がさみしくないって、初めて知った。

 夜はいつもさみしくて。さみしくて。

 でも、あなたといたら、夜はあたたかいものなんだって、初めて分かった。


 あれから時間が経って、わたしは実のところあっという間に結婚して子どもを産んで。

 別れてからあなたとは会っていない。電話もメールもしていない。

 もう二度と交差することのないひと。



「ママ!」

 ふいに現実に戻る。

 愛しい手がわたしの手をとり、「ママ、あたし、ゆかちゃんちに行きたい!」と言った。

「さゆり」

 不思議だ。この世界の中で、あれほどの感情よりも上の感情があるだなんて。――いや、比べること自体、間違っている。

「約束はしたの?」

「うん!」

 何にも代えがたい存在。ことばにはならない思い。愛しさと幸福感がそこにはある。

 

 初恋の想いは霧散した。

 夜はさみしくないんだって、わたしはこの子に伝えている。いっしょにいればさみしくないんだよ。あったかいんだよ。


 初恋は微かで、遠くに、そっとあるもの。





  「初恋」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!

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