第55話 空き家の、古びた雨戸
そこには人が住んでいないと思っていた。
梅雨明けから繁茂した緑、閉じたままの古い木製の雨戸。緑の季節が終わった後は、茶色く枯れたまま手入れされない状態で、荒れ果てた印象を残していた。常緑樹は緑をいっそう黒くして、その家を覆い隠すように広がっていた。
僕はその崩れそうな家を見ながら、この前を毎日のように通っているけれど、雨戸が開いているのを一度も見たことがないな、と思った。開けられたことのない雨戸自体も傷んでいたし、屋根瓦も一部剥がれたり草が生えたりしていて、空き家であることを強く主張しているように見えた。よく見ると、小さな庭にはテーブルが一つと、二脚の椅子が下草に閉じ込められるようにして、置いてあった。もとは真っ白であったであろうそれは、冬の寂しい草に覆われ、静かに死んでゆくように、草と同じようにくすんだ色をしていた。
そんなある日、何気なくその家に目をやると、ずっと固く閉ざされていた雨戸が十センチほど開いているのが見えた。思わず立ち止まって、じっと見つめた。すると、影が過ったように見えた。
――誰かいる?
僕は気づいたら錆ついた門扉を押していた。門扉は元の色は黒色だったのかもしれないけれど、色は禿げさらに錆ついていて、触ったらぼろぼろと何かが落ちた。ギイという軋んだ音を立て、門扉は開いた。
僕が庭に足を踏み入れると、雨戸が大きく開いた。そして、そこから一人の女性が顔を出した。女性は肩までの髪を明るい茶色に染めていて、僕と目が合うと明るく笑った。
「こんにちは!」
「こんにちは」
「うちに何かご用?」
「用っていうか、……ここ、無人だと思っていて、人の気配を初めて感じたから」「ねえ、ちょっと入っていらっしゃいよ! 玄関、開いているから」
僕は明るい髪色とはじけるような笑顔に惹かれて、古びた玄関を開けた。ギイという音がして、ところどころ色が剥げた重い扉は内側に開いた。
明るい陽射しが古い家屋の暗がりに入り込む。電気は通っていないらしい。階段を伝って、二階からも太陽光が入り込んでいた。
「靴のままでいいから、上においでよ」
あの女性の声がして、僕は靴のまま家の中に入った。埃が溜まっている室内。靴箱に手をつくと、ざらりとした感触があり、手が汚れた。家の床もところどころ軋んでいるし、階段も板を踏みぬきそうな気配がして、慎重に歩を進めた。
階段から後ろを振り返ると、家の中は暗闇に溶けて奥行きのある暗がりが広がっていた。誰かが住んでいた荷物はそのままになっているようで、それはなんとなく不気味な感じがした。暗がりの中にぽわっと白いものが見えて、目を凝らした。白いものが動いたような気がして、さらによく見ようとしたとき、「上においでよー」という声がしたので、視線を二階に戻し二階へ上がった。
太陽光が差し込む方へ行くと、白い手がにゅうっと伸びて、僕をその部屋に引きずり込んだ。僕は倒れ込むようにその部屋に転がり込んだ。
その瞬間、あれほど溢れていた太陽光が一切なくなり、暗闇が辺りを覆い尽くした。かび臭いにおいもした。
「――え?」
情けない声しか出なかった。ふいに顔を、冷たい手がなでた。
「ありがと」
真っ黒な中、肘から先の手だけが揺れ、声が深い黒色のところから落ちて来た。「ありがと、あたしと替わってくれて。家に入って来てくれて。あたしはこれで、出て行ける」
そして声も気配も白い手も消えた。
替わってくれて? どういうことだ?
――とにかく、僕がここにいることを知らせねば。
僕は窓があるだろう方へ向かった。雨戸が閉まっている。僕は雨戸を開けようと手をかけた。――開かない。でももう少しで開くかもしれない。僕は雨戸を開けることに集中した。
「空き家の、古びた雨戸」 了
*ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。
1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。
毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!
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