第33話 薄冬

 十二月だというのに暖かく、季実子はコートを着て行くかどうか迷った。


「今日は暖かく、日中は、コートは要らないでしょう」

 気象予報士の言葉がテレビから聞こえる。気象予報士はいつもどのような服で出かければいいか教えてくれる。季実子はいつも気象予報士のコメントを参考にしていた。しかし、「日中は、コートは要らない」は困るな、と思った。朝晩は冷えるからコートを着た方がいいけれど、日中は要らないと言う。季実子が定時で帰宅する夕方の時間帯にはコートが要らないように思った。


「日中は、コートは要らないでしょう」

 季実子は結局、コートを着て行くことにした。カシミアの黒いコート。

 玄関を出て歩き始めてすぐに後悔した。暑い。

 季実子はコートを脱ごうかとも思ったが、荷物になるのでそのまま着て歩く。暑い。汗がじんわりと滲んで、額に浮くのが分かった。腋にも汗が滲む。


 冬だというのに、どうしてこんなに暑いのだろう?

 吐く息が白くなるような、きりりとした空気の冬の方が好きだ。

 肌を刺すような冷たい空気であって欲しいとも思った。

 透明な空気の中で歩くと、靴音が遠くまで届くような気がする。じんわり暑いときよりも。


 冬は冬らしい方がいい。手袋が欲しくなるようなマフラーをぎゅっとしたくなるような、そんな冬。寒くて、朝は薄暗くて夕方にはもう日が落ちて暗くて、寒い空気の中息を白くして、春を待ちわびるような。コートの前をきつくしめて、早く暖かくなるといいのに、と思うような、冬らしい冬。


 季実子は暑さに我慢出来なくなり、コートを脱いだ。暑さから解放され、ほっとする。駅に向かう人を見ると、コートは着ていても、もっと薄手のコートだった。カシミアのコートは季実子くらいだった。


「日中は、コートは要らないでしょう」ではなく、「今日は暖かいので、トレンチコートのような薄手のコートがいいでしょう」と言って欲しかった。せめてカシミアコートの襟の毛皮部分は取ってくればよかった。


 空は青く高く、でもきりりとした空気ではなく、なんとなくもったりとしていた。

 駅に着き、コートを持ったまま構内に入り電車に乗り込む。電車の中も暑かった。


 冬はどこに行ったのだろう?

 冬の感じがまるでしなかった。師走だということが実感出来ない。長い夏があって、短い秋があって、また夏に戻ろうとしているかのようだ。

 いずれ季節はなくなるのかもしれない。言葉だけ、残して。その場合の天気予報はどんな感じになるのだろう?


「今日は気温二十八度だから夏です」とか「今日は気温十九度だから春秋です」とか、そんな感じ? 或いは「明日の季節は夏です。みなさん、半袖を着ましょう」とか?


 冬らしくない生暖かい空気の中で、あらぬ妄想を繰り広げていると、電車がホームに入って来た。底から響くような音がして、ぬるい風が吹きつけ、持っていたコートをはためかせた。





  「薄冬」 了


  *ショートショートの連作で、10万字超の長編にいたします。

   1話ごとに読み切りの形式で、次話に続きます。

   毎日2回(7時、18時)更新。よろしくお願いいたします!

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